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「東洋町のために」活躍するポンカン農家

今回、海の駅東洋町地域おこし協力隊の林が、高知県東洋町でぽんかん生産に取り組まれている株式会社フクチャンFARM代表取締役の山下龍造さんと奥様の美紀さんにインタビューしてまいりました!

〈山下龍造さん・美紀さんご夫婦〉

高知県東洋町は、サーフィンとぽんかんの町

高知県の果物といえば文旦やゆずが有名ですが、ぽんかんも、全国2位の生産量を誇っています。その中でも東洋町はぽんかんの県内最大の生産地です。

ぽんかん農家山下さんご夫妻

そんな東洋町にて、フクチャンFARMが運営する農園の広さは合わせて、2haを軽く超えるため、収穫時期にはアルバイトさんを雇用し、会社総出で収穫にあたります。そうして収穫したぽんかんを、海の駅東洋町を中心とした県内外の直売所や農協で販売するだけでなく、加工品も製造し「ぽんかん=東洋町」のイメージ作りに貢献されています。

お二人のストーリー

本日はよろしくお願いします。まずはお二人のこれまでの経歴を教えてください。

 龍造さん「東洋町生まれ東洋町育ち、ご実家の建設業を引き継ぐために高校卒業後約3年間町外で修行を積み、22歳の頃からご実家の建設会社に戻ってきました。」美紀さん「私は徳島県小松島市ご出身で、結婚を機に東洋町に移り住みました。今は、甲浦港の近くで居酒屋を営みながらフクチャンFARMもやっています。」


現在は、ポンカン栽培の他にもお二人で建設・ゲストハウスや居酒屋をされていらっしゃいます。

“町の賑わいを取り戻す”ぽんかん事業のきっかけ

〈ぽんかんの収穫の様子〉

いつも海の駅でお会いした時など山下さんのお話の中には、「東洋町といえばぽんかん」という言葉が度々登場します。どういうきっかけでぽんかん栽培を始められたのですか?

ポンカン栽培を始めるまでに、家業である建設業や、奥さんが切り盛りする居酒屋を経営してました。そんな中で、建設業・居酒屋ならではの経験から着想し、町の特産であるぽんかんの栽培を当時耕作放棄地だった場所を買い取って始めました。農業に関して全くの素人だったので高校時代から親交のあった”師匠”に相談し、教えてもらいながらスタートさせました。東洋町も他の地域同様に担い手不足でぽんかん農家が減少しています。それに伴い町の特産が衰退していくことで街全体の賑わいも失われているように感じていました。生まれ育った東洋町の活気が失われることに強い危機感を抱いていたので、特産品であるぽんかんをなんとか再興させ、街に賑わいを取り戻したいと思い、ぽんかん栽培に参入しようと決意したんです。奥さんには大反対されましたが。。。。笑(美紀さんはご実家でみかんの栽培をされておられたので農家の大変さを幼い頃から感じていたそうです。)

ここでもやはり、「町のために」という思いを軸にぽんかん栽培をはじめた山下さん。その思いは、ぽんかんの栽培を通じて多くのつながりを生み、法人化し事業として生産・加工・販売を行っている現在でも変わっていないようです。 

〈建設業の様子〉

先ほどのお話の中で、建設業ならではの経験が、ぽんかん栽培にも関係してるとお聞きしましたが、もう少し詳しく教えていただけますか?

 家業である建設業を継ぐために22歳で帰郷し、町内の土木工事を中心に事業を展開してきました。今となっては、いろんな事業を始めましたが、建設業で培った考え方が自分に染み付いており、私の生き方の中心に建設業があります。計画すること・考えることが得意なのは建設業で培った設計思考の影響を強く受けています。

これまで、町内の様々な企画や事業に貢献してこられた龍造さんは「大義」を大切にしておられるそうです。「なんのためにやるのか」をしっかり設計してから行動を起こすことが、建設業のご経験から身についており、その多くの目的は「町のため・人のため」になることがほとんどです。これまで手がけてこられた複数の事業が、「東洋町に賑わいを取り戻す」という大義に紐付き展開されています。

人が集う憩いの場・出会いの交差点を目指すふくちゃん

〈居酒屋ふくちゃん〉
〈新鮮な魚料理がたくさん楽しめます!〉

現在美紀さんが運営されている、「旬鮮魚菜 ふくちゃん」はどういった思いから始められたんですか?

ふくちゃんは、いろんな人が出会う交差点になりたいと思って運営しています。元々東洋町は、飲み屋や夜集まれる場所がなく夫の友人が自宅に毎日のように集まってきていたので、料理が好きな私が振る舞っていたんです。そして、観光に来た人が美味しい魚を食べることのできる店がないことに気づき、飲食店として運営するようになりました。
 せっかくあの場所でやっているからには、町の人・観光に来た人、高齢者から子供まで、いろんな人が集う憩いの場になって、そこから何かが生まれる、出会いときっかけの交差点であり続けたいと思っています。

ふくちゃんには、毎晩のように老若男女・地元常連客だけでなく観光客も集い賑わっています。東洋町にお越しの際は、東洋町の味を求めてぜひ旬鮮魚菜 ふくちゃんへおこしください。

ご夫婦お二人で町の“チカラ”を生み続けているお二人は、これらの経験とこの街への想いを形にするため、2018年から町の特産品ぽんかん栽培をスタートされました。

「東洋町=ぽんかん」PRのために

〈収穫時期には店頭がぽんかんで埋まります〉

「東洋町といえばぽんかん」このイメージ作りのためにフクチャンFARMのロゴには、“東洋町”の文字が入っています。そしてテレビや新聞などのメディア出演の際には必ず「東洋町のぽんかん」を必ずアピールすることを意識しておられるそうです。それだけでなく、現在は、直売所・オンラインストアもオープンさせ加工品も販売しているとお聞きしました。加工品はどのようにして製造しているのでしょうか。

 東洋町に一番人が来るのは夏の時期ですがぽんかんの旬は、1月から2月。アピールしているのに夏に来てもらっても商品が食べられないので、最盛期以外でもぽんかんを味わうことができるようにと加工品の製造・販売を始めました!
 今では、町内の他の生産者さんから市場や直売所には出荷しない商品(見た目が原因でB品に分類されたもの)を買い取り、加工もしています。少しでもぽんかんの価格を守り継続して栽培を続けていけるように仲間を集めて頑張っています。

 このインタビュー翌日には、加工施設を持つ馬路村に約20トンのぽんかんを出荷し、搾汁を行いました。今年絞ったぽんかんはジュースなどに加工され4月以降に販売される予定です。お求めはこちらから(リンク)

50歳まで頑張る。次世代に繋ぐ想いのバトン

山下ご夫妻は、現在自社の直売所だけでなく、県内外各地の直売所や農協などにも商品を出荷し、東洋町産ぽんかんのPRを続けています。東洋町のためにと全力で駆け抜けてきたお二人の今後は何を目指しているのでしょうか。

これまで、今ある事業に全力を出し切ってきました。ここから先本心はリタイアしたい。しかし、次の担い手が見つかっていないのがこれからの課題です。ここから先は、「次世代に繋ぐ」これが2人のテーマです。新規就農を支援する仕組みや、補助等を活用して農地を継承する人を育てること。町の産業や観光をリードする人材を見つけること。ここまでなんとか私たちが繋いできたバトンを次の世代に繋いでくれる人に私たちの持てるノウハウや知恵を提供していきたいですね。

こう語る龍造さんは、今年で47歳。50歳でリタイアするとおっしゃっています。(笑)あと三年。とは言わず、この町のため、この地の次の時代のためにもう一踏ん張りしていただきたいです

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