死んでしまった人達_太宰治編

おはようございます。私は珍しく早起きというものをしてしまい、まだ音のない部屋でキノコスープを飲んでいます。来月からニートになる私は、一人暮らしの東京の地を離れ、一ヶ月ほど実家でゆっくりと過ごしたいと思っています。この歳になって、こんなにものんびりとした日々を過ごす事になるなんて、10代の頃は思ってもいませんでした。無念なのでしょう。

さて、今回のテーマは「死んでしまった人達_太宰治編」です。もう現存されてない方ってある一種の神秘的魅力がありますよね。人生という物語を完成させてしまった事への安心感。そしてまるで死後強まる念(ハンターハンターファンです)のような拍車がかる名声。もしかしたら批判が登るかもしれないのですが、特に自死や若すぎる死に対し、私は強い憧れを持っています。このテーマはシリーズ化していけたらいいなと考えています。

さて、みなさん、太宰治の人間失格はご存知でしょうか?きっと聞いたことはあることでしょう。私は中学生の頃、国語の授業で走れメロスを読み、そして大学生の頃、人間失格を読みました。人間失格を読み終えた後、興奮冷めやらぬまま大浴場で、先ほど読み終えた物語とその後すぐに入水自殺した太宰治について、思いを巡らせました。正直に言うと、この時初めて死への憧れを抱きました。とても影響を受けたと思います。

そんなこんなで、太宰治の作品を読むようになり、彼の流れるような文体と滲み出る作者の不安定さに共感しました。また、明るくポップな作品も楽しみました。そしてどうやっても絶望してしまう、自殺に取り憑かれた人について以前よりももっと考えるようになりました。今回はその発端となった太宰治について書かせていただきました。

最後に、国語教師だった祖父が学生の頃に太宰治を愛読していたことを知り、これは遺伝だなと妙な気分になりました。ちなみに祖父は斜陽が好きみたいです。

上手く書けなかったので今後加筆するかもしれません。終わり。

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