ただの主婦が抱く密かなる野望

こんなものが書きたい

以前、文章を好きな理由について記事にしました。

文章を書くにあたって、特に明確なテーマや目標はないのですが、実は密かな野望はあります。

それは、「誰かの心に留まるような文章を書きたい」ということ。

誰でもきっと、好きな文章ってあると思います。昔読んだ本の一節だったり、伝記の中の偉人の言葉だったり、新聞や雑誌に載った有名人のインタビューだったり、流行りの曲の歌詞だったり、ネット上のブログだったり、SNSのコメントだったり。

私も今まで生きてきた中で、数々の文章に感銘を受け、胸を打たれ、時には涙してみたり、深く考えさせられたりしてきました。

文字の良さ、文章のよさ

文字におこされた文章って、対面のコミュニケーションで交わされる言葉とはまた違った重みや味わいがある気がしています。

文章の良さは、時間が経ってもかたちに残るということだと私は思います。手書きの手紙なら、自分のためにわざわざ書く時間と手間を掛けてくれたという気持ちがまず嬉しいし、文字の形やインクの掠れ具合とかそういう細かな部分から、書いている時の相手の状況に思いを馳せることもできる。

私がまだ仕事をしていた数年前、残業中に同僚が自分のおやつを分けてくれて、そこに「おつかれさま」の一言が書かれた付箋がくっついてた時には、私を気遣ってくれたことが単純に嬉しいのと、その同僚自身も仕事大変なのにもかかわらず、周りへの心遣いができるということにも感動し、それができるくらいの気持ちのゆとりを自分も持たなきゃな…と感じさせられました。

ネットが発達した今では、手書きで誰かに宛てて書く事はめったになくて、もっぱらPCかスマホだけど…それでも、というか、だからこそ、文章上での気配りは今まで以上に大事だな、と思わされる。それは言葉遣いだったり、漢字の変換だったり、改行の仕方とか段落の空け方、些細な一言でも。液晶上の小さな文字の羅列でも、画面の向こうの人はこんな人なのかな?と、文面から想像することはできる。

SNS上のコメントのやり取りも、私は結構好きです。とはいえコミュ障なので繋がっているのはごく少数、それもリアルでお付き合いのある方々ばかりですが…

実際に顔を見てだと少し言いづらい事も、ネット上の文章だとすんなり言えたりする部分ってあると思っていて。あと、実際の会話だと会話のキャッチボールを意識するから「すぐに言葉を返さなきゃ!」と思って喋るけど、文章だったらある程度考えて返事ができるところがいいなって思います。

相手からのコメントやメッセージは貰えること自体が既に嬉しいんだけど、例えば実際に話すと当たり障りない感じの人がくれたメッセージを読んでみると、「あ、この人ってこんな面白い事言う人なんだ!」と意外な一面にちょっと嬉しくなったり、「それじゃ私もちょっとくだけた感じで返事してみよう!」とか、思ったりします。

あとは、メッセージの言い回しが素敵だと、私も今度この言い回し使おう!と、携帯のメモ帳なり自分の頭の中にストックを増やせたりもするし。

つまるところ

私の文章で多くの人を感動させたい!とか、何か名言を残したい!とか、そんな大層な事が出来たらいいんですけど、なにせ一般ピーポーの私がそれっぽい事を言っても誰にも響かないどころか、知人に陰でネタにされるのが関の山です。

ただ、一瞬でも何でもいいから、何かしら誰かの心に私の一言が引っ掛かったら嬉しいなぁ。そんで、その時に私のことも思い出してくれたら嬉しいなぁ…くらいには考えています。

私は、身近な人から有名人まで、いろいろな人が書いた記憶に残っている文章を思い出す度に、書いた人のことも思い出します。

あの人今元気かなあ、とか、こんな私に優しい言葉を掛けてくれて嬉しかったなあ、とか、長年の夢を叶えた友人なんかもいて、有言実行で凄いなあと改めて尊敬したり。

そんな風に、誰かの心の隅に一瞬現れるような感じで、私の文章が存在できたらいいな。欲を言えば、それで誰かがちょっとでも元気になったらもっといいな。そんな文章を書きたい。

文章そのものの内容も大事ですが、それを発するその人自身の人間性だとか、その人が積み上げてきた実績だとかもめっちゃ重要ですよね。

昔読んだ新聞記事のインタビューで、イチロー選手が「『何を言うか』より『誰が言うか』」だと話していたのにとても共感しました。私も、自分の書く文章に説得力を持たせられるような人間になるべく日々色々と努力せねば、と思います。