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La Stanzaを始めた訳

「いわき駅前にゲストハウスをつくりたい」とSNSなどで言い出した時、「イタリアンのシェフが何で!?」とたくさんの人に驚かれました。でも、私としては実に自然な流れだったのです。そのお話はLa Stanza(スタンツァ)を作ろうと思ったところからお話しないといけません。既に取材して頂いたりと、お話させていただいているところもありますので、重複する部分もあるかと思いますが、お付き合いいただけたら嬉しいです。

いわき駅前の3階建ての「やまとビル」。スタンツァはココの3階にあります。(FAROは同じビルの1,2階に作りました)この場所は私が高校卒業するまで住んでいた場所なのです。このビルが建てられたのは1971年。実に49年モノです。私が子供の頃は1階が祖母がやっている呉服店、2階は母がやっている洋品店、3階は半分以上が倉庫(当時は流通が発達していませんでしたので、物販店はたくさん在庫を置いておかなければなりませんでした)、事務所、従業員さんの控室、そして私の家族の住居(めちゃ狭い)でした。

当時は商店街のお店は大体そういう形になっていて、みんなお店の上の階に住んでいました。だから私が子供の頃は町内でも子供会がちゃんとあって、野球チームが作れるくらいの子供がいました。当然商店街の大人たちには顔バレしていたので、何をしても見つかってしまう窮屈さもありました。(その後ニュータウンやマイカーブームで郊外に住居を持つことが良しとされ、商売の街と住宅街の住みわけが進みました。今は住んでる人はごくわずかです)商売の街に生まれ育った私としては「庭付きの一戸建てに住み、お父さんが会社に出勤して、お母さんは家事をし、夕方には家に帰って食事をし、週末は家族そろってお休み」って言う典型的な家族像は「テレビドラマだよね」でした。

学校から帰ると店の中を通って3階に上がる。お店のおねえさんや常連さんに声をかけられる。「大きくなったね~」「あなたが後継ぎなんだからね~」と言う、褒め言葉なのは分かってるけど当時一番のコンプレックスだった部分を毎日刺激される。

ちょっと横道にそれますが、当時は自宅の居住空間と、店員さんなど他人が出入りする空間が一緒だった上、トイレがみんなが使えるように出入口横にあったため、幼少期の私は落ち着いてトイレに入ることが出来ず、慢性的に便秘でした(酷くなりすぎて熱が出て病院に運ばれたこともあります)。上京して一人暮らしを始めて最高に幸せだったのが自分専用の「落ち着くトイレ」を手に入れたことでした。

トイレのせいだけではありませんが、高校卒業して上京した時は、2度といわきには戻ってくるつもりはありませんでした。

大学をちょっと長めに通って、社会に出てからも、いわきには年末年始以外帰りませんでした。ただ年に一度帰ってくる商店街は、年々急速に色あせていきました。街中に住んでいることを同級生に羨ましがられるくらい、キラキラしていた街は、すっかりセピア色になっていきました。ぽっかり心に穴が空いたような気持になりました。

嫌いで離れたいと思っていた商店街は、心の居場所になっていたんだと気付きました。両親が商売している姿やお店も、キラキラした商店街も、逃げ込んで入り浸ったジャズ喫茶も、無くしたくない自分の自慢(誇り)みたいな部分だったんです。

30歳を節目にUターンをすることを決め、商店街にお客さんを呼ぶためには何が良いかと考え「飲食店をやろう!」と決意し、料理学校に入学しました。もともと料理は好きでしたが、私がLa Stanzaをやろうと思ったのは「私の料理を食べてもらいたい!」と言う動機ではなく「街に人を呼びたいから飲食店をやる」でした。

学生の頃から好きで飲食店でアルバイトして来たとは言え、自分の店を持ち、ここまで続けるのは正直大変でしたが、何とかやってこれたのは、あの時「店では料理はお前が作れ!」と料理学校の先生が本気でスパルタしてくれたお陰だったと感謝しています。その料理学校でイタリアの本格的なエスプレッソに出会ったことから「イタリアンバール」と言う魅力的な業態に出会うことになりました。

バールの魅力については、もし機会がありましたら書かせて頂きたいと思いますが今回は割愛させていただき。とにかく商店街に人を呼びたくて飲食店を開けようと「いわきに帰るよ。お店開けるよ」と鼻息荒く帰ったのですが、両親に「1,2階はまだうちらが働いてるんだから3階使え」と言われ、がーーーんとなりつつも「えーーい、3階でもお客様呼べるお店にしてやるもんね!」と作り始めたのがLa Stanza(スタンツァ)です。

両親が引退し、空き店舗になったこの駅前の角地を、大好きなバールのようなゲストハウスにしたいと考えるのは実に自然な流れだったのです。15年前と違って、いわきで商売して出逢った魅力的なひと、もの、ことを詰め込んだ、今だから作れる「プラットフォーム」になるはずだと。


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