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愛知県民がプロレス会場としてのテレピアホールを語りたいという話

突然ですが、皆さんには「思い出のプロレス会場」と言える場所はありますか?

ひとくちにプロレスファンと言っても試合を語ったり、レスラーに入れ込んだり、
はたまたグッズを買い込んでみたりと様々な種類の方がいらっしゃると思いますが、
その中でも一際存在感のあるジャンルとして「プロレス会場マニア」と呼ばれるものがあります。
プロレス自体ではなく、プロレスが行われる「箱」(ここで言う箱とはオタク用語の箱ではありません)に対して
情熱を注ぐ人々を指します。有名な所では新日本プロレスの内藤哲也選手もかなりの会場フリークで、
自身のTwitterに試合をした会場の全景を載せています。

このようにプロレス会場に特別な思い入れを持っている人々は沢山居ますが、では彼らにとって
最大の悲しみとは何でしょうか?それは「会場の閉鎖」です。近年では博多スターレーン
札幌テイセンホールなどといった老舗と呼べる会場の閉鎖が老朽化等の理由により相次ぎ、
プロレスファンを多いに悲しませたものです。

そろそろ本題に入ります。

今回は自分の心の故郷とも言っていい、かつて愛知県プロレスファンの聖地(これは私が勝手にそう呼んでいるだけです)
と呼ばれた場所を紹介しようと思います。それは「テレピアホール」と呼ばれる貸しホールです。

中部地方のローカルテレビ局である「東海テレビ」が管理しており、2014年に貸しホールとしての役目を終えたビル施設です。

では、何故このテレピアホールが私の思い出に深く刻まれているかについて語っていきたいと思います。

テレピアホールは片側が斜面になっており、備え付けの椅子席が500席程度設置されているホールです。
小規模ながら交通の便の良さもあって多数の団体が興行を開催していました。

上記のサイトはプロレススケジュールサイト「プヲタスケジュール」というもので、
これから行われる興行の他、過去の興行もアーカイブとして残っていることが分かります。
ログが残っている2011年を見てみましょう。

1月、3月、4月、5月、7月、10月に興行が行われているのが分かります。
(ほとんどドラゴンゲートですがこれには理由があり、東海テレビとドラゴンゲートは
番組をたまに放送する関係にあったことがテレピアホールを拠点にしていた理由だと考えられます)
もちろんドラゴンゲートだけではなく他の団体も利用しており、団体側と観客側の両方から
ニーズがあったと言えるでしょう。

定期的に興行が開催されている、ということは必然的に熱が高まりやすいことに繋がりますね。
私が観に行っていたときはどの興業も非常に熱気があったことを覚えています。
そして試合後はロビーの売店でグッズ販売を行っている選手と気軽に会話したりというアットホームな空間。
もちろん大会場でも選手とのトークは楽しめますが程々の人数のほうがストレスもたまらず楽しめる、
というのはプロレスファンの方なら経験されているかと思います。

さらに興行終了後はビルに入っていた1階の喫茶店で、適当なドリンクを頼んだりして
その日の興行を振り返ったり夢想してみたりする時間が堪らなく愛おしい時間に感じられたものです。

最近では「トキ消費」というオンリーワンの時間・空間を楽しむという時代の潮流があります。
今思い返すとプロレス会場でプロレスを見てプロレスについて考えるというのはまさにこの
「トキ消費」ではないのかなと考えます。

プロレスラーと同様にプロレス会場も永遠にそこに存在する施設、という訳ではありません。
極端な事を言えば格闘技の聖地・後楽園ホールだって採算が取れなければ閉鎖になってしまうかもしれない。
つまりこの時代に我々プロレスファンが出来ることは行ける限りの会場には行き(県跨ぎはなるべくやめましょう)、
プロレスラーには惜しみない拍手と地団駄で答えてあげましょう(地団駄はダメな会場のほうが多いです)。
こういうご時世だからこそ有観客の有難さというのを選手たちが一番感じていると思いますよ(体調が悪いときは家で観戦!)。
会場の話から観客の話に逸れてしまいましたが、それだけプロレス会場は観客と選手が一体になる空間だ、という事で一つ…。

おわり

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