こまきさわこ プロフィール - フランス(自己嫌悪)編 -
高校編 やたら長かったっすねー!
というか、いつもプロフィール書くときに、すっごい悩むんですよ。
色 々 あ り す ぎ る か ら 笑
人生の谷はふたつくらいがいいですよー。と本のプロデューサーの方に教えていただいたんですが、、(あ、そのうち本出しますw)
谷 あ り す ぎ て。 笑
と い う か、 ず っ と 谷 で。 笑笑
そして、あまりにもトピック多いし、さらに解説的なんもちょいちょい入ってるので、だんだん疲れてきました。笑
文章もぐちゃぐちゃな気が・・・申し訳ない。滝汗
読む方もしんどかろう、、、ありがとうございます♪ 笑
立ち止まったら、2度と手をつけなそうな気配が、そこはかとなくしっかりとあるので、読者の皆さまの負担とか考えずこのまま突っ走ろうと思います。(←ヲイ)
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留学するにあたって、どこの学校に行けばいいかなど調べる。でもとりあえずは語学学校。どこがいいかは完全にフィーリングで決めた気がする。笑
「どうやったらデザイナーになれるのか?」
そして
「デザイナーってどんな仕事なのか?」
今でこそ情報は精度は分からねど、腐る程あるんじゃないだろうか。ネットがあるから。
でも当時は全くと言っていいほど、情報がなかった。
学校の本棚?にいろんな職業を紹介している本がありましたが、その本くらいでした。けどまぁ分からない分からない。笑
旅行行くにもね、地球の歩き方+αしかないからね。そんな時代でしたね。
そんな中、語学留学先は南仏のAix-en-Provance(エクス-アン-プロヴァンス)。マルセイユからほど近くて、画家のセザンヌの生まれたところでした。もともとブルジョワの街で雰囲気もそれとなく上品な街。
入った寮はカトリック系列の寮で高校生くらいの女子たちがいて、この子たちがみんな大人っぽくて、私は中学生くらいに見られるのがすごく嫌だった。私は外見コンプレックスが強くていつも彼女たちを見ては「自分ってなんて醜いんだ」って思って、本気で落ち込んでいました。目にすることなんて毎日なので、常に、落ち込んでいる状態。
これはパリに移り、アートスクールへ行ってた時も引き続きあり、自己嫌悪にずっと苦しむ。
鬱の診断を受けるのはもう少し後だが、このフランス時代で鬱を発症したと思っていて、それにこの『自己嫌悪』『外見コンプレックスからくる強迫観念』は引き金の大きな要因だったと思っています。
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語学学校時代はトピックとしては、さして何かがあったわけではありませんでした。
けれど感じていたのは、
『外見コンプレックス』と『自己嫌悪』
それはその後美大に行ってもそうで、最近まで続きました。
母に皆の前で「みっともない」と言って育てられる。
そしていじめられる時のセリフも「太ってる」「ブス」と外見のことばかり。
なので、これはフランスに行ったから始まったわけではなく、子供の頃からでしたが、
”コンプレックスの強さ世界大会”あったら優勝できるんじゃないか
くらいの勢いでした。
自分の中で
“ スタイルが良くない ” “ かわいくない ” ということが
『生きるか死ぬか』ばりの問題で、
常に自分を批判し、責め続けている。
要は自己嫌悪ってことなのですが、何をしていても、誰といても
「今私おかしくないかな」
「ブスって思われてるんだろうな」
「なんでみんなはスタイルいいんだろう」
「なんで私はこんなに醜いんだろう」
とずっと頭の中がぐるぐるして落ち込んでいました。(マジで扱いづらい子)
『かわいくなければ愛されない』この強迫観念が相当強く、
挙動不審。
“ナチュラル。自然体。なんて言葉は私の辞書にはなかった”
みたいなことを以前書きましたが、私にとって「かわいくある」「美しくある」ということは親から愛されるかどうかの瀬戸際で、ずっと
「お前かわいくないから、愛せない」
というメッセージを母からも仲間からも送られていた私は
「かわいくない、美しくない=死」
という方程式を持っており、その強迫観念度合いや、不安感、恐れというものは、自分にとって笑い事ですむレベルでは決してありませんでした。
人の目が怖い。
そもそも、愛されないどころか攻撃されて、排除される。
その内訳として“自分の外見”の占める比重はとても大きく、そして求められ、比べられてきたレベルも「どこ目指してんの?」レベルだった自分が、そのままの自分にOKが出せるわけもなく、加えて外見的に恵まれていたわけではなく、太っていて一重だった私の自己嫌悪は常に凄まじく、とても苦しかった。
その苦しさがまたさらにストレスとなり、
それが食べることにつながる
という悪循環でした。
余談ですが、不安が強いと人はそれを埋めようとするので、過食になります。なので、不安感が強かったり、自己嫌悪がひどかったり、自己否定が強ければ強いほど体が緩んでぽちゃっとしていきます。(ぶよぶよって感じかな。私はそうでした)
なので、自分と向き合う中で、自分のそのままが受け入れられるようになり、自分のことが好きになり、自分を発揮して生きられるようになればなるほど、その人らしいバランスで体が整っていきます。
みんながみんなそういうわけではないのでしょうが、これは心理学の仲間でも、クライアントさんでもありますし、自分自身は全くもってそうでした。
(※あとね、自己嫌悪やコンプレックスが強い人は、実はセクシャリティが高い人でもあります。これはまた別の機会に書きますね)
また、これは私が勝手に思っていることなのですが、
おしゃれな人ほど、自己嫌悪や自己否定が元々強い方が多いと思うんです。
元々コンプレックスがあって、自己嫌悪が強すぎて、それが苦しくて、なんとか優位に立ちたくてお洒落するという傾向があると思っています。
私は完全にそうで、自分の外見に全く自信がなかったので、そして、それが死活問題だったので、お洒落をしたい!というのも、純粋に素敵になりたい!ももちろんありました(原体験もある)が、でも素敵になりたいのは『自分がみっともなくないように』『安心していられるように』という動機からくるものが大きかったと思います。
センスは数ですから、そうやって試行錯誤していく中でだんだんと感性が磨かれていってお洒落が得意になり、今度はそれを自己優位性を保つために使うようになる。
『鎧』として身にまとう感じ。
今でこそ、お洒落してなくてもそのままの感覚でいられますが(あ、ダサいのは嫌。笑)以前はちゃんとした格好をしなかったらコンビニにすら行けないという感じでした。
でもまぁその甲斐あって、スタイリストの仕事をさせていただけるまでになったんですけどね。
(※こうやって、自分の人生に与えられなかったものを手に入れた時、それは誰かをサポートする力になるんです。与えられなかったものはギフトなんです。そんなブログ、また書きます♪)
・・・・・・・・・
いやー。
プロフィール。
めっちゃ頑張って書いております!!笑
めちゃめちゃ頑張って書いております!!
なんかもう、プロフィールだかなんだかわからなくなってきました。w
読みにくかったらごめんなさい。
つーか、きっと、読みづらい!!
自分なりに精一杯やっております故、
お許しを!!何卒!!何卒!!
こんなに頑張って書いてるんだから、いつか映画になったりしないかなー。
そうじゃないと報われないなー。
やってらんないよなー。(←いやいや。笑)
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