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2021/10/26 人として軸があれ

!今日は少しヘイトが多めなので、体調が優れない人は読まんとき。

ストレスと聞くと、どうしても悪い方ばかりよぎる。実際は良い面も含む言葉で、食べることだったり太陽に浴びることだったり、そういうのもストレス。

個人的ストレスの捉え方は、多少はいいが過剰に摂取するとしんどいもの、と思ってて、食べすぎたらしんどいし、太陽あびすぎるとしんどい、とかはしなくても分かる。ストレスを特別悪いものとして捉えない人の言い分として進む。

最近ストレスを入れておく箱が毎日maxになる。新しい情報や電車内での他人の距離、馴染んでいない事々は僕のストレス箱に入ってくる。家に帰るともう溢れそうなので、誰にも会いたくない。

が、実家勢の悲しい所、親がいる。当たり前!!なんだが、申し訳ないが親もクソデカストレス源なので、正直一言も喋りたくない。特にそう言う日でもあった。(あぁ...月末近いな。

が、どうしても言うておきたいことを言ったら、話をちゃんと聞く前にあっちが態度を悪くした。ので僕も多少悪態をついた。

詳細なこと書くか迷ったけどまぁ書いとこ。

未来の自分へ。どちらが悪いですかね?

昼ごはんとお弁当の話。母に食べるものを見繕ってもらっている身分で言うのは本当は悪いのだけれど、昼ごはんが僕のオーダーと違う。おにぎりと、小さいタッパーに入った冷凍のおかずでいいかなー、と母に言ったのだが、段々とその小さなタッパーに、ブロッコリーだったり卵焼きだったりが入ってきていた。

僕は冷凍の唐揚げ入れるだけでいいからー、と何度か念押ししていた。んだが、やはり数日後には緑の食べ物を挟み始める。今日は小さなタッパーの中におかずが4つも入っていた。あとピーマン。あああああ、いらない。(野菜は大好きです。

そのタッパーを詰める時に愛情はいらない、ほんとうにいらない。親の気持ち的には頑張っている子供のために、少しでも栄養のある、かつ楽しいものをつくってくれているのもわかる。わかるんだが、そこの努力や労力、愛情を注ぐのだったら自分でやる約束だ。そんな小さなところにものを詰めて、愛を語らないでくれ。もうあんたの愛はいらん。

と思ったので、唐揚げでええんやで、これは弁当やん?と帰宅後フランクに言った。その言葉の後に、いやーお弁当食べたくなってお腹が空くんだわ、と付け足そうとしたら、母が態度を悪くし、喋らなくなり、ぽつりと文句をいうなら自分でつくれ、と言ってきた。

(...いや、僕のオーダー通りにしてくれないなら自分でやるって事前に言ってたし、なんでこっちが腰低く行ってんのに悲劇のヒロインみたいに、自分が悪かったです、と体現しながらも、私をわかってくれない息子、みたいな顔をするんだ?いつもいつもそうだ、あんたは人の話を聞かない。)と言いかけやめ、無視し、風呂に入って今に至る。晩御飯抜き。まぁそれ自体は全然大丈夫なんだが。

母親は僕が口ごたえ(というか意見を言う)だったり、強めの意思を示すと、不機嫌になる。よくここまで自我が芽生えたな。なぜディスカッションをしてくれないんだろうか?ちゃんと僕の意見を聞こうとしてくれない。そんな人間好きにはなれない。

というわけでストレスを書くことによって緩和した。ストレスは新しいストレスで消すことができる。疲れた時の昼ごはんとかね。

甘えてるのもわかる。そも、風呂誰が洗ったんだ?と聞かれると、親です...。と言うしかない。スーツの洗濯や晩御飯にはとても感謝している。が、作ろうか?と聞いてきたのはあちらだからな。僕は作ってとは言っていない。作ってくれていたことに感謝はするが、それ以上をしたことは正直嫌だった。

という話をしたいんだけどね。あーめんど。持論だが20歳ぐらいから親元を離れたくなるようにヒトってできてると思う。あと寝たらストレス箱はほぼ空になります。ついでにサムネは感情絵です。

songs - 人として軸がぶれている/大槻ケンヂと絶望少女達

気分が落ちると絶望先生のよく聞くなぁ。
全巻持ってます。

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