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2021/08/14 それなりに愛がないと怒れないと言う思考嫌い

友達との会話を改めて思考する回。

友達はドラマや映画での怒られるシーンが苦手だと言っていた。理由は単純に「そんなに怒らなくてもいいやん、かわいそうだし」だった。

思い返せばドラムをやっていた友達は、[セッション]と言う映画を好きだけど、もう2度と見ない、と話していた。僕もその映画を見たことがあり、ドラムができない青年にハゲ筋肉の先生が、Fワードを用いつつ罵詈雑言を浴びせるシーンは、なかなかにクるものがある。とても好きだが確かに10年ぐらいは見なくていいなぁとなる映画だ。1回目は本当にオススメ。

人が怒られるシーンは、僕も嫌いだ。でも、物語に絶対必要なら許容する、という感じかなーと。

まず第一、創作物は怒るシーンが多すぎる。1話に1回は怒るシーンが入ってるのではないか?と感じる。ドラマ、そんなに見ていないが。現実世界で怒っている場というのは、創作の世界ほど遭遇しない。自分の主観だが年に数回しかない。怒りっぽい人はいるが、あれは意味がない。でかい声を出したいだけだ。

創作物の人間は何かと怒りやすく、現実の人間はそうでもない、な図は何なんかねぇと思ったけど、物語が動かしやすいから、じゃないかなと。

起承転結を求められる創作物の世界では、物語に山と谷が必要になってくる。そのときに使うのが感情で、とりわけ急な凸凹感情が怒りではないだろうか。喜怒哀楽の怒哀をセットで物語に持ち込むことで、なんとなく平坦ではなくなる気はする。怒られ悲しんだ主人公は、それをバネにして次に生かす、みたいなの何回みたやら。

怒られ悲しむことで人は成長すると勘違いしがちだが、よく考えても、現実の人間は、怒られ泣いた後は嫌々でしか行動は起こせない。怒らないゆるい世界を希望するとは言わないし、現実世界では怒られる事が起きたら、怒られるのが良いと思う。ただ、とってつけたように物語で怒りの感情を見せられても、共感性羞恥なのか、恥ずかしくなってくるのでやめて欲しい。

一旦話のオチどころはついたのだが、書いてる途中で入院した時に、同室の人から怒られたことを思い出した。

部屋は6人の相部屋で、カーテンで仕切られていた。消灯は早く、入院した初日に、僕は眠れずにゲームをしていた。30分ほど洞窟を掘っていたのだが、急にカーテンがあき、知らない男(同室の一人)が立っていた(そいつが開けた。そして「ゲーム、うるさいねん」と言われた。すぐ切って謝った。次の朝、歯を磨く為に手洗いに行こうとするとその男が「昨夜はごめんな」と言ってきた。いえいえ、すみませんでした、と僕が言った。んな話。

確かに僕が悪い話だが、何:何で僕が悪いのだろうか。

自分が非常識だったと、いまだに思っているのですが、今日、相部屋にやってきた年少の人に言うセリフではないと思う。そして、1番嫌なことは、次の日謝ってきたことだ。人に怒るという気持ちよさと、謝ると言う気持ちよさを最短で得てくる感じがとても嫌だった。
相部屋の入院はお勧めしません。すこしお金は張りますが、1人部屋の方が絶対に良いです。僕の場合は空き部屋がなかった。

パジャマの天使 おわり




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