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#2/10-2: 感情の薄膜

「駅から遠いんでしたっけ、家。」
「いや、徒歩で10分くらいかな。」
つい3日ほど前の会話を忘れられていたのが悔しかった。
私(つまり、筆者)は、大学の帰りに偶然出くわした、同い年だが学年は一つ下の真央(以下、彼女——ガールフレンドではなくフレンオブガール)と駅までの道を歩いていた。

「10分かぁ、ちょっとしんどいですね。」
「気候によっては、あるいはね。」
そう笑って答えたが、私は彼女のその発言が、季節柄の物では無い事を理解していた。生まれてからずっと都会暮らしの彼女にとっては、本当に徒歩10分がそこそこ長い距離なのだ。

「なんでそんな微妙な場所に決めたんですか?」
「家の場所?」
「それもそうですし、最寄りも大学から遠い。」
「まあね。家賃とかの兼ね合いで。あと、始発駅だし、朝座れるから、そんなに悪くないよ。」
なるほどー、とおどけて答える彼女の横顔を視界の端で捉えながら、私はこんな中身の無い会話の相手をしてくれる友人に、半ば本気で畏敬の念を抱いていた。女性というのは、得てしてそういう生き物なのだろうか。思えば初対面の時も、やたらと質問をぶつけてくるのは彼女のほうであった。
特別気を利かせるのが上手い訳ではない彼女が、私といるときには口数が多いのはきっと、彼女が私に好意を寄せているからだ。しかしそれは、私が期待する好意とは別の形をしている。

会話が途切れたタイミングで、彼女がこちらを向き、小首を傾げてにこりと笑う。それは、私の頭の中にのみ存在する映像だ。

じゃあ、と会釈して駅前で別れる。彼女はJRだが私は地下鉄なので結局、行動を共にしたのはものの5分であった。

「真央ちゃん」
「ん?」
「またライブ、観に来てよ」
「はい、いつでも」

バンドなんてとっくに辞めていたし、そもそも今日が大学の最終日だったので(たぶん、)もう彼女に会うことは無い。でも彼女の心の中に、私の最大値を記録する事が出来たのだとしたら、少しくらいの嘘も、許されるのではないか、と思った。

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