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コミュニケーションの誤解と錯覚:外向性と内向性


私たちが普段使っている「コミュニケーション」という言葉ですが、どんな意味(つもり)で使っているのか、気になりませんか? 

プライベートよりビジネスシーンで使用される頻度が高いと思うのですが、「コニュニケーション」は「相互連絡」や「情報の共有」といった意味で、「コミュニケーションをとる」は「(特定の事柄についての)共通認識を図る」といった意味で使っているのでは?…と思います。

いかがでしょうか?

これは、仕事を円滑に執り行うために大事なことですし、そうやって連絡を取り合うことで人との繋がりもできますから、事務的な「情報共有」という目的以上の意味がある大切なことだな、と思います。

それと絡んで、「コミュ力」という短縮系で良く知られた「コミュニケーション力」ですが、これもビジネス関係の書籍や記事で良く見ます。

でも、コミュニケーションとしての、いわゆる“報連相“ができている人を「コミュ力が高い」とわざわざ言うかな?…と考えてみると、なんとなく違うような気がするんです。


あくまで想像ですが、普段「コミュ力が高い人」と言う場合は、こんな感じの人ではないでしょうか?

  • 人見知りしない。

  • 他者との接触や交流に抵抗がない。

  • ビジネス上のお付き合いだけはなく交友関係が広い。

  • 社交的。

  • 話好き。

こんな人なら目立つ人でしょうし、人気もあると思います。
「コミュ力」の有無に注目されるのも無理ないですよね。

人によって事情や背景、色々在るとは思うのですが、どうしても気になってしまうことがあります。それは…

「コミュ力の高さ」と「外向性」を取り違えてないだろうか?

ということなんです。

外向性も内向性も生来の気質ですから、努力や学習の問題ではありません。
(外向性と内向性の詳しい話は今は省きますが)

もしコミュニケーションが、「誰とでもすぐに仲良くなれる」などの社交性や、いわゆる「明るい性格」と言われる外向性に左右されるもので、外向的であればあるほど「コミュニケーションが得意」なら、内向的な人間は始める前から「コミュニケーションができない(もしくは下手)」と言われてるようなものです。

でも、そんなはずはないですよね!


本来のコミュニケーションは、相手に何かを伝える時に

  • 何を媒体として

  • どう伝えるか

それも、ただの自己満足な“発信“ではなく「相手に届けるため」です。


コミュニケーションは言葉だけじゃないですよね。
五感全てをチャンネルとして情報を届けるものであって、外向・内向で決まるものではないと思うのです。

例えば、なんとなく元気のない人に「どうしたの?そうだ今日一緒にご飯でも食べに行かない?悩みがあるなら相談に乗るよ」と誘うのもひとつの形だと思いますし、何も言わずに机の上にお菓子を置いてあげるのもコミュニケーションの形だと思います。

大事なのは「コミュ力」の名称で広まってしまった(ように見える)「コミュニケーション=外向」の誤解から離れ、「自分らしい」コミュニケーションを目指すこと。

そのために「自分はどんな人間で、相手とどう向き合うのか」という自分の姿勢をしっかり認識すべきでは?…と思うのです。

私は、人には必ず「自分らしいコミュニケーションがある」と信じています。



自分らしいコミュニケーションを行う能力を「対話力」とuniicでは呼んでいます。

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