T・Pぼん ~尊敬に足る未来人~
現在,NETFLIXで藤子・F・不二夫原作の『T・Pぼん』がアニメ化されており,第二シーズンまで公開されています.私は漫画版を断片的に読み,第二シーズンの中盤まで視聴しています.
物語は,中学生の並平凡があるきっかけでタイムパトロールに選ばれるところから始まります.この物語でのタイムパトロールは,過去を勝手に改変しようとする時間犯罪者を取り締まるだけでなく,「歴史に影響を与えない範囲で,過去に悲しい死を迎えた人々を救う」ための救助課が設置されており,大変ユニークな組織です(その他,いくつかの課があります).主人公はこの救助課の一員として活動します.
SFが好きな方なら,過去の歴史に干渉する(過去の人間を救助する)ことによるタイムパラドックスというおなじみの問題が起きないのか,という疑問を持たれるかと思います.藤子・F・不二夫は,このT・Pぼんにおいて,タイムパトロールが慎重に,「救っても未来の人類に影響のない」人物を調査し,厳密にその人物のみを救ってよい,という仕組みにすることで,この問題を解決しています.
いわば,巨視的に人類史をみれば,歴史に大きな影響を残さない人間が十数年長生きしたとしても,果てしなき時の流れの中では大きな変化を生まないという,バタフライ効果は起きない(あるいは,起きない範囲の修正を未来の技術で見積もることができる)という立場に立った物語なのかもしれません.
内容などはいろいろと紹介されているかと思いますので,ぜひ興味を持たれた方は調べてみてください.本稿では本筋とは関係ない箇所についての私の妄想のみを述べます.
この物語,ふと私が思ったのは,未来人はタイムトラベルが可能となったあと,どのような過程を経てタイムパトロールに救助課なるものを設置することになったのだろう?という疑問,あるいは妄想です.作中でも語られている通り,歴史に介入し過去の人間を救助する行為は,一歩間違えれば人類史を崩壊させかねない危険をはらみます.「救っても未来に影響のない」人間だけを救助することが,たとえ理論的に可能であると明らかになった後でも,少なくないリスクをとってまで過去の人間を救う必要があるのか,という議論が行われたことは想像に難くありません.実際,主人公のぼんもしばしばこのリスクを鑑みて,特定の人間をどのように救助するべきか悩みます.
ちょっと内容は異なりますが,私の好きなSF作家である小松左京の最初期の小説『地には平和を』の作中では,遠未来において過去に干渉し,改変することが可能であると明らかになったあと,結局,その力を行使することを止めることに決めた人類が出てきます.未来人にとって,過去を改変するかしないかは,未来の全く異なった2つの顔のどちらをとるかを決める重要な選択なのです.
T・Pぼんの世界の未来においても,喧々諤々の議論がなされたものと思います.もしかするとフランス革命後のフランスのように,その後百年以上をかけて広く議論し,とるべき道を選択したのかもしれません.
本作について未来に影響のない人物だけ救うことは未来人の自己満足にすぎないのではないか,という批判もネットで散見しますし,救助活動をするうちに未来人が神となったかのような傲慢さを持つにいたる危険性もないわけではないですが….
私は,救えるとわかった以上最善の策を講じて救うことをやめなかった本作の未来人は,大変尊敬に足る人々であると思います.
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