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ハルジョオン ヒメジョオン

子供のとき、びんぼう花と呼んだりした。
大人になって調べたら、「庭の手入れもできない貧乏な人の庭に咲くことからきている」という説を見つけたけれど、その庭もわたしは持っていない。

「ハルジョオン ヒメジョオン」はユーミンの曲だ。
夕方のさびしさに満ちている。
「わたしだけが変わりみんなそのまま」と歌うけれど、わたしだけが変わらずに成長もせずに取り残されているような気持ちになる。

朝、野道を歩いていると、子供の頃の感覚が戻ってくる。土や落ち葉の上を歩くからかもしれない。木の根に躓いたり、草や花の匂いを嗅いだりするからかもしれない。

そこでハルジョオン(なんと呼ぶにしても)をみて、久しぶり、と思う。ありふれた、好きでもない花だったのに、よく見るときれいだ。蕾もかわいい。写真を撮る。

それは歳をとった人の感覚かも、と思いかけて、思い直す。二十代のころ、道端にしゃがんで、花や落ち葉を撮影していた自分を思い出したからだ。
近所の人に「なにを撮っているんですか」と聞かれて「落ち葉です」と答えた。もちろんスマホはまだないどころかデジカメもないころのことだ。

歳をとったからでないなら、最近見かけなくなっていたものに、希少価値や郷愁を感じているのかもしれない。きっとそれだ。わたしは変わらないのに、まわりの環境が変わってしまったからだ。

夫はぽつりと「道端がなくなったからね」と言った。
道端。朝のごみ拾いを始めてから毎日、道端を見ている。気をつけて見ている。そこにはいろいろなものが落ちているが、動物や植物が生息してもいる。名前をおぼえる。身近になる。ただそれだけのことだけれど、その一日がととのう。

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