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ネットで知り合った女の子に会った時の話

こんばんは。書いた記事に対してみなさんからリアクションをいただけるのが嬉しくて、調子に乗って今日2本目の記事です。逆に気分が乗らないと何日も書かないのですが…。

今回は私の中学時代の昔話です。概要はタイトル通り、ネット友達と会ったら刺激的だった!みたいなカンジです。


中学時代の私は何かとこじらせていました。

もともとの性格が内向的だったから、自分から積極的に友達を作りに行くこともできなくて、部活動も所属していたけど一生懸命やるわけでもなく。なのにプライドだけは高くて、周囲への反発心も人一倍で、今思えば本当に本当に、扱いにくい子供だったと思います。

そんな私が当時夢中になっていたものはインターネットでした。とはいえスマホもまだない時代、自分用のPCなんて買い与えてもらえるはずもなかったので、両親も使っている家のPCで。実はホームページ制作をやっていたこともあります。HTMLとかCSSとか、見よう見まねで必死に打ち込んでました。

それで、当時のネットにはまだTwitterのようなSNSもほとんどなかったので、匿名掲示板だけれども異性同性問わずお友達を募集できるサイトによく出入りしていました。主に中高生向けだったのでローカルルールもしっかりしていて、男女出会い目的で利用してる人にはほとんど遭遇しませんでした。まあそれでも中には何人かそういう方、いましたが…

そのサイトで私は友達を作ろうとしていました。リアルではなかなか上手くいかなかった時期もあって、ネットの世界に逃げ込んでいたのですね。女子校に通っていたので、彼氏や男の子の友達がいるのに憧れてはいたけれど、ネットで出会う勇気はなく。同性の、同年代の女の子何人かとやり取りをしていました。最初はメッセージから始まり、その後メール、仲良くなれば文通でプリクラを送り合ったりしてました。

その中でも特に何度か手紙交換をしていた同い年の女の子がいました。ここでは、みくちゃん(仮名)と呼びます。二人とも首都圏に住んでいたので、じゃあ会って遊ぼうよ!という話になりました。当時中学3年生。親はポストに入った私宛の手紙を見ることもあるので私に文通相手がいる事は知っていましたが、その相手に会いに行く事は言えませんでした。学校の友達と遊んでくる、と適当に誤魔化して家を出ました。

校則が厳しかったこともあり、私は黒髪で化粧にも疎く、眉毛を整えるのがせいぜいでした。対して、みくちゃんは遠目から見ても華やかな雰囲気でした。綺麗な明るい茶髪に、透きとおるように白い肌。トレンドを押さえたメイク。雑誌のようなファッションも垢抜けていて、背の高くてスラッとした体型によく似合っていました。渋谷とか、新宿を歩いてそう。間違いなく、私の学校にはいないタイプの女の子。

思わず「かわいい!」と言った私に対し、「ううん、すーちゃん(私)の方がずっと可愛いよ」とみくちゃんは言いました。こんなにキレイで可愛いのに、控えめな所がギャップでした。きっとモテるんだろうなあ…と思いました。

一緒にサイゼリヤでお昼ごはんを食べて、当時流行っていたアニメ映画を見て、プリクラを撮りました。いろんな話もしました。お互いの学校のこと、家族のこと、テレビのこと、住んでる場所のこと、恋愛のこと。

狭い世界で生きていた私にとって、みくちゃんの周りは私の経験していない事で溢れていました。

彼氏はおろか男友達すらいなかった私に対し、同い年のみくちゃんには自分より一回り以上も年上の彼氏がいました。彼氏とはラブラブだったみたいだけれど、元彼からの連絡がしつこいらしく、実際映画の上映前にみくちゃんが電源を切ろうと開いた携帯には元彼からの着信が何件も入っていました。それも一人だけじゃなく複数人いて、かなり困っているようでした。

他にも、彼女の通っていた中学ではいじめが酷く、教育委員会に訴えることでやっと解決できたという話や、家庭の事情で自分も両親の農業の手伝いをしているという話、こっそり飲食店でバイトをしている話を聞きました。

それから、コスメの話。当時の私が買う化粧品なんて、近所のドラッグストアもしくは行ってせいぜいソニプラ(現在のプラザ