滅びるのなら虹を汚して
門口の段差で転び手をつくと、見覚えのある色が目につく。
雨の日の夕方に見た虹の色、見たことのある男の服だ。
「大丈夫?」男は言って、かじかんだその左手を私に向けた。
「ええ、まあ」とエノアは応じ立ち上がり、その穏やかな目の奥を見る。
ふと彼が笑ったようで、彼女でも気まずくなって、合わせて笑う。
「怪我はない?」奇妙な服で穏やかに笑う男が、エノアに訊いた。
「ええ、平気」エノアは言って、「じゃ、これで」と敬礼をしてその場を去った。
もっとよく笑えたならば、私にも彼の気持ちがわかるだろうか。
もっとよく話せたならば、私でも彼に気持ちを言えるだろうか。
ぐるぐると巡る連鎖を切るように、大音声のサイレンが鳴る。
この町もあと数日でかの国の汚れた色に染まるのだろう。
気が付くと、左の膝にできた擦り傷の血が、もう固まっていた。
***
国王はせわしなく来る要人の対応に飽き、扉を閉めた。
午後三時、庭園にある日時計の影が門扉に差して曲がった。
「リェークセン!リェークセン公!」国王は苛立ちのまま息子を呼んだ。
「は!父上」貴族然たる大男、リェークセン公とはこの人だ。
半身に鎧をまとい半身は礼装という出で立ちである。
この国で、死にゆく街で、自らも色を残して戦う証。
礼装は虹色に日の光をも映し、左の肩を覆った。
「書簡には何と記した?あのバカに泡を食わせてやったのだろう?」
「”我々は降伏します”との旨を」片膝をつき、彼は返した。
「何だって?お前もバカだ!わからんか!?あんな書簡で国が滅ぶぞ!?」
「…望まない戦いはもうやめましょう」リェ-クセンにも意味はわかった。
しかしなお、彼の言葉は迷いなく、冬の川にも似て透き通る。
温厚であるにも増して冷徹なその言葉には、畏怖が宿った。
王でさえ不思議を感じ、おののいて、「ドンッ」と足を踏みしめていた。
「来客が」侍女が小声で王に言う、リェークセンにも聞こえる声で。
「では僕はこれで失礼。父上は多忙ですから」彼は辞去した。
***
「パカッパカ…」馬の蹄の音がしてやがて男が門戸を叩く。
はばからず、「迎えに来たよ、エノア嬢」穏やかに言い、小さく笑う。
七色の光をまとう半身に、鋼の鎧、顔は知ってる。
「や、やめてよ、その呼び方は」いつもよりエノアの顔は明るく見えた。
「手を、エノア」リェークセンから伸びた手にそっとつかまり、青馬に乗る。
街を抜け、荒れ地を越えて、川を飛び、城が小さくなり、馬はゆく。
「よかったの…?」ふいにエノアは下を向き、つぶやくように言葉をかけた。
その声は風に掻き消え、弥遠く遥か後ろに忘れ去られた。
ふと見ると、左の膝の傷の血が、滲み、滴り、虹を汚した。
*
この記事はミステリーではないですが、あなたにはこの謎が解けるか…?
この記事が参加している募集
よかったらサポートお願いします!