文章書くのが好きな理由

文章が好きでnoteを始めたということで(?)、今回は「なぜ私が文章を書くのが好きになったのか」について書いてみようと思います。

私の昔話から今に至るまでの完全なる自分語りですが、お読みいただけましたら幸いです。

はじめての読書感想文

今からウンじゅうウン年さかのぼること、小学1年生の夏休み。

「自由研究」と「読書感想文」という、夏休みの宿題の2大巨塔が当時6歳の私に襲いかかる。はじめてのしゅくだい。

自由研究は親の協力を得てフェルトをボンドで貼り合わせただけの超適当な工作で半ば無理やり乗り切ったが、問題は読書感想文。

読書?本を読む?感想ってなんだ?思ったことを書くってどういうこと??文章って、「せんせいあのね」から始まる今日の出来事くらいしか書いたことがないぞ。私の頭の中はハテナマークだらけ。

ここで両親や周りにいる大人に素直に聞けばよかったのだが、既にこの頃からプライドだけは一丁前に高かった私、教えを乞うというのが恥ずかしくて出来なかったんですね。思い返せば、「聞くは一時の恥、知らぬは一生の恥」ってまさにこの時の事だったなって思うんですけどね…

それで、誰にも聞けなかった私はどうしたかというと、当時好きだったシリーズ物の児童書(おばけとか魔女が出てくるようなやつで100ページもない)を読んで書くことにしたのだが、結果としてこのようなものが出来上がった。

「〇〇の△△(本のタイトル)をよんで、おもしろかったよ。

まじょは☓☓にすんでいて、〜〜をしようとおもったよ。そしたら〇〇と□□(登場人物の名前)がきて、〜〜をしたよ。

(以下中略)さいごはみんなで〜〜をしたよ。」

特に誰にも見せることなく、夏休み明けにそのまま先生に提出。

しばらくした後、クラス全員の書いた読書感想文が文集にまとめられて配布される。

ちょっと待て。文集にされて皆に読まれるなんて聞いてないぞ。私は慌てると同時に、こんなことならもっとしっかり書けばよかった…と後悔した。

そして、手元に配られた文集を見て私は衝撃を受け、恥ずかしさで顔が真っ赤になった。

え、え、なにこれ。

みんな、読んだ本について、どんな内容なのかを紹介しつつも、嬉しかったとか悲しかったとか楽しかったとか、自分の思ったことや感じたことを書いているではないか。

どのページをめくっても、私以外は全員そうやって書いていた。

比べて自分の感想文はというと、感想を述べたのは最初の一文だけで、以降は最後までひたすら、ストーリーの要約でしかなかった。いや、当時の私の文章力からしてきちんと要約できていたのかすらアヤシイ。

やってしまった。読書感想文ってこうやって書くものだったんだ。何で誰も教えてくれなかったんだろう…なんて、自分が人に聞かなかったので完全に自業自得である。

極めつけは、各学年から何名かずつ選出される代表発表者に選ばれてしまったことだ。発表者は、朝礼の時間に講堂に集まった全校生徒の前で自分の読書感想文を読み上げなければならない。

ひどいよ先生。これはもう公開処刑だ。もちろん当時の私は公開処刑なんて言葉は知らない。ひどいひどいひどいひどい…とひたすら先生を呪うばかりだった。

発表当日は泣きそうになりながら皆の前でなんとか感想文を読み上げ、退場する時のパチパチパチパチも耳に入れまいと、逃げるように自分の席に戻った。変な感想文だってみんなにきっと笑われるんだ。みんな早く忘れてほしい。

ひたすらそう願ったのに、朝礼が終わった後、当時の担任の先生はすごく褒めてくれた。

てっきり怒られるとばかり思っていた私は予想外の展開にポカンとしてしまい、その後に続く「どこが良かったのか」という肝心の部分を聞き逃してしまった。

家に帰った後、両親からもなぜか褒められて、それまですごく恥ずかしかったのが一転して嬉しくなった。推敲もせずにえいやーで提出したはずなのに、頑張って書いた甲斐があった!にいつの間にか脳内変換された。なんて都合がいいアタマなんだろう。

ちなみに評価された理由は、きっと感想文のボリュームが多かったからでは…と後から推察した。当時の1年生の感想文の枚数はみんな平均して1〜2枚だったところを、私は4枚超書いていたからだ。確かに書いてる途中で腕が疲れてきたし、2Bの鉛筆でゴリゴリ書いていたので字が掠れて原稿用紙も全体的に黒ずんでた。けど本当のところは今考えてみてもわからない。ただ、「頑張って書いたら褒められた!」という部分が強調されて記憶に刷り込まれた。思えばこれが私史上初の成功体験だったのかもしれない。


イントネーションについて指摘される

小学2年生以降も毎年夏休みには読書感想文が宿題として出され、5年生の時に私はもう一度代表発表に選ばれた。

上級生になるとさすがに1年生の時のような失敗はしなくなった。今度は「要約文」じゃなくてちゃんと感想文として書いたんだもんね。私は自信を持って壇上に上がり、堂々と自身の感想文を読み上げた。

今度こそ上手く行った。

…はずだった。

朝礼後、同じクラスの友人から声がかかる。どうだった私の感想文よかったでしょ、と言わんばかりの余裕のドヤ顔を友人へ向けた私に、友人が放った一言。

「『はくがい』の言い方、変じゃなかった?」

え。

100パーセント褒め言葉を期待していた私には意外すぎる一言で、頭が混乱した。1年生の時とは逆のパターンだ。どういうことだ。

当時私が感想文のテーマに取り上げたのは、アンネ・フランクについての本だった。第二次世界大戦中、ナチス・ドイツ下のホロコーストを背景とした話で、ユダヤ人「はくがい」=迫害、という言葉は著書の中で多く用いられていたため、必然的に私の感想文の中にも迫害という言葉は複数回登場することになった、のだが。

