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2022/04/17 死して服をとどめろ

祖父の服をいただいた話 

先月の終わり頃祖父が亡くなった。

さっきの1文から感じとるネガテブなイメージは、この文からは全て無くして欲しい。と言うより、亡くなって、葬式して、今に至るだけで感情が全く動いていない。悲しくも、勿論嬉しくもない。そっか、という感じが近い。

死生学を大学で先行していたから達観しているとか、そういうのは全くなく単純に関係性が希薄だった。

自分の記憶にある中で換算しても、片手超えるか超えないかぐらいの回数しか会っていない。なんでって言われても良く分かんない。家族が会わせてくれなかったのだから。そりゃあ自主的に孫が祖父に会いに行くなんてありえない。...人によるか。

その祖父の後片付けをしに親が土日どっちか家に行っている。銀行のお金から、ケータイの解約まで、色々と大変そうだ。その大変の中の1つに私物の破棄があって、捨てるのも忍びないと服を持って帰ってきてくれた。ビニール袋3つの祖父の服。

僕はそこそこに服が好きで、古着屋もよく行く。ジャンル的には古着屋の服が家に大量に搬入されたようなものだ。古着屋の服と違うところは、これは祖父のものなので他人、ということでは無い。

他人では無いとは言え、5本指ぐらいの回数しかあっていない人は、家族とも微妙にいいづらい。嫌いだったこともないが好きになるにはあまりにも時間が少なかった。親から聞くに悪い人ではなかったようだが。

そんな祖父の大量の服を古着屋のテンションで物色し始めるが、これがびっくり。めちゃくちゃセンスがいい。確か祖父は中々のお金持ちであったようで、確かにこの服たちは育ちが良さそうだ。大量の服とは言え、1枚1枚クリーニングに行っている形跡があり、愛情も感じられた。

いい服をたくさん着回す、という感じなのかほとんどが汚いとは思わない清潔さで驚いた。下手な古着屋よりよっぽど綺麗だ。古着屋でときめくような服がたくさんあり何度も試着をした。家での試着ってのも変な話だが。

全体的に僕より小さい祖父だったので、ちょいちょい袖が足りんなーとはなったものの、総計8着ほどいただいた。

変な話になってくるが、今一番祖父を感じている。かっこいい・かわいい服をくれてありがとう、という気持ちが出てきている。もっと話しとけばよかった、とか、会いたかったな、とかそう言う思いは全くないんだが祖父の人生っていいなって思えている。

100点の今の状態としては、生きている時にたくさん交流があり、その時に今みたいな形ではなく直接譲ってもらえる、というのが綺麗な形だと思う。こんな物色の末の僕の衣装棚行きは、もしかしたらあの世で、あげたくない、と思っているのかもしれない。

けれどもそれが今世生ではできなかった。数年ぶりにあう祖父を棺の中で見たが、こんな顔だったなーと思うような人間に服が渡ってしまった。その失礼さは重々に承知しているが、からこそ、この服たちをなぜか愛してあげたくなった。この流れで僕のものに来る縁のような糸を感じた。

[虎は死して皮を留め人は死して名を残す]という言葉を思い出した。虎は死んで珍しい毛皮を残すし、偉い人は死んで名前を残す、みたいなの。祖父は僕にとって名を残すような人ではなかったけど、たくさんの皮を残してくれた良い人のように思える。もしかしたら果てしない陵辱の例えなのかもしれないが、そんな意味は全くないよ。

僕の皮は死して誰かのものになるのだろうか。衣装棚の方に目をやった。彼彼女らを使って他の人が飾られている様が想像できなかった。

Songs - 夜の踊り子/サカナクション

配信ライブ最高だったね。


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