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連載:人とお寺のあたらしいディスタンス vol.6「コロナ禍における弔いの場づくり」河野清麿さん

こんにちは。未来の住職塾の遠藤卓也です。

ポスト・コロナのお寺の場づくり」をキーワードに、全国各地の僧侶にお話しを伺っていく連載「人とお寺のあたらしいディスタンス」。第6回は大阪府大阪市 遍満寺 の河野清麿さんにインタビューしました。

会えばいつも笑かそうとしてくる、ザ・大阪人な河野さん。そのお人柄をあらわすべく、今回はとにかく "あの関西弁の感じ" がでるようにがんばりました(笑)ニュアンスが違ったらごめんなさい。
河野さん流の「お弔い」は、いつかご遺族がまた笑えるようにと、知恵と経験を総動員で最大限に寄り添います。コロナ禍によってお別れの現場が様変わりし、その必要性は更に高まっていると感じました。

インタビュー:河野清麿さん(大阪府・遍満寺)「コロナ禍における弔いの場づくり」

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プロフィール:河野清麿
1970年(昭和45年)生まれ。大阪府大阪市出身。大谷大学卒。高野山大学別科スピリチュアルケア学科修了。浄土真宗龍法山遍満寺副住職。認定臨床宗教師。大学卒業後。実家の寺院を手伝いながら、青少年育成事業・国際短編映画祭運営・映像制作に従事。近年は「葬儀専門職とのチームケア」「デスエディケーション」を意識した寺院葬を展開中。

遠藤 河野さんは未来の住職塾 一期生ですから、2012年以来のだいぶ長いお付き合いになりますね。2019年の 未来の住職塾NEXT R-1では、遍満寺を大阪クラスの会場にさせていただいていたので頻繁にお会いしてましたが、昨年はコロナでオンライン化となったのでご無沙汰でした。今日はZoomでの再会ですが、早くまた駅前のあの居酒屋で一緒に飲みたいです(笑)

河野 せやな(笑)

遠藤 遍満寺にお伺いするときは、最寄りのJR姫島駅で「着きました!」とメッセージをおくると、お檀家さんの月参り(月命日のご自宅でのおつとめ)を終えて、自転車をこいでお寺に戻ってこられる河野さんのお姿が印象にのこっています。コロナで月参りも減りましたか?

河野 先代であるうちの父は「仏事は不要不急ではない」と言って、阪神淡路大震災の時でも月参りに行ってたからね。祖父は戦争中でも行ってたからね。やっぱりその積み重ねがあるから、去年の緊急事態宣言の時に僕もドキドキしながら行ったけど、ほぼ断られなかったし、今(2021年1月)も断られていないからね。

遠藤 ご高齢の檀家さんの場合、戦時中や震災の時のことを覚えていらっしゃるのかもしれませんね。

河野 もちろんそのお子さんとかから断られる場合は行かへんけど、それでも僕を呼んでくれるおばあちゃんからは「娘には外出するなと言われて、仕事から帰ってきても “もしもうつしちゃったら嫌だから” といって晩ごはんも一緒に食べてくれない。出ていくなって言われてるから、昼間は私ずっとひとりやねん。食事くらい一緒にしたいわ」という愚痴をこぼされたりね。だからみんなよう僕と喋ってくれるし、コロナ前よりも月参りの時間が長くなって、一時間くらいおることもあるで(笑)

遠藤 それは手厚い(笑)しかしコロナによって高齢の方が孤独になっている状況はありますよね。

河野 他の話だと、正月明けにうちのお寺の檀家さんじゃないおばあちゃんが訪ねてきて「これ、四天王寺さんで去年いただいた御札なんやけど、焼ける?」って聞かれたの。

遠藤 遍満寺は浄土真宗だから、お焚き上げはやらないですよね。

河野 そう。うちは祈祷寺じゃないんだけど「でも、どうしたん?」って、一時間くらい話をきいたの。どうやら普段はお正月に娘さんと四天王寺さんに行って御札をお焚き上げしているけど、娘を誘ったら “今年はコロナだから、四天王寺さんに行って迷惑をかけたら申し訳ない” ととりあってくれない。そういう話から始まって「夜中にうちのインターホンが鳴るのよ。それで画面を見ても誰も写ってないのよ」って、そのおばあちゃんが言うねん。ヘルパーさんにも相談するけど「ヘルパーさんがいるときは来うへんのよ」って。それはもしかしたら幻聴かもしれないと思いながら、ずっと聞いてると最後は「最近、娘が会いに来てくれなくて寂しいわあ」っていう話になって。結局、遠藤さんが言うように、寂しいのだろうね。その不安が、表面的には「御札をお焚き上げしなくては」ということに出たんちゃうかなあ。

遠藤 娘さんは気をつかって、外出を避けさせたり、会いに行ってないのでしょうけど、そのことでお母さんは孤独や不安を感じていらっしゃるのでしょうね。

河野 それで僕は、祈祷の力はないしそういう宗派でもないけど「御札焼くからお寺で一緒にお参りせえへん?」て言ったの。
「でもその前に、このことはちゃんと娘さんに伝えてな」って、その日は帰ってもらったら次の日に娘さんと二人で来てくれて。

遠藤 へー、それはなんか嬉しい!

