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ライブ、俯瞰、自問自答

先日、とあるアーティストのライブに行った。

女性ボーカルの3人組インディーズユニットで、追い始めて2年弱というところだ。
元々個人で活動していた3人が、三者三様の魅力…可愛らしい声質からみなぎる力強さ、透き通る声質から七変化する表現力、撫でるような声質から溢れる優しさを結集させ、様々なジャンルの音楽に挑戦している。
曲も自分好みな雰囲気が多く、知るや否やすぐさまハマってしまった。
そんな同ユニットも今や鰻登りにファンを増やし、あのZepp DiverCity Tokyoでワンマンライブを開催するにまで至った。

自分は今までの人生で、特定の歌手を心から応援したことはなく、「本当に好きなアーティストの歌を生で聴く」というのはこの日が初めてだった。
皆がよく言う、高揚感やらアドレナリンやら、そんなものが自分にも感じられたような気がした。
とびきり好きな曲が来た時は、思わず涙が滲んだ。
周囲に合わせてペンライトを振りながら、感銘に浸っていた。

「自分は本当に、この人たちの音楽が好きなんだなぁ…」


ライブは昼・夜公演に分かれており、昼公演が終わった後、会場の外で夜公演までの時間を潰していた。
自分と同様に一人で手持ち無沙汰になっている人はいくらでもいたが、一方で同志達と語り交わす人もいた。

『いや〜あの曲の後のMCで〇〇が言ってたの聞いて次はアレかー!ってなって(早口)(大声)
『うおぁぁぁぁァ!!それ!!(大声)(大勢)』
『んじゃあ!まさかのアノ曲って!(大声)
『ンあ〜もうな!!生でしか味わえない〇〇の尊さがあるッ!!(大声)

否応なしに、会話が耳に入ってきた。耳を刺した。
お前らが歌うわけでもなかろうに、腹から声を出すな。

まあ…彼らの立場になってみれば、気持ちを想像することは難くない。
初めて“推し”の歌を生で聴けて、内に秘めていた様々な感情が爆発したのだろう。
主には、愛とでもいうべきものだろう。
その昂りは、たかだか1.7〜8メートルの小さな体では堪えきれなかったのだろう。

気持ちの大小はあれど、同じいちファンではあるはずなのに、彼らの様子を一歩下がって俯瞰している自分がいた。

「彼らは本当に、この人たちが好きなんだなぁ…」

夜公演が始まり、昼公演に劣らず好きな曲が次々と来た。
ただ、朝早くに遥々四国から飛んできた疲れもあってか、昼よりも少し冷静になってしまった。
冷静になると、余計な観察眼がしゃしゃり出た。

ーー 靴底にバネでも仕込んでいるのかと思うほど跳躍する者。
ーー ペンライトを複数束ねてタコ踊りする者。
目に入ると、思わず頭がクラついた。
声出し厳禁なのが、まだ救いだったのかもしれない。

そして、演者のMC。
…分からなかった。…内輪ネタが。
おそらく生放送で出てきた話か、もしくは高価な特装版CDの付録の話なんだろうか。
話について行けていない人は、他にも大勢いたのだろうか。いや、それとも…

この時、漠然とした疎外感のようなものを覚えた。

「自分は、この人たちのことが好きではないのだろうか?」


第一に、生放送というものは元々苦手だ。

ただダラダラと、何処の誰だかも知らん人間と生主とのコメ返のやり取りを見せつけられる、あのテンポが耐えられない。
自分がコメントを投げればそれを拾ってもらえる可能性もあるが、それ以前に「聴衆どもは黙っとれ」という気分になってしまう。
生主同士の会話も、正直あまり興味を惹かれない。自分が干渉できない会話など、聞かされてもむしゃくしゃするだけ…同様の理由で、テレビのトーク番組やラジオも好きではない。

たとえその生主が、自分の好きな音楽を紡ぐ者だとしても。


第二に、金銭を貢ぐことに喜びを感じられない。

もちろん好きなアーティストである以上は、音源は買うし、グッズも買うし、ライブにも行く。
ただし、「飾れるだけの数量」「実用性を考慮して取捨選択」は厳守して。
売り出されるものを何でもかんでも買っていれば財布が泣くし、そもそも使う/飾る場所も限られている。
「自分の資金が推しの血肉となるならそれだけで幸せ!」…残念ながら、実在人物に対してそこまで敬虔な信徒となることは、自分にはできない。

将来の夢…「会社を辞めて旅人になること」を叶えるために蓄える資金の方が、よっぽど重要なのだ。

「自分って、ここにいてもいいのかな?」


そうして、どこかモヤついた感情を抱えたまま、余韻に浸る者たちを横目に会場を後にした。

帰路の電車に乗り、周囲の騒音を遮蔽するため、いつも通りイヤホンをして音楽を流した。
快適な聴覚をもたらしてくれるのは、いつもと変わらず、彼女たちの音楽だった。
そこには疎外感も、モヤついた感情も何もなかった。

「声を聞けるだけで幸せ」「推しの幸せは自分の幸せ」
…そんな全面的な人格肯定はできないけれど。
それでもやっぱり、自分はこの人たちの声が好きだ。
この人たちの紡ぐ音楽が好きだ。


…よし、次のライブツアーの抽選も申し込もう。
東京・名古屋・大阪会場があるから、大阪だけでいいや。
別に抽選に外れたっていい。その時はその時。

そもそも「推す」ことなんて、苦しみながらするものではないのだから、全面的な人格肯定以外を不正解とする必要なんてないはずだ。


「快い音楽を摂取して耳が幸せになる」、脳が欲している感覚はそれに過ぎないのだから。

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