髪の毛を切ってきた話。

2ヶ月ぶりに髪の毛を切った。
中学生の頃から髪の毛を洗って乾かすのがとにかく面倒くさいという怠けた理由でずっとショートボブ程度の長さを保ち続けていた。
10年以上経ったある日、いつも通り洗面所で顔を洗って濡れた顔を拭きながら鏡を見て思った。
「今、伸ばしてみたらどんな雰囲気になるのだろうか」と。 

考えてみれば、切るのはいつでも出来ることである。
それなら試しに伸ばしてみても良いのではないか。
人生で1度くらいはポニーテールもやってみたいし。
そんな思いつきで、私の今の髪型はロングに片足を突っ込んでる位の長さになっている。



昨日は余分に伸びた分を切りに行った。
髪の毛を切ってる途中シャンプーに向かう時、床に切られた私の髪が大量に散らばっているのを見て「おぉ、私の残骸だ」と思った。



普通に生きていると、あまり自分の残骸を見る機会というのは少ないと思う。
耳垢とかそういう体から排出されるものは色々とあるが、それは自分の体にとって不必要と判断されて排出されたものである。
いわゆる、体にとってはゴミなわけだ。


だけど美容室で切り落とした髪はそうでは無い。
ある程度経って勝手に抜ける髪の毛以外は不必要というわけではないし。
あくまで自分の好みに合わせて切った髪は、そういう体にとって不必要なゴミとは違うものだと私は思う。
そう考えた時、美容室の床に散らばる黒い物体とは数少ない自分の残骸なのだと思った。


ついさっきまで生きている私の頭に生えていた髪。
ハサミに切られてハラハラと床や着せられたクロスに散らばっていく髪の毛、目に見えて現在から切り離されて過去になったものだ。
切られてもなお艶がある残骸は、まだ息があって生死の境をさまよっているように思った。
切れたトカゲのしっぽのように、過去の私がピクピク動き回るなんていう恐ろしい想像も少しした。



そんなホラーチックな思考に入りながらシャンプー台に設置された椅子座ると不意にMrs. GREEN APPLEの『ライラック』の特徴的なイントロが店内に流れてきた。
イントロに続く大森さんの優しい歌声と美容師さんのプロのシャンプーテクニックが私の暗さをきれいさっぱりと洗い流していった。

美容室で美容師さんと軽快なトークで盛り上がれる人ならこんなことは考えず、自分が美しくなる時間をリラックスして楽しめるのだろう。
私はどうも他人に何かをされていると緊張してしまって、落ち着かせるために自分の深くて暗い思考の殻に閉じ篭ろうとしてしまう。

担当してくださっている美容師さんにお礼を言って店を出た。
頭を触る。
長さはある程度残しているが、梳いて量を減らして随分軽くした。
段をつけて動きも出したから、かなり軽やかな印象になった。
この軽くなった髪型に釣られて、私の中身も軽くなってしまえたなら良いのにとな思った。(了)

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