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鎧を脱いだから、手に入ったもの

今日もしあわせな1日だった。


おもしろい会社の仲間たちと、

なんと言うんだろうか、

みんなとつながっている感覚がとてもあった。

仲間と感じられる。

そのままで受け入れられている感。

そして受け入れている感。

しあわせだった。


一方、分離していると、苦しい。

それは”愛して”いないから。

誰かを悪者にすることは、苦しいこと。


そして、人間はひとつのことしかできない。

愛しているときは、誰かを憎んだり、怒ったり、できないのだ。


今でこそ、こんな関係になれたが、

つい2ヶ月前までの関係性は、

正直、最っ悪だった。笑


前提を言うが、この話に悪者はいない。

でも、対立が起きた。

まぁそれは、仕方のない部分も大きい。

変化が大きく、負荷がかかったから。

みんなが恐れから臨戦態勢になった。

自分も含めて。


あの時の私には譲れないものがあり、

NOをYESとは言えなかった。

守りたかった価値観があった。

それを貫いたことは、今でも良かったと思っている。


でもそれは価値観の話であって、

人と人のつながりの話ではない。


”そのままで活かしあえる”

これは私のライフレベルでの最高価値のひとつ。


”そのままでいい”とよく言っているが、

これはつまり、

自分もそのままで良い代わりに

誰かもそのままで良いということ。

それは決して生やさしいものではない。


意見は対立していても、

価値観が共有できなくても、

相手がどんな反応をしようとも、

どんな言動をしようとも、

悪者にはしないということ。

それで良いと尊重するということ。


自分の内側に自分で責任を取れなければ

これは決してかなわない。


私はどんなに対立をしていても、

それでもつながり続けることはできると思っている。

認め合うことはできると思っている。

心の垣根をこえて。


そして、今。


価値観は共有できたかわからない。

価値観を共有するというのは

実は非常に難しい。

共有するというよりも、

わかった同士で同意し合うというのが関の山な気がする。


けれど、存在を認めあい、

受け入れあい、

そして、

つながることはできる。


あの時、

自分の内側から逃げず、

自分の痛みに向き合い、

現実をちゃんと受け止めて、

自分の至らなさもちゃんと受け止めて、

痛みから自分を守るのではなく、

『ごめんなさい』をきちんと言った。

『できなかった』をきちんと言えた。

その上で卑屈にならず、

『これはこうだった』と、

自分の意見を大切にした

自分の素晴らしさもちゃんと評価した。


全ては自分が何かを受け入れてないから

現実がその課題をみせてくれている。

その、受け入れられない部分。

痛みや苦しみや自信のなさや、

”できない”自分や

”ひとりぼっち”や

いろんな感じたくない自分。

徹底的につながり、受け入れ、許し、愛した。


それで全て解決するとわかっていた。

自分を信じて、やりきった。

もちろんたくさんの人の力を借りた。

助けてもらった。


そして、今、実際にしあわせである。

ぶっちゃけ、こんなに誰かと仲間って思えるんだ!レベルだ。

それだけ私はつながることを怖がってきたから。

弱さをひた隠しにして、

カッコつけて、取り繕ってきたから。


その鎧を脱いだ。

そうしたら愛されていたことに気づいた。


愛されてなかったというのは幻想であり、妄想。


自分を信じ、

みんなを信じて、

鎧を脱いだからこそ、

手に入った

最高のギフト。


相互依存に行くのに必要なのは

自分の弱さ、ダメさ、未熟さを受け入れること

なのです。


※相互依存とは共依存とは違い、

お互いに助け、助けられ

支え、支えられるという

自立の先のステージにある関係性のことです。




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