私のゆるすぎる推し活の話。

1回文章にしてみたかった私の推し活の話。
人に寄っては「そんなのファンじゃない」と反感を買いそうな気もするけれど。
逆に自分の推し活スタイルに悩んでいる人がいたら、こんなに適当に推し活してる人もいるよ!と知ってもらえればいいなぁと思う。



私はどの推しに対しても非常に淡白な方だと思う。
というのも、私は四六時中推しのことを考えてベタベタしていることが出来ないからだ。
推しのこととはいえ、私が追いたいと思うものしか追わないというスタイルを徹底している。

実際、ラジオやネット配信系のものを私は一切と言っていいくらい見ない。
正直に言うと「わがままな私には向いてないから」だ。



流石にそれは言葉足らずなのでもう少しきちんと説明したい。

これはコロナ禍を過ごすうちに気づいたことなのだが、私は家だとどれだけ推しに触れても推し活モードに切り替わらないタイプだった。
私にとって環境というのはすごく大切なもので、『会場に行く』という行動をきっかけとして、私はスイッチを切り替えてイベント参戦用の外向きの自分になっていたのである。


家で配信を見ているという時の私は、切り替わるタイミングが無いので完全にオフモード。
そういう時の私は父・母・猫以外の全ての生命体を原則受け付けない。

不意に訪れる知人や恋人からのLINEやSNSの通知にすらため息をついてしまうくらい、完全に社会と自分を切り離しているのである。
更に、私は推しに対して『どれだけ好きでも他人は他人』という冷めきった考えで生きているので、推しとはいえ私の生活圏に入ってくることをあまり歓迎できないのだ。



と言っても家で生配信を見るというのは、家で推しの公演のDVDを見るのとそれほど変わらないようにも思うだろう。
私自身もそう思う部分があるのだけど、感覚ではどうしても何かが違うのだ。


具体的に何が違うか。
強いて言うなら、自分が見たいと思った時に見られるか否かだと思う。

DVDは私の気が向いた時にいつでも見ることができ、いつ見始めていつ辞めるか全て私次第で私に決める権利がある。


対して生配信は時間が予め決まっている。
家にいて気持ちが全く整っていないこともあり、「その時間に見なければならない」という義務感が生まれ。
それは楽しみよりもずっと大きく膨らみ、億劫に思えてしまうのである。
これに関してはアーカイブが残されることで解決する場合もあるのだが、アーカイブも見られる期間が決まっていることが多い。
「その期間内に見なければならない」というのが面倒で、結局見ずに過ごしてしまうのである。

これらは、やはり『会場に行く』という言い換えれば私に決定権の無い相手のテリトリー内に入ることでしか解決できない問題なのだ。

また、ラジオに関しては「聞いているだけがつまらん」というとても単純な理由だ。
途中で飽きてしまって、大人しく話だけを聞いていることが出来ない性格なのである。
何かしながら聞けばいいのだが、2つ以上のことを行うと結局なんにも集中出来ず。
二兎追うものは一兎も得ずという言葉どおりになってしまうのだ。



私自身がこれで良いと思ってしまっているので、全くこのスタイルが変わる気配がない。
私は別に推しの全てを知ろうと思わないし、推しのどの瞬間も好きでいようとも思わないから尚更だ。
なんなら推しは推しである前に、1人の人として充実した人生を生きて欲しいくらいに思っている。
好きな人に充実した人生を送って貰うために私はお金を払っている。



生活の出来る限りを推しに費やしている人からすれば、私の推しに対する気合いの無さに呆れ返るかもしれない。
だけど、私は自分が好きでいたいだけ好きでいるということを重要視している。
ここで無理をして過剰に摂取してしまえば、最終的に嫌になる未来しかないことが私にはわかっている。
推し活は無理をして辛い思いをするためにするものじゃないし、人と比べるものでも無い。
自分が良いと思えば良い、「好き」に勝ちも負けも存在しない。


今でこそこんなことを言えるようになったが、Xでの私の軽率な投稿にアツいファンからたくさんのいいねが来るのを見ると心のどこかで「羨ましい」と思うことはある。
だけど、このぐらい引いた気持ちで見ている方が私は自由でいられて推しを嫌いにならずにいられるのだ。

「推しは推せるうちに、推したいと思うだけ推せ」

これが私の推し活の流儀である。(了)

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