コリスポンデンツァ ロマーナ     ローマ通信

向いていないことでも10年やればプロになれるらしい。ローマに暮らし始めて10数年になる。とすれば私もローマ人と言えるのであろうか。そうかもしれない。最近日本に帰国した時、地下鉄で列に並ぶのを忘れてご婦人に怒られた。駅やバス停で列に並ぶという観念が頭から消えてしまっていたのである。けれど、大学で教授に何年ローマに住んでいるか聞かれ、「ほぼ10年になります」と答えて「じゃあ君もほとんどイタリア人だね」と言われたとき、私ははっきりと、とんでもないというトーンで「いいえ」と答えた。もちろん、教授はユーモアセンスのある人ゆえ、笑ってくれた。とんでもないというのは、冗談でもあり、本気でもある。私にはイタリア人のようにトイレを汚く使うことは不可能だけれど、日本のような型にはまりすぎた国で生きていける人間でもない。でもどちらかと言えば、このままの自分が非難される日本よりも、このままの自分を評価してくれるイタリアの方が生きやすい。例えば、「私はワクチンなしでコロナを生き抜いたけど、この人生も仕事せずに切り抜けてみたい」なんてことを言ったら、日本ではぶたれるだろうが、イタリアでは「最高!」というため息が返ってくる。日本では随分打たれてきた。打たれるのは好きじゃない。誰でもそうだろう。この世界には自分自身でいて、打たれない場所もあるのだ。けれど、イタリアでは想像を超えた非常識が存在し、それに打たれ続けることになる。郵便局の仕事のできないおばちゃんに怒鳴られたり、頭にたばこの吸い殻が落ちてきたり、郵便配達人が住所を見つけられず、住所が存在しないことにして日本に送り返してしまったり、バスがいつまでたっても来なかったり(このストレスが一番強い。毎日のことであるから)、あげればきりがない。他人のことを考えるかどうかは人の自由である、日本のように社会的ルールではない。ローマは人間のるつぼだ。あらゆる人がいる。ゴミみたいのから、日本でお目にかかれない程真面目で道徳観念のある人まで。そんなローマでは、学生がワンルームマンションに住むのはほぼ不可能。お金持ちでなければアパートを誰かと共用することになる。昔のイタリアの学生のように、10年以上学生をやっている身の自分がワンルームを借りられるわけがなく、しかも今は、大家が学生に貸すよりも旅行者に貸す方が断然儲かる、という当たり前のことに最近気づいてしまい、部屋を見つけるのは至難の業。そういう訳で、コロナが落ち着き、本気で学業を終えるべく、2023年10月にローマに長期で帰ってきたのであるが、日本で始めた部屋探しは難航し、全くもってオディッセアであった。話が長すぎるので、続く。


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