無茶苦茶にしてしまえ! と思わずパールを応援していた 映画『Pearl パール』を見た

ホラー映画の醍醐味の一つは、むかつく登場人物が、怪異によって無茶苦茶にされていくことだと思っている。映画が始まり1時間も立ってくると、ついつい、怪異の側を応援したくなってしまう。そんな作品も少なくない。

ミア・ゴスが主演を務めた『Pearl パール』もまた、怪異の側を応援したくなってしまう映画だった。

『Pearl パール』の舞台は、20世紀初頭のアメリカはテキサス州の片田舎だ。ある農家の娘パールは、農作業と家事、しゃべれず動くこともできない父の介護に追われ、日々を過ごしていた。

共に暮らす母は、小言を言ってたしなめるばかり。パールには夫がいるのだが、第一次世界大戦に出生したきり戻ってこず、生きているかも定かではない。パールはそんな夫の身を案じるが、敵国ドイツの出身である母は、いつも微妙な反応で、決してパールの味方にはなってくれない。

パールにとっての息抜きの一つが映画だが、父の薬の買い出しのため町に出かける日にしか、映画館に足を運ぶことはできず、そんな数少ないリフレッシュの瞬間すら母にとがめられることしきりだ。

息の詰まる生活の中で、パールには唯一の夢があった。「田舎を飛び出すこと」である。

直情径行なパールは、「ヨーロッパに連れ出してやる」そう嘯く映写技師とのいけないロマンスに興じたり、都会で活躍する「スター」にあこがれてダンサーとして、ある舞台のオーディション受けようとしたりするのだが、夢への道は一つ、また一つと閉ざされていき、彼女は次第に狂気に駆られていく。

というのが、本作の大まかな流れ。

舞台設定もあって、冒頭はメリーポピンズとか、風とともに去りぬとか、古いメロドラマ風の絵面で不穏な展開が進むのだが、パールの”爆発”とともに、徐々にスプラッター映画さながらのホラーに転じていく構成は秀逸だった。

物言わぬ父、頑迷でパールを苦しめる母、軽薄ゆえに無知なパールに夢を見せ、地獄に落とした映写技師の若者、友でありながらパールと同じ「スターになること」を夢見たゆえに、パールから全てを奪っていった少女。パールを無茶苦茶にした人々が、最後はパールによって無茶苦茶にされていく。

ただの化け物ではなく、パールの苦悩が感じられるからこそ、中盤以降のスプラッター劇には得も言われぬカタルシスがあった。

基本的にはA24式「嫌なホラー」といった感じではあるのだが、「なぜかいる巨大ワニ」「都合よくある地下室」「ちょうど良いところにおいてある威力高めな農具」など、あるあるな舞台装置をパールがしっかり活用して、一人一人にとどめを刺していくのもたまらない。

正直なところ、「少し足らなそうな田舎の若い女性」として描かれるパールの姿には、共感性羞恥を呼び起こされることも多々である。ただ、全てをメチャクチャにしたあと、パールが浮かべる「こうなっちゃったんだからしょうがないじゃない」風の狂い笑いを見るころには、彼女に夢中になってしまっていた。

実は本作、前作『X エックス』そして、今年公開予定の『MaXXXine マクシーン』、併せて3部作構成となっているそう。

前作と今作に関しては放映後アマゾンプライムで見たのだが、はまってしまったので、最終作の『MaXXXine マクシーン』はぜひ、映画館で見てみたいところ。楽しみ。

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