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真っ暗闇でどこにも光がないと感じていらっしゃる方のお役に立ちたい

最近、私が伝えたいことを集約するとしたらなんだろうと頭の片隅に置いておいた。

今日そのことに答えが降りてきたかもしれない。

私の人生はあらゆる手段で ” 自分を否定されてきた ” 人生だった。
欲しいものがことごとく手に入らず、
手に入れようと頑張れば頑張るほど、邪魔される。
そんな人生だった。

欲しいものを手に入れたと思ったら、
それは手の内からこぼれ落ちるかもしれなかった。

今日は植松さんのお話を聞いてきた。
夏に友人が主催したものにも参加してきたので、3ヶ月ぶりくらい。
こんなに短時間で2度も聞けることなんて滅多にないだろうから、すごくラッキーだった。

お話を伺いながら思ったことは、植松さんは否定され続けたけれど、愛してくれる人も、味方もいたということ。
自分の存在を喜んでくれて、それを表してくれる人がいたということ。

お父さんは植松さんを殴っていたらしい。
それは本当に辛く悲しい体験だと思う。

それでもご家族のうち、お母さん、おばあちゃん、そしておじいちゃん。
おじいちゃんは特に植松さんが自覚なさっているほど、仲が良く可愛がってくれたそうだ。

私にもそういう存在がいなかったとは思わないし、言わない。
けれど、母親に抱っこされたり抱きしめられたり、なんなら頭を撫でてもらったことがなく、にっこりと笑いかけられたこともなく、「おかしい」「できるわけがない」と言われ続け、夢は反対され、違う道を強要され、意思という意思は全て曲げられる。
父は忙しくとにかく家にいない。
おばあちゃんは遠くにいる。
学校でもいじめられ、社会からもつまはじき。
味方が、誰一人いなかった。
守ってくれる人が、誰一人いなかった。

否定のレベルが違うと感じた。
(ちなみに、どっちがすごい とかはない)

光と闇が存在したとするならば、その後闇だけになっても光の存在を知っている。
知っているから、光が差し込むかは疑いがあっても、光の存在自体を疑うことはない。

でも生まれた時からずっと闇しかなかったとしたら。
光を感じられなかったとしたら。

その後同じ人生を辿っても見える景色は全く違うだろう。
受けるダメージも全く違う。

植松さんと私
やりたいことは一緒だ。
それは
「人の可能性を信じ、開かせる」ということ。

でもそこには明確な違いがあると感じた。

私が幸せにしたいのは、お役に立ちたいのは

 ”闇しかなかった”方達だ。

もしくは

” 今闇の中にいて、光を感じられない ”方達だ。

でもどこかに光があると信じて、頑張っていらっしゃる方達だ。


夢も目標もあり人生を変えたいと努力してきているのに、自分の体験のせいで、感情のせいで、うまくいかず報われない方達だ。

味方がおらず、その上でことごとく否定されたり、ことごとくうまくいかなかった方達だ。(というか味方が幼少期にいなかったら、自動的にことごとくうまくいかない人生になりますが笑)

自分を例にして見ても、その方が難易度は完全に高い。笑
つまり、こじらせ度合いは半端ないし、めちゃくちゃややこしいし、厄介。笑
だからこそ、そんな自分を普通に生きられるようにし、幸せに、輝けるようにする中で、必然的にスキルも精度も上がった。

どんだけ頑張っても報われない。
うまくいかない。
空回りする。
自分のことが手に負えない。
やる気もあるし、才能や能力があっても、違うところで失敗する。
心理的な要因で、力が発揮できない。
自己嫌悪のループ。

そんな方のお手伝いができた時、本当に幸せなのです。
そんな方のお役に立てた時、最高に幸せなのです。
そして、そんな時は
生きてきてよかった
この人生で本当によかった
自分の人生の全てを全肯定できる瞬間です。

実際に味方がいたかいなかったかどうかは抜きにして、
真っ暗闇でどこにも光がないと感じていらっしゃる方のお役に立ちたい。

闇と向かい合い、闇の中に一緒に入っていき、受け入れていく、すると闇は闇ではなく実は光だったと気づく。
自分はすでに素晴らしく、価値があり、満たされていると実感する。
そうして、本来の才能を遺憾なく発揮できるようになり、実際の生活やお仕事への関わりや、人間関係、そして人生を変えていかれるのを見させていただけるのが本当に至福です。

植松さんのお話を聞きながら、そんな自分の想いを自覚し、またひとつ自分を知れた一日でした。

ありがとうございました♪

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