河野 それで娘さんにも同じようなお話しをしてYESをとって、3人でおつとめしたのね。そうしたらその翌日にもおばあちゃんがわざわざお布施を持ってきてくれてさ。

遠藤 すてきな交流ですねえ。おばあちゃんは娘さんにも会えて嬉しかったとおもいます。

河野 うん。娘さんも一緒に来てくれたということは、心配なさっていたんだろうね。
結局こういうことやね。ちゃんと話を聞いて関係性をつくって、一緒に手をあわせて「できましたよね」っていう。ファシリテーションのやり方と一緒やなあと。

遠藤 ご高齢の方や、身近な人を亡くしたご遺族の不安や寂しさというのが、コロナ禍で一層深くなっていると感じます。河野さんがこれまで学んだグリーフケアやファシリテーションの知識や技術を活かす場面も増えているのではないでしょうか。

河野 このおばあちゃんは近所に住んでてたまたまうちに飛び込んできてくれたから良かったけど、さみしさを抱えている人はお檀家さんの中にもいっぱいおるからね。だから月参りでお宅に行って他愛もない話をするんだけど、その中で「わたし死んだらよろしくね」と言ってくれる方も最近は多いからね。僕は明るく「わかりました!」って答えて(笑)
お寺として何かあたらしいことをやっているわけではないけど、一人ひとりに信頼してもらって、関係性をつくることが今一番大事だと思ってやっていますね。

病院へお見舞いできない中での別れ

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遠藤 遍満寺ではコロナ以前より、お寺で葬儀を行なう「お寺葬」に力をいれてきましたよね。

河野 3年前に、元葬儀社の人と組んで一緒に遍満寺ならではの葬儀の形を作り出しました。最初から設備投資などはせずにお寺にあるものを活用して、リーンスタートアップのようなやり方で会社も作らずにトライ&エラーを繰り返してきました。

遠藤 コロナ禍で葬儀も家族だけで小規模で、という流れがあるので「お寺葬」は時代のニーズにもあっていると感じますか?

河野 うん。2020年の11月からこの1月にかけて、檀家さんの50%がお寺で葬儀をやってくれたからねえ。今はコロナやから病院にお見舞いに行けないでしょう。家族や親戚が亡くなりそうになっても会えないんですよ。

遠藤 よくわかります。私も去年の10月に伯母が病気で亡くなったのですが、やはりお見舞いに行けませんでした、、、。

河野 テレビ等でなんとなく病院の現状は知ってても、いざ自分がそうなったら「えっ、どうしたらいいの?」って悩まれるようで、お寺に「母が入院して、もし何かあったらお願いします」って相談があるんです。それで電話がきたら、すぐに駆けつけて安心させてあげるようにしていますね。こんな中でもお葬式したら20〜30人は来るからね。
やっぱり、お別れしたいのよ。ひ孫まで20〜30人くらいお寺にきて、密にはならないように配慮してお寺葬をやっています。ちゃんとお別れできるように。

遠藤 遍満寺の本堂は天井高いですし、窓も大きいので換気が良さそうです。

河野 葬儀のときにご遺族はお寺に泊めない約束だったんだけど、コロナで会えなかった分「母のそばにいさせてください。泊めさせてくだい」って言われてさ。事情を聞いてたら泊めさせてあげたいなって思っちゃって、承諾したらご家族が代わる代わる4日間も泊まられました。寝袋を買ってこられて毎日ローテーションやってんけど、僕はひとりやん(笑)

遠藤 ちょっと大変です(笑)

河野 4日間ずーっと付き合って、朝のお勤めと夜のお勤めと話聞いてさ。一族全員とむっちゃ仲良うなったで(笑)

遠藤 そんな機会はなかなかないですからね(笑)

河野 少し大変やったけど、これがお通夜やな、って思った(笑)亡くなったお母さんのエピソードもむっちゃたくさん聞けたし。それでむっちゃいいお葬式、できたよ。良い弔いができた。

遠藤 それはむっちゃいい!ですねえ。
今は病院で亡くなる直前の時に会えないから、その反動もあって「亡くなってから一緒にいたい」という気持ちがより強くなっているのでしょうね。葬儀は簡素化していくどころか、思いが強まって深化しているように感じられるエピソードです。
とはいえ、普通は葬儀会館に4日間も泊まることはできないですから、お寺をこれまで支えてくれている檀家さんのためだからこそ、対応できたことですよね。毎回そうなったら、河野さんの体が心配になってしまいますが、、、。