イントネーションが問題らしかった。

当時の私は、「はくがい」の「は」にアクセントを付けて読んでいた(「生物(せいぶつ)」と同じ読み)のだけど、友人によれば、「い」にアクセントを付ける(「妖怪(ようかい)」と同じ読み)のが正しいとのこと。

またか。また私は大勢の前でやらかしたのか。恥ずかしい恥ずかしいハズカシイ…とそれまでの得意気はどこかへ吹っ飛んでしまった。

次こそは皆の前で恥をかかずにすごい感想文を読むんだこんちくしょーと燃えていたが、残念ながら翌年の6年生では私の感想文は代表に選ばれることはなかった。

しかしそのさらに翌年、私はまたしても恥ずかしい思いをすることになる。


国語の授業で恋愛ポエムを披露する

それは中学1年生での国語の授業での出来事だった。

作文の授業で、先生からは具体的に何について書いてください、という指示はほとんどなく、各々が自由なテーマで書いていた気がする。

クラス全員が書き終わった後、1人ずつ自分の作文を発表しなければならなかった。

当時、私は家にあった恋愛小説を読むのにハマっていた。中でも江國香織の小説に強く惹かれていて、大人になったらこんな素敵な恋愛がしたいなあ…と1人でよく妄想していた。

そして、江國さんらしい女性的な文体や、雰囲気とか世界観とかにすごく憧れていた。

それがいけなかった。

あろうことか私は、小学校1年生の時にクラスの男の子と一緒に帰った時のことを作文にしてしまったのだ。

しかも、

「しとしと静かに降る雨粒が…」

とか、

「雨の中、彼と私は微笑みあった。」

とか、今思い出して書いても恥ずかしすぎて噴飯モノなんですけど、当時は江國香織になったつもりで、ノリノリで書いていたという(江國さんファンの方、ごめんなさい…)

読み終えた後、当然クラスの雰囲気は異様なものに。 

「恋愛小説みたいー!」と冷やかす声も聞こえてきて、その時になってようやく私は自分がやらかしたことを理解した。

これは文章ではない。ポエムだ。

しかも普通の女の子なら自分しか読まない日記に密かに綴るであろう恋愛ポエムを、私はクラスの女子全員約45名と国語の先生の前で大公開してしまったのだ。

顔からというより、全身の毛穴という毛穴から火が出そうだった。

そして、一刻も早く忘れてほしいという私の願いとは裏腹にクラスの友人達はこの出来事をしっかり覚えていて、忘れた頃にネタにされる度この上なく恥ずかしかった。


そして今に至るまで

それ以降も国語の授業などで作文を書く機会は何度かあり、ごくたまに小さい賞を貰うこともあったりしたのもあって「あ、私って実は文章を書くの好きなのかも」と思い始める。

ちなみに文章にまつわる恥ずかしい思いはポエム事件以来はしていない。というか今までの経験から、恥をかくだろうと想定される文章を今後は絶対に書くまいとしていたし、やっぱり同じように恥をかきたくないという理由から、人前に出るのも極力避けた。だから、文章を書くのが好きだからといって、自ら積極的に学校外のコンクールに応募してみようという気もなかった。

気付けば中学高校と卒業して、大学入学、そして就活。

自分の進路を考える時に、「書くことを仕事にしては?」という思いは一瞬よぎったけれど、プロとして、人に読んでもらえるような文章を書き、それを飯の種にするというのは現実的でない気がした…と書くと何となく格好いいけど本当の理由は、そういった物書きに携われそうな企業のエントリーシートが膨大すぎて、見ただけで書く気が失せてしまったから。

ちなみに当時流行っていたmixiに、少ない友人相手に日頃の出来事などをちょこちょこ書いたりするのはすごく好きだった。すっかり廃れてしまって少し悲しい。


それでもやっぱり書くのは好きだ

就職戦線をやっとの思いでくぐり抜け、大学卒業後は社会人デビュー、無事に社会の荒波に揉まれ、物理的にも精神的にも余裕のない日々を過ごし、何か文章を書くといえば業務上の日誌や報告書、もしくはツイッターで仕事の愚痴くらい。

やれ会社の同期が結婚だ、引っ越しだ、部署の異動だ、転職だ、何やかんやあって今や無職の身、ですが…

時間ができて何をしよう、と考えた時に、漠然と「 何か文章書きたいな」と浮かんできた。

しかし所詮私は一般の小市民、もはや無収入のニート状態でして、自伝を書けるような立派な人生を歩んでいるわけでもなければ、飛び抜けて高い文章スキルを持っているわけでもなく。というかそんなスキルがあったらとっくにプロでやってると思われる…

なんだけど、書くのはやっぱり好きだと今でも思う。小1での成功体験が大きいと思うけど、その時もそれ以降も大恥かいたりしてるのに、嫌いにならないどころか、今noteにおこしてる現在も時間を忘れて文字を打っていたりする。

何事もやり始めって一番熱量が高いものだし、飽き性なのでこれもいつまで続くかも分からないけれど…でもありがたいことに時間だけはあるし、ネタが尽きない限りは、拙くても、何かしら書き続けていけたいと思います。こうやって全世界に発信している以上、これまでみたいに恥をかくかもしれないけれど、それもいつの日かネタとして投稿できたらいいな。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。







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