聞こえすぎは別に優れてない話。

私はすごく夏が嫌い。
夏は1番うるさい季節だから。

私は生まれつき五感が鋭く過敏である。
苦手な香りで気持ち悪くなってしまったり。
洋服の繊維が合わなくて着られなかったり。
そんな感じで人よりも過敏で苦手なものが多い。


その中でも特に生活に支障があるレベルに酷いのが聴覚過敏。
突発的な音にビクッとしてしまうし、甲高い音は耳に突き刺さるようで痛くて仕方ない。

音の中でも耐えられるものと耐えられないものがある。
私が最も耐えがたくてどうしようもないのが、破裂音である。
夏は打ち上げ花火があったり、雷が鳴ったり。
破裂音にぶち当たる確率が春・秋・冬に比べて高く、かなり生きづらい季節である。

雷は特に大問題で、私が就職に繋がらない要因の1つとなっている。
私は子供の頃から雷が鳴ると本当に何も出来ない。
学校で授業中に鳴り出したら授業を放棄して、ただ耳を塞いで耐えているだけの子供だった。
自分を恐怖から守ることに必死だった。
だけど、全都道府県の中でも比較的雷が多い地域ということもあって私以外は誰も雷を怖がらず笑われた。

「大人になったら慣れるよ」と周りの人に言われた。
成人してしばらく経った。
全く慣れることはなく、精神的なものが加わってむしろ子供の頃よりも過敏さが酷くなった。

大人は子供の頃のように、夏になっても長く休めない。
私は働ける場所を探すのに大きな制限が出来た。
単純に大きな建物の中で働くことができれば良いのだが、私の地元の大きな建物の中にある仕事はほとんどが接客業。
カスタマーハラスメントでうつ病を発症した私には難易度が高すぎた。


感覚過敏の当事者として思うことがある。
どうして「聞こえにくい」「見えにくい」などは社会的に認めて理解する姿勢が整っていて、過敏はそうでは無いのだろうか。

聞こえない人は助けてあげようと言う世の中なのに、聞こえすぎて辛いという私にはどうして目を向けてくれないのだろうか。
それどころか、私は笑われもした。
どうしてなのか分からなかった。
少しずつ過敏さに注目されるようになった今に至るまで、私はずっとそう思って生きてきた。

でも、実は分かってもいる。
「聞こえにくい」は出来ないからだ。
出来ないはすぐに助けが必要だとほとんどの人がわかる。
私のように「聞こえすぎる」は普通に聴覚が機能していて、その上での悩みだから気づかれにくい。
その上、助け方も分からないから尚更なんだろう。

大切なことを伝えておきたい。
感覚過敏を優れていると勘違いされることは、私にとっては非常に苦痛である。

私は、耳が良いわけではない。
その耳の良さに人生を左右されるほど苦しめられているのだから。
ノイズキャンセリングイヤホンやイヤーマフで、危機を乗り越えられる対処法を覚えた。
だけど、仕事中にそれを付けることを認めてくれる会社は少ない。

多様性社会だと声高に叫ぶなら、本人にはどうしようもない事情だけは理解して誰もが活躍できる社会になって欲しいと切実に思う。

今年の夏は雷が少ないといいなぁ。(了)

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