河野 一方で、生活保護を受けている方からのご葬儀の相談もあるんだけど、お寺葬ならいざとなったら僕一人でもできちゃうから。事前に相談してくれたら色々と自分の範囲内で飲み込んでやってあげられます。初動の時にお金に悩まなくていいから、なんなりとできるので。そういうところもお寺葬の良いところかな。
福祉葬として葬儀社にお願いすると葬祭場が隣の県になってしまったりして、80代のおばあちゃんとかは行かれへんからねえ。

遠藤 河野さんにとっての「良い弔い」とはなんですか?

河野 いっしょにゆっくり時間をかけて、つまり「手間をかける」ということ。それで故人をおくるための「場」をしっかりとつくってあげることかな。人それぞれのイメージでの「いいとこ」に、故人がちゃんといったね、と思える時間を過ごすというか。弔うのは遺族なので。
今は共同体がなくてみんなバラバラだから、弔い方がわからないんよね、多分。僧侶の役割って、弔いの見本をみせるということかなって。

遠藤 「良い弔い」だったかを決めるのはご遺族なので、「良かった」と思ってもらえるように丁寧に場を整えたり、やり方を教えるのが僧侶としての役割とお考えなんですね。

弔いのプロセスの物語性

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遠藤 葬儀が終わった後、初七日(命日も含めて七日目に行う法要。近年では式中初七日として葬儀の日に行なってしまうことも多い)も大事になさっていますよね。

河野 自分の母が亡くなった時に初めて初七日の意味がわかったんだけど、葬儀が終わって2〜3日経ったら手持ち無沙汰になってるやん。その時にお寺さんがご自宅へ行って、弔いのやり方はこうやってやるんですよと教えたら「やってみよう」って従えるやん。四十九日や納骨など、今後のプランもたてられるかもしれないし。初七日というのは葬儀のあとに遺族に起こる気持ちの流れを考慮して、昔の人が物語的につくってると思うわ。

遠藤 物語、、、ですか。

河野 うん。人の死に際した遺族の気持ちを物語として捉えると、葬儀の日だけでは終わらへんのよね。亡くなってすぐの枕経から、満中陰(四十九日)までがひとつの物語かなって気がするのよね。
神話の構造」って知ってる?ジョセフ・キャンベルという人がおって、世界中の神話を分析してパターン性を見出したところ「スターウォーズ」みたいな映画の脚本にも共通する構造を見い出したいう。

遠藤 ああ、未来の住職塾NEXTの講義の中で、松本塾長も紹介していました。企業のマーケティングプランを検討する際にも応用されたりするようですね。

河野 あれをね、枕経から四十九日までのプロセスにあてはめてみると、割とばっちり合うのよ。「神話の構造」は ”ゆきてかえりし物語(喪失と回復)” やから、当てはまるんじゃないかなと思って。「死」という喪失から回復していく物語ということだね。

遠藤 なるほど〜。

河野 誰かの「死」という “冒険への誘い” があって、同時に「死」を受け入れられないという “冒険への拒絶” がある。枕経で出会うお坊さんは “賢者との出会い” とみることができるし、納棺、通夜、葬儀、火葬といった “試練” を経て、骨上げは “報酬” ということかな。すると初七日は “帰路”。四十九日は “エピローグ” やね。お坊さんは枕経以降の各章を見守るストーリーテラーという感じかな。

遠藤 面白い。確かにあてはまりますね。

河野 よくある映画の脚本なんかと違うのは、”帰路” である初七日から、”エピローグ” 四十九日までのところ丁寧に導く必要があるということ。映画だと “帰路” はあまり描かれないことが多いけど。

遠藤 日本の昔からの弔いの作法がグリーフケアの視点から有効であるということは聞きますが、世界共通的な神話の物語構造とも重なるわけですね。

河野 だから物語のことは、お坊さんの役割に必要な要素として結構勉強しているつもりです。そうしないとお葬式の全部の意味が成り立たないというか。そもそも物語的につくられているプロセスだからね。葬儀の法話の時に、通夜の意味とか全部説明しながらやっています。わかりやすいばかりが、いいことではないのかもしれないけど。

遠藤 でも、それでご遺族が物語の中に入っていけたら、後悔が残りにくいように思うんですよね。その時は夢中で故人のことを思って、感情を思いっきり出したりとか、それで「きちんとお別れできた」と思えれば、自分は十分におくったと心残りがないお別れになるだろうと想像します。
「神話の構造」的に言えば、お坊さんの導きのもと異界へ行って、戻ってきたという実感が大切ですよね。行く前と、行ったあとで自分の中に起きた変化を感じるでしょうし。それによって悲しみを乗り越えると言うか、、、。

