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承認されたい相手を自覚する、という美意識 「承認欲求とスピリチュアル」(4)

おはよう。スピリチュアルネイティブのタケルです。空が綺麗な水色だ。春の空だね。薄ぼんやりしてて、風はまだ少し冷たい。

さて、前回の記事の続きから。

20代、特に会社員時代の俺は、取引先や取材先など、ふとした出会いのなかで、スピリチュアルな人々と出会う機会が多かった。その度に、俺は「才能があるよ」的な指摘をされたり、特に気功系の方々からは弟子入りしないかと誘いを受けることも度々あった。

けれど、一人前の社会人としてしっかり認められたかった俺には、これらのお誘いは嬉しいようで、むしろ「乗ってはいけない甘い罠」のように、映っていたんだ。

当時の俺は、会社員としてみんなと同じようになれないコンプレックスも相まって、とにかく誰かに認めて欲しくてたまらなかった。今、スピリチュアルな仕事をすれば、それが叶うかもしれない。でもだからこそ、絶対に手を出してはいけない、と思ったんだ。

目に見えない領域が分かる、という危うさ

あれから10年以上が経った今、今なお俺は、一般的な仕事で食べている。スピリチュアルな能力をそのまま生かして仕事にするスピリチュアリスト(例えば占い師、気功師、スピリチュアルカウンセラー、宗教者など)という選択はとっていないし、これからもそのつもりはない。

一方で、この10年で出会ったたくさんの友人知人たちが、スピリチュアリストになっていく姿も、見送ってきた。

自分の生まれ持った能力を活かして、仕事にして、食べていく。きっと1番シンプルでまっすぐな生き方だ。足が速かったら陸上選手になったり、賭け事のセンスがあるなら金融系、人のことによく気がつくなら介護とか、人には適材適所ってもんがある。

だけど。“目に見えない領域のことがわかる能力“というのは、足が速いことや、計算が得意であることよりも、かなり複雑な能力だよな、と俺は思う。特に、対人面ではかなり複雑だ。

まず第一に、目に見えないことがわかる、というだけで、あっさりと相手のマウントをとってしまう怖さがある。オーラが見えるとか、未来が見えるとか、そういう本人には見えないもの、わからないものを見る行為って、実は結構怖いことだよな、って俺は思うんだ。

というのも、俺は当時、ふとした興味から、オウム真理教の元信者の方々の手記を読んでいた。彼らの中には俺みたいに、生まれながらに霊能力があって、それを社会生活のなかでうまくいかせずに、苦しみ、孤独を感じ、けれど誰かに認めてほしい思いから入信した、という人が結構いる。

俺は、彼らの気持ちが痛いほどよくわかる。もし俺があの時代に新卒で東京にいたら、うっかり入信していたかもしれないな、としみじみ思ったんだ。今よりずっと世の中パヤってて、物質主義イエー!みたいな社会だった時代に、反動から精神世界万歳!ってなる人の気持ちもすごくわかるしね。

だからこそ、俺は彼らの手記を読みながら、つくづく自分に言い聞かせた。ちっとばかし霊能がある人間が、自分より霊能キャリアのある人間から認めてもらうことって、一見素敵なことなんだけど、実はものすごくクローズドな世界での認定でしかないんだ、と。

例えば仮に、俺がオウム真理教の中では才能がある認定されても、社会の中では、同じようには認めてはもらえなかったはず、って。で、これって、俺的にはスピリチュアルな界隈で人に認めてもらえても、社会では同じようにいかないことと、根本的には同じことだよねーって考えちゃったんだよね。

つまり、俺は一般社会の中できちんと社会人として認められたい、という承認欲求がかなり強いあまり、スピリチュアルというクローズドな界隈で認められる程度では、全然お腹いっぱいになれません、という自覚があったんだと思う。

だってなんかカッコ悪くねえか? 狭い世界でお山の大将やるって。しかもそのお山で大将になるって、すっごい簡単なんだよ。目に見えない能力で人のことを視て、マウントをとり、思考停止させまくれば、あっというまに大将になれちゃうだろ?

ぶっちゃけその構図で、やんわり気持ちよくなってるスピリチュアリストを、俺は山ほど見てきたしね。むしろその自意識を戒められるくらいのプロって、本当に数少ないんだ。そういう人は、いつまでも成長し続ける厳しさがあるし、それってもう人柄であって能力関係ない話なんだよね。

承認されたい相手を自覚する、という美意識

そんなわけで、生まれ持った霊能力を、そのまんま霊能界隈で生かす人生って、めちゃくちゃつまんなくねえ? そんなんじゃ俺の承認欲求は満たされんわ、って、俺は思ったんだよね。

それよりも、今目の前にある仕事をしっかりとこなしていけば、その仕事の中で、俺の生来のスピリチュアルな能力を活かせる道筋が開くんじゃないか。そう考えた。

今もって、俺は今の道を選んでよかったなって思ってる。もちろん、これはこれで茨の道だし、どうしたら自分の能力を実社会の中で活かせるか、殺さずにいられるか、今でも葛藤の日々だけどね。

でもそういうキツさとか、孤独も含めて、すごく充実してるよ。


読んでくれてありがとう。


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