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NEXT対談:松本紹圭×木村共宏「Withコロナの寺院運営」 第1回

新型感染症拡大の影響を受け「未来の住職塾NEXT R-2」は、完全オンラインで講義を行なうことになりました。全国のお寺にも多大な影響を及ぼしている新型コロナウイルス。完全収束の望みは薄く、Withコロナが新しいスタンダードとなるであろうこれからの世界において、日本の伝統的寺院はどのように運営していくべきか?未来の住職塾NEXTの松本紹圭塾長と木村共宏講師による対談を全4回に渡ってお届けします。(本対談はZOOMを使いリモートにて実施いたしました)

危機へのレジリエンス

木村 対談テーマは「Withコロナの寺院運営」ということですが、どこから話せば良いかな。まずは僕が話しやすいビジネスや企業的な切り口で始めてみましょうか。
まず、それなりの企業であれば、危機というのは度々起こるものだという理解があるはず。10年ほど前にはリーマンショックもあったし、30年前にはバブル崩壊もあった。その間にITバブルの崩壊もあったし。ビジネスというか、経済の分野だけ見ても、結局10年に1回は何らかの危機が起きるっていうのが前提、というか。

松本 レジリエンス(註:外的な衝撃にも折れることなく、立ち直ることのできる「しなやかな強さ」のこと)が、身についているということですね。

木村 大企業はそういうことを前提として、危機に対してある程度は手を打っているので、レジリエンスは「ある」と言えると思います。例えばDisaster Management(註:災害管理)という言葉は日本ではあまり聞かれないけど、大企業ではふつうにDisaster Managementのプランも作っているし、Business Continuity Planといって事業継続のためのシナリオも作っている。

木村 企業活動が一週間止まるとしても、それでも絶対止めてはいけない部分は何か?とか、どのように情報収集を行なって、どう判断するか?ということはあらかじめシミュレーションしています。ただ、それができている会社は全体から見るとほんの一部で、ほとんどの中小企業はできていない。おそらく、お寺もできていないですよね。

だけど、お寺って本来はレジリエンスが高いはず。長い年月そこに在り、続いてきたわけだから、本来的にお寺って危機に強いはずだと思うのだけど、今、弱いと感じませんか。

レジリエンス低下の原因

松本 なぜ弱いのか?十年に一回くらいは、必ず不測の事態が起こるという前提で動いていないということですよね。多くのお寺のあり方は、流れ任せの家族経営になっていて、平常時に対して最適化されています。一個や二個でも何かエラーが起きると、そこで止まってしまう危うさがあります。

木村 うん、そうですね。平常時への最適化についてはお寺に限ったことではなく、あらゆるものがそうだといえるかもしれない。世界の経済そのものが今は全て凄い高速で回るように最適化されているんですよね。例えて言うとF1レースみたいに、あの非常によく整備されたサーキットっていう環境の中で、極めて高速に走り回るという感じで。これがもうここ最近数十年の経済だなと思っています。まあ、人の動きとかあらゆるものがそうなっているんだけど。

いきすぎた平時への最適化

木村 だから一旦サーキットが突然消えてオフロードになると、とたんに動けなくなる。F1カーなんてオフロードじゃ全然進めないわけで。世の中がF1仕様的に最適化しすぎて、その平和で整った環境でしか動けなくなってきている。

高速最適化していたこと自体も、弊害を生んでいたと思います。進みすぎた流動化が、金儲けとか人の際限のない欲望の追求を助長してきた面もあると思うし、まあ、あるべきでない方へどんどん進んでしまっているように感じることが増えました。ストレスが高いとか、心の病気なども、行き過ぎた流動化の弊害の現れなのかなと。

そういう弊害に対して「手を打たなきゃ」という話は出てはきていたけど、なかなか進んではいなかったですよね。どうしても、みんな高速走行の方を求めてしまって。でも今回のコロナで、極めてドラスティックにこの流動化しすぎている状態を揺り戻せるチャンスがきたと感じています。レジリエンスが一応あるはずの企業にとっても、ここまで世界規模で人の動きが止まってしまって、実体経済も縮小するような事態は想定を超えつつあると思うし。

言ってみれば、サーキットからオフロードに出ても、走り続けられるようにならないといけないということ。そのためのバックアップ装備をどう持つかを考えないといけない。

都市部はお金の動きが止まらないという前提で成り立っています。でもこういう風にパンデミックが起きるとお金の動きが止まって、そこにいるのは三次産業の人ばかりだから、途端に生活ができなくなる。今、飲食店がすごく厳しいけど、そのうちいろんな会社が厳しくなって倒産も増えるはず。そうなると失業者もどんどん増えていきます。

Withパンデミックの時代

木村 こういうことは今後も十年に一回くらい起きる可能性があります。日本には影響がほとんどなかったけど、SARSもMERSも起きていたし、これからは Withパンデミック の時代ですね。Withパンデミックの時代にどういうバックアップを持つべきか、サーキットだけじゃなくてオフロードも走れるように、どう備えるかを考えないといけない。