河野 乗り越えるというか、受け止めるという感じやね。おさめるというか。
葬儀の最後に大事にしているのが、遺族を「承認」してあげるということ。皆さんはちゃんと故人を見送りましたね、と。その「承認」を僧侶の権威として、はじめてするの。そこでおさめる、っていうか。

遠藤 お坊さんならではの役割ですね。葬儀社さんにはできない。

河野 葬儀に関しては本当に人それぞれの事情があるから、やっぱり終わった時にこれで正しかったのかと迷いが出るよね。そこで、見えない世界の権威者である僧侶が「よくできましたね」と言ってあげると、安定するように思う。「これで絶対にお葬式のことで後悔することないから」ということを、強めに伝えるということをしているね。
それでも、こぼれる思いがあるやん。そこから初七日とか、グリーフワークが始まるという気がするな。

遠藤 お坊さんがそこまで考えて取り組んでおられたら、檀家さんとしても心強いですよね。

社会状況の変化によって、かわること・かわらないこと

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河野 遍満寺は宗派に属していないお寺だから他のお寺さんの関わりが少ないのでね。それで未来の住職塾に入って、これでいいのか確かめたかったのもあります。葬儀のやり方についてもそうですけど。

遠藤 いやー、でもここまで突き詰めて考えておられる方は、私の知る限りあまり無い気がしますよ。

河野 やったー、遠藤さんに褒められたー(笑)

遠藤 (笑)

河野 なんか贈ろうかな(笑)

遠藤 遍満寺は単立寺院ですし、まわりのお寺の目をそこまで気にすることはないですよね。それが良いか悪いかはご葬儀を依頼する方々が判断することなので、今回のインタビューも一般の方々が読んで「こういうお寺いいなあ」と思ってもらえるなら大丈夫だと思います。少なくとも僕はお話しを聞きながら、そう思ったので。そういう記事になると思います。

河野 ありがとうございます。これからの課題は、このお寺葬をどれくらい広げていくかということやね。このクオリティを保つとしたら、檀家さん以外に広げていくことは難しい。月参りも七日参りもきっちりしたいから。
でも世の中もどうなっていくかわからないし、お寺の運営状況によって、背に腹は代えられないということもあるかもしれない。けど数を増やして質を下げるようなことはしたくないし、そこは悩みやね。

遠藤 社会の状況が変化すれば、当然のごとく求められるスタイルは変わってきますよね。檀家さんの世代も変わっていくでしょうし、コロナの影響で経済も悪くなっていく可能性があったりとか。

河野 不景気になったら、昔みたいに家でお葬式するのが一番費用はおさえられるよね。そう考えたら、お宅に僧侶が行くだけで葬儀ができるとかね。そんな未来があるかもしれない。

遠藤 やり方はその時々でどうとでもなると思います。遍満寺の根本的な「みんなでつくりあげる弔い」によって、遺族たちが安心して生きていけるという状況を作り出す技術というのは、しっかり磨かれていますよね。そのノウハウが宿っているのは人間の部分ですから、その大事なとこを変えずにやっていけば、宗教者の役割としても、世の中の人々の求めとしてもぶれないだろうな、とは思いますよね。

河野 いつかもし僕が金ピカの五条袈裟とかつけて調子にのってたら、注意してな(笑)

遠藤 今日の話聞いてたら、どう考えてもそうはならないでしょう(笑)

河野 じゃあ最後に、今日の僕の話を聞いて何か「もっとこうしたらいいのに」とかあります?

遠藤 枕経から四十九日までの流れは遺族にとって、とても大事なプロセスであることを教えてもらいました。一方で、コロナで亡くなられた方のご遺族はその大事なプロセスを全く飛ばしてしまっている状況なので、やりきれないご遺族が増えているということだと思います。コロナで亡くなられた方の遺族が、後からでも故人との物語を構築できるような方法の開発に期待しています。「物語性」にこだわった葬儀をなさっている河野さんならできると思います。よろしくお願いします!

お寺のこと

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名称:遍満寺(へんまんじ)
宗派:浄土真宗(単立寺院)
住所:大阪府大阪市西淀川区姫島4丁目8

インタビュアープロフィール

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遠藤卓也未来の住職塾 講師。共著書に『地域とともに未来をひらく お寺という場のつくりかた(学芸出版社)』。「お寺の場づくり」をテーマに、IT・広報・イベント制作の分野でお寺をサポートする。また「音の巡礼」というプロジェクトでは「音がつなぐ、あたらしい巡礼の旅路。」をコンセプトに、お経からはじまる新しいご縁のあり方を探求中。
note|https://note.com/taso_jp
Twitter|https://twitter.com/tasogarecords

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