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#2/10: 素敵な日だった

ただでさえ面白味の無い私のスケジュール帳は、大学が春休みに入ったせいで、なおいっそう白さを増している。最近寝付きの悪さが加速して、朝まで眠れなかったのが原因で、一度意識が途切れた後再び覚醒したのは14時過ぎのことであった。

19時。シャワーを浴び、電車に乗って大学へ向かった。そういえば、今日なんも食べてないな、なんて考えながら、そしてこういった生活の乱れが不眠症という結果を導いていることも自覚しながら、既に暗くなった千代田区の街を歩く。図書館では①道尾秀介の月と蟹、②英文会計のテキスト、➂Pythonのクローリングとスクレイピングに関する書籍を借りた。

20時。近くの学習塾で簡単なインタビューを受けた。実はこちらが今日の本題であった。会場が大学の近くだったのは偶然である。

てっきり自分一人への依頼だと思い得意げになっていたのだが、いざ建物内に入るともう一人、女性が待っていることに気付く。

今さっき出会ったばかりの女性と目配せをし合って、20時きっかりに受付へと向かう。すぐに案内される事を期待したが、先客がいたらしく、結局その場で30分近く待たされてしまうことになるのだが、せっかくだからと思い、女性に話しかけ、そこで初めて、その女性の美貌に気付く。(私の視力は0.1以下であり、たとえ知人であろうと、数メートル離れていては認識さえ難しい。)

頭の中では浪漫飛行が流れていたし、緊張して、趣味はなんです、みたいな事しか聞けなかったし、べらべらと、自分の事を冗長に話してしまった。それでも、にこやかに質問で返してくれる所が良かった。自分自身の主張も忘れない所が、なんとなく好感が持てた。所謂いい女というやつである。

この表現に反発を覚える人も多いだろう。第一に、上記の短い説明では彼女が如何に良い女かを説明できていない。第二に、「良い」女という表現は現代のジェンダー論での合意から大きくかけ離れている(気がする)。でも、これ、ジェンダーバイアスとは別の話だと思う。現実に「異性にとって都合の良い人間」は存在しているし、相手に何を求めるかも、自分がどのように振る舞うかもその人の自由であるべきだけれど、我々がパートナーに求める性質は確かに有って、それの最大公約数が「女性/男性らしさ」なのではないかなぁ、と思う。

22時。同じタイミングでインタビューが終わり、駅まで一緒に歩いた。彼女は、さむっ、とはしゃいでいたが、私はこういう時どう返せばよいかわからない。ソーシャルライフを放棄して勉強を取った弊害は恐らくこの辺りにある。名前も連絡先も、聞かないまま、別れた。

5日後に、大阪の友人が東京でイベントを行うらしく、そのお誘いを頂いた。私の友人には、優秀な人間が多い。知性で自分に勝る者はそう多くないが、とにかく、リスペクトできる点が多い。彼女も、その一人である。きっとすばらしい人になるのだから、好かれなくても、せめて嫌われないようにと、願うばかりである。とりあえず、一つ楽しみな用事が増えてよかった。

24時。今日初めての食事を摂りながら、今夜の作業について考えを巡らせている。その前に、noteを更新しようと思い、今に至る。総合的に、とても素敵な一日だった。

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