三次産業の人が露頭に迷ってしまうのは、現金収入が全てだから。田舎にいると田畑があって物々交換も多いので、食べるものもある程度は賄える。自分も鯖江(福井県)にいる時は庭のものをよく食べています。と考えると、やはり一次産業が見直されるタイミングなのではないか、と。

これまでは農家など一次産業者が現金収入を増やすために、加工してネットで直販したりして利益を高めましょう、というのが二次産業、三次産業に展開して六次産業化する、という話だったけど、これからは三次産業に従事する人が、平常時は一次産業や二次産業への支援をして良いつながりを持っておいて、パンデミックの時は助けてもらう、という、逆方向からの六次産業化が必要なのではないかな。

企業にとっても、ある日突然サーキットが荒れくれた道になるという状況でも、やはり何とか走っていかなきゃいけないということを、考える転機になったのかなと思います。だから、「やはり二次産業や一次産業をもっと包括的にカバーしなければいけない」といった議論が出てもおかしくないのではないでしょうか。今回のコロナパンデミックにおける大きな変化というのは、サーキットに特化し過ぎていたところに、これからはオフロードも走れるような変化を求められることになった、ということですね。

奇しくも昨年の11月に、すずかんさん(註:鈴木寛元参議院議員)と松本塾長と意見交換をした時の内容がリアルで起きつつありますよね。「今後、食糧危機やパンデミックが起こりうるし、だから農業の方も耕作放棄地を復活させなければ」という。あの時に話していた危機はまだ現実のものではなかったけど、思いがけずこういう状態が起きるとね。

それに加えて、今年は食料危機も本当に起きるかもしれないと僕は思っています。今、アフリカで70年ぶりに大発生したバッタの大群が中国方面へ向かってどんどん飛んでいて、おまけにツマジロクサヨトウという作物を食い荒らす害虫も発生している。これが本格的に中国に進出すると、小麦の生産量が不足して中国の小麦輸入量が増える。それで年明けからもうすでにシカゴの穀物先物取引指標が上がっています。

もし中国で被害が本格的に出てきたら、小麦は不足するし、日本は食料自給率が37%しかないから、やはり、すずかんさんが言ってたように耕作放棄地や休耕田をちゃんと動かして自国で食料も確保できるようにしなきゃいけないとか、そういったことを現実的にやらなければならないということが見えてきました。今は、こういうことを考えて、あるべき姿に揺り戻していく機会であると言えるでしょう。

生活のハイブリッド化

木村 すずかんさんとの会議の時にも、パンデミックと食糧危機の話をして、結局は都会の人が田舎に故郷を持つべきだという話になったけど、そういう都会と田舎のハイブリッドな生活というのが理想的。もちろん今は不用意に動いてしまうと感染が広がるというのはあるけど。やはり都会の人達もみんな田舎があるようにして、仕事がなくなったら自分の田舎に帰って、そこでまた仕事を探したり畑を耕したりという動きもできるといいかな。

都会の生活しかないと、仕事がなくなった時点で兵糧攻めにされて破綻してしまう。まあ、お店を持っている人は店を閉められないのも当然といえば当然です。でも自分たちの田舎を持っていて、そこに少なくとも最低一年は食べられる米が備蓄されていれば「いったん店を閉めて、なんとか食糧だけはあるし辛抱するか」という風になると思う。

こういった、都会の人にとって「田舎を持つべきだ」という話も、今回のことで切実な問題というかニーズとして、浮かびあがっていくのではないでしょうかね。企業視点・経済視点から、すずかんさんとの11月の話を通して考えるに、自分はコロナというのは、ある種「世界ががらっと変わる」とまでは言わないけれども、平和ボケというか平和に慣れすぎた人たち、舗装された道だけを歩いてれば良かったし、この先も永遠に舗装された道が続いていくと思っていた人たちに、「いや、舗装道路が切れるんですよ」と。そこから先は砂利かもしれないし、あるいは草ボウボウで道に迷うかもしれない。そういった荒れた道を進んでいくことを意識して、そのために何をするべきか考えなさいよ、という風に言われたのかな、という気がしています。

松本 なるほど。個人のレベルだけでなく企業レベルでも、このコロナ・ショックが自らのあり方を見直す機会になっていますね。振り返れば、グローバリゼーションがいくところまでいった反動として、ナショナリズムが世界中で台頭する渦中、感染症の発生によって「国境で食い止めなきゃ」という話はその追い風になります。

一方で、グーグルやアマゾンなどGAFAと呼ばれるグローバル資本主義プレーヤーが、すでに一つの国民国家よりも大きな力を持っているという現実がある。今回のような危機を経て、彼らのような「帝国」がビジネス のためだけでなく自分たちの生存のために二次産業・一次産業もやろうとなれば、本当にある種の国家に近いものを作り始めることになりますね。

そんな中、宗教というものにどんな役割があるのか、考えています。

第2回へ続く

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