見出し画像

コロナってなんだろね

「新型コロナウイルス感染者が過去最多を更新しました」
という言葉をこの約2年間で何回聞いたことか。
それでも、この言葉の意味合いは、その時期によって重みが異なる気がする。
今でも忘れない。
第1波と呼ばれる時、東京都の最大値は463だった気がする。
間違っている気もする。
それと比べたら今の数値は当時想像もできないようなもの。
いつかはコロナに関して、考えとかまとめたかったから、今やってみようと思う。
というのも、間接的に影響を受けることが今起きているから。
職場で上司が濃厚接触者となり、ここ数日は少し忙しくなりそうだから。
自分は専門家でもないし、いち人間として、日々思うことをいくつか書いてみようと思う。

自己責任論?

新型コロナウイルスに罹患することは、悪なのでしょうか。
流行り始めた時、確かに悪者扱いされた人たちがいただろう。
罹患するのは、遊びほうけていたからだ、とか。
でも、おそらく、きっと、なりたくてなっている人は少ないだろうし、自分は、罹患した人は基本被害者だと思っている。
だから、罹患した人を責めず、その人たちの健康を無事であるように祈る。
偽善者だと思われようと、少なくとも身近でなった人たちの健康を祈っている。

飲み会

コロナが来る前、職場では歓送迎会、忘年会、同期会などがあった。
それ以外にも、自分は会を主催していたり、バンドをやっていたり、旧友と会ったりと飲む機会がしばしばあった。
平均して、月1回ぐらいだろうか。
それらは全てなくなった。
唯一、昨年末、東京都の感染者が2桁を切ろうかというぐらいの時、学生時代の仲間を集めて飲み会をやったぐらいだ。
飲み会とは違うけれど、二人の親友の結婚式は延期になった。
飲み会が無くなったということは、それだけ、様々な人たちと出会う機会、話を聞く機会が無くなってしまったということだ。
その分、お金や時間を何か新しいことに回せているかと言えば、そうでもない。

仕事

一番影響を受けたのが仕事だ。
職種は、言えない。
つまり、なかなか言えない仕事をしているということだが、もろに影響を受ける仕事であることには間違いない。
様々な会場を設け、そこに応援で派遣されることがある。
これは、仕事が絶対的な数値として増加したものであるが、相対的な数値としても増加したこともある。
それは、職員が感染者、濃厚接触者になり、一人あたりの負担が増えてしまうということ。
幸いにも、自分は感染者にも、濃厚接触者にもなっていないが、周りがなった。
まさに今も。
自分にできることは、先ほどの祈りと自らの体調を万全にして、仕事に従事すること。
大変だけど、やるしかない。

デート

コロナによって一番考えさせられたのがデートだ。
自分が恋人と会うようになったのは、コロナ前の夏。
そもそも会う頻度は多くなく、1~2か月に1度ほど。
これは今でもそう。
ライブを見に行ったり、美術館に行ったり、映画を見に行ったり、二人とも一人暮らしを始めたり。
コロナの第一波前後、某アウトレットにドライブで行った際、その人の少なさの快適さは今でも忘れない。
それでも、デートを控えようという時期もあった。
3か月ほど丸々会わない時もあった。
そういう時は、電話で話した。
お互いに今困っていることとか、最近見聞きしたものとか、コロナについての考え方とか、いろいろ話した。
お互い実家に住んでいた時、感染者が増加した際には、周りへの影響を考え、話し合ってデートを延期することもあった。
デート直前のことで、恋人に謝られた。
でも、悪いのは、悪いのはね、きみじゃないよって。
そして、その時会わなかったからといって、何かが変わるわけでもないよって。

書き忘れたことがあった。
自分の趣味に、旅行というのがあるんだけど、これもまた大いに影響を受けた。
でも、去年、恋人と夏に旅行へ行った。
付き合い始めて2年ぐらい経った時のこと。
身近な人でコロナの影響を最も受けたのが母だった。
コロナの第一波が来る際に、バンド練習に行ったら、母が怒り、数日口を聞いてもらえなかった。
母は非常に敏感である。
出かける際には、常に母の了承を得るようにした。
その中で、去年の旅行についても、母に話し、反対されるかと思ったが、あっさりと了承を得られた。
母は常に自分に言う。
「お前が幸せなら、それでいい」と。
恋人との旅行は、自分の楽しみ、そして、恋人の楽しみ、さらに、母の想いがあってできたこと。

2022年8月。
自分はまた恋人と旅行に行く。
安全策として、自家用車で旅行先に行く。
行ったら写真でも載せて報告するけど、非常に楽しみ。


「コロナだから」
「コロナだから」
「コロナだから」
と、様々なことが制限される中、節度を守って、適度に出かけることはよいことだと思う。
いくら予防していても、罹患する人は罹患するし、罹患しない人は罹患しない。
だからと言って、一般的なマナーとされることは、もちろん守る。
ある程度のマナーの中で、自らの欲望を満たすということ。

「コロナでも」
「コロナでも」
「コロナでも」
と変換していくこと。

健康について前に記事を書いた。
「好きな時に、好きなことを、好きなようにできる状態」を自分は健康と定義した。
自らだけでなく、身近な人たち、
そして、
この記事を読むあなたたちもまた
健康でありますようにと。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?