パリオリンピックが始まった話。

パリオリンピックがついに開幕した。
さほどスポーツに興味が無い私でも、結果にほんの少し一喜一憂している。
だけど、毎日この話題で熱狂しているテレビを見て少しばかり飽き始めているのも本音だ。

7時間の時差のせいで競技結果のほとんどが私が寝ているうちに出て、朝スマホのアラームを止めようと画面を覗くといつから表示されているのかも分からない速報で全てを知ることになる。
その瞬間、自分は現地の熱狂とかけ離れていて蚊帳の外のような気がしてしまうのだ。
前回大会が東京で一切時差なく楽しめたから余計にそう思う。



私は開会式の全てを見られていないが、色んな方向になかなか刺激の強いパフォーマンスが多々あったようだ。
いくつかはSNSなどで切り抜きを見たが、マリーアントワネットらしき人とメタルバンドのパフォーマンスは個人的にはとても良かった。
私の心の中に潜むほんの少し尖った反骨的な部分がこしょこしょと擽られて、思わずゾクリと身震いした。

マリーアントワネット(仮)はいったいなんと言っていたのか、フランス語が分からないので調べるのに時間がかかってしまったがフランス革命の時に市民達の間で歌われた革命歌であることを知った。
興味本位でフルバージョンを聞いてみたが、革命を目指して歌っていただけあって血なまぐささが含まれていた。

彼女が歌っていた『サ・イラ』には2つの歌詞があるらしく。
彼女が歌っていた方はより過激な歌詞の方だったそうだ。
その歌詞は「貴族を街灯に吊るす」というような訳をされている。
確実に吊るされた側のマリーアントワネット(仮)にそれを歌わせる演出をするフランス人に些か恐ろしさを感じたが、それも芸術になってしまうのがあの国の凄いところだと思う。


本日までに、色々なことが起きた。
中でも思い出に残っている…いや、もっと素直に表現すると耳に付いて離れないのは柔道の阿部詩選手の号泣だ。

人目もはばからず泣き崩れる彼女を見て、改めて『期待をされる』と言うのは恐ろしいと私は思ってしまった。
彼女とその兄である阿部一二三選手は前回の東京オリンピックで兄妹同時優勝という偉業を果たし、今年もオリンピック開会前から特にメディアから期待の声がよく上がっていた選手だったように思う。
その風潮に私も乗せられていた。
それだけに彼女のあの姿は出来るものなら見ることなく、笑顔で終わって欲しかった。


期待。それは諸刃の剣だと思う。
それを力に変える人もいれば、重荷に思う人もいる。
彼女がどうだったかは分からないが、私は圧倒的に後者だ。

期待されることも応援されることも苦手。
どんなにポジティブな言葉も「人から注目されているからには良い結果を残さねばならない」と悪い方向に変換されてしまう。
私の体は人々の視線から伸びる見えない繰糸で縛り上げられ、私は自由を失ったように何もかも上手くいかなくなる。 

オリンピックにまで出るような人に私のような人はまさかいないだろうが、自分がそんな人間なので私はあまり他人に期待をしないように心掛けているつもりである。

今回のようなオリンピックなどは周りに合わせて無難に応援する言葉を送るが、心の内は凪のような感覚でいられるように努めたいと思っている。
それが人に重荷を背負わせず、私も残念な思いをしないで済む唯一の方法なのだ。
だけど、あまりコントロールしきれている実感は無い。
無意識下に湧き出る思いを止める方法なんて無いのだろう。

まだまだ陸上などもあり、私が今回最も楽しみなブレイキンも控えている。
1つでも多くのメダルが取れればいいとは思うが、それよりも1人でも多く笑顔で無事に日本に帰ってきて欲しいと願っている。(了)

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