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92歳、現役農家が語る有機栽培へのこだわり。長年愛される秘訣は、健康への思いと丁寧さ。 ー 山口県熊毛郡平生町のまち自慢

瀬戸内海に面し、イタリアに似た温暖な気候が特徴の山口県平生町。この町にあるひらお特産品センターは、持ち込まれる野菜に対し町独自のガイドラインを設け、安心な野菜を提供しています。
ガイドラインの基準は、栽培された過程がわかるように一つ星から三つ星までに分けられています。その中でも有機質肥料で栽培・農薬と化学肥料不使用で作られるのが、最高位の三つ星野菜。
今回、三つ星野菜を長年作り続ける御年92歳の現役農家、弘津義行さんを取材しました。




弘津さんと三ツ星野菜の歴史

弘津さんが本格的に野菜を作り始めたのは56歳の時。当時国鉄に営業職として務めていましたが、昭和62年、国鉄が民営に変わるのと同時に退社を決め、親の跡を継いで農業を始めたといいます。
一方、平生町の三ツ星野菜は弘津さんが農家になる少し前の昭和50年ごろから、栽培されていました。平生町の有機野菜栽培がはじまったきっかけは、当時平生町長を務めていた松岡さんの「健康のためには、無農薬野菜を育てるんだ!」という一言から。そのころは、全国的にも有機野菜の栽培は珍しく、全てが手探りだったといいます。もちろん化学肥料を使っては有機野菜になりません。そのため試行錯誤を重ね、牛糞や牡蠣殻から自然肥料を作ったり、土壌を整えるところから始まりました。

長年の試行錯誤と作り手の手間ひまが合わさって作られる平生町の有機野菜。それらが有機野菜として認定されるのもまた、簡単な道のりではありません。中でも、三つ星野菜に認定されるには、3年の間農薬を一切使用してはいけないのです。
こうして厳しい基準をクリアし、丁寧に作られた野菜だからこそ、長年愛されてきた歴史があります。
しかし、育てるのにも大変な三つ星野菜を弘津さんはどうしてここまで作り続けてきたのでしょうか。


やっぱり、健康が第一だ。

弘津さんが有機栽培にこだわる理由。それはシンプルだけど重要なことでした。
「毒薬を飲むよりは、飲まないほうが良い。」弘津さんは今日に至るまで、食べる人たちの健康のために野菜を作ってきたのです。
弘津さんがそう強く思ったきっかけの一つに、ベトナム戦争がありました。
ベトナム戦争では、密林に潜む兵士らを攻撃し、農作物を枯らし飢餓状態にすることを目的に枯葉剤(除草剤)が散布されました。その影響は、罪のない多くの子どもたちにも及びました。
その事実に衝撃を受け、なるべく農薬は使わずに美味しい野菜を届けたいと思ったそうです。


弘津さんが育てる三ツ星野菜

「農家ってのは休みはないね〜」と笑顔で語る弘津さん。現在ではハウス栽培も行っており、通年を通してさまざまな野菜を育てています。そしてそのほとんどが二ツ星以上の野菜。
中でも栽培が難しいのはキャベツだと言います。キャベツは虫がつきやすいため、種を蒔いてから収穫するまで通常30回ほど農薬を使わなければいけません。弘津さんは農薬の使用回数を極力抑えるため、栽培時期を調節したり、虫が来ないようなハウスを作ったりと虫除け対策を丁寧に行っていました。


形が悪くても、美味しさと健康のために

無農薬で作られる野菜だからこそ、その形は個性豊かです。中には歪な形のものもありますが、その美味しさは変わりありません。
「真面目にやっていたら、みんなが認めてくれる」そう語る弘津さんは今日も、食べてくれる人の幸せと健康を願い野菜を作り続けています。


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