検察庁法改正案で揉める世論―――芸能人の政治的発言は民主主義を成熟させるのか

危惧:対 検察庁法改正案<対 世論

今回この法律の改正案で揉める一番の背景は、黒川検事長の定年延長を閣議決定したことと今回の法改正が関連しているのではないかという点にあるのだが、仮にもこの点がなかったとしたら、世論はどのように考えるのか。

この改正案の定年延長の事項は高齢化社会の日本ではまあ当たり前のようにも感じるところがある。もっとも、黒川検事長の定年延長と関連づけて考えると、あたかも黒川氏を残したいがために改正しているという見方もできなくはないが、これがどれほどの説得力を有するのか。

検察が行政権の一部であるとはいえ独立性が要求されるべきなのはその性質上そうだし、事実、内閣による人事権の行使は法で規律されている。法で与えられた内閣による人事権をどこまで広げるかについては、検察の位置づけを国民を代表する国会がどう考えるかということであるから、改正により内閣による介入が多少拡大したとてただちに憲法違反にはなるまい。

したがって、今回の改正の是非は検察のあり方を国民がどう見るかということにもかかってくるわけだが、今回の改正に反対する人の中で、どれほどの人が検察のあり方を踏まえてこの法の是非を考えただろうか。

芸能人の政治的発言を利用するメディアの落ち度

「改正に反対の声がSNS上で高まっています」ということがメディアを通じて伝えられる。各種報道を見ていると、法の中身に対してコメンテーターの発言はあるものの、結局世論がどう考えているかは浮かび上がってこない。「抗議します」ということだけがやたら強調され実質的な議論が見えてこない。

さらに危惧すべきは、「芸能界からも反対の声が」というメディアの報道とその後の世論の反応との関係である。

「タクシー運転手は客に政治と給料(もしくは宗教?)とプロ野球の話をしない」とはよく聞くが、確かに日本では大っぴらに政治について人々が直接議論することはない。人々が日常的に政治について関与するのはメディアを通じて行われるから、直接の議論はそこまで活発でない。

しかしここ最近、インフルエンサーたる芸能人が政治的発言をすることでその風潮に風穴をあけることを試みている。SNSの発達でメディアのありようも変わり、誰もが評論家となったことも関係しているからか、芸能人が容易に世間にアクセスして政治的は主張をすることがしばしばみられる。個人的には、その芸能人がその人の責任で発言する分には賛成する。しかし、事態はそう単純ではなく、これがまた新しい問題を引き起こしていると考える。

「抗議する」「声を上げる」ことの自己目的化

今日5/13のNEWS23のトップニュースでは、この改正案について、多くの芸能人が抗議の意思を示しているとの趣旨の報道があった。その中で自分が注目したのは、「政治の話をするのがダサいとか考えている人が多くいるがそうではない。声を上げるべきだ」という芸能人の発言。

世の中では、一般人が100人声を上げるよりも1人の芸能人が声を上げるほうがインパクトがあるわけで、芸能人の抗議は報道の良いネタになる。そして、芸能人の抗議についての報道は、その意外性や注目度から、「○○が抗議している」ということに注目が集まる。「△△という意見を持って抗議している」という重要な中身については何も言及されず、ただその人が抗議したという事実だけがメディアにより流布される。「声を上げよう」ばかりが強調されていく。

本質を見失い自己目的化した抗議は民意として妥当か

しかし、ここが自分の一番の懸念点である。結局抗議したという事実がフォーカスされていけばいくほど、問題の本質を見失う恐れが多分にある。抗議したという事実自体はYES or NOの二択にしか注目していないが、世の中の問題はそう単純ではない。メリットやデメリットどちらかしかない政策などありえないし、そもそもそんなものは議論の俎上にすら上がらないだろう。だからこそ実質的な国民的議論が必要なのであり、それを認識することもなくただ「抗議した人が多い」ということだけに満足して「これが民意だ!民主主義では民意は絶対だ!」などといくら叫んでも、空虚な叫びでしかない。

抗議することのみならず、意見を自由に述べること自体は法的にも社会的にも保障されるべきで、それが健全な民主主義の発達を促すと私は信じている。一方で、世論は多様であるし、0か100で片付かないわけであるから、ただNOと言っていることだけにとらわれてはいけないし、問題の本質を見失った抗議活動は何も生み出さない。

民主主義の成熟のために

政治的発言が容易に発信できることで真の民主主義に近づくかと思いきや、そうでもない、結局我々自身が民主主義を理解して賢くならなければ民主主義は成熟しないと、最近つくづく思う。言論の自由を尊重したうえで、メディアの振る舞いを批判的に検討し、議論の問題点を把握し常に逃さないように努力していく必要がある。

約2000字にも及び偉そうなことを述べたが自分もそうである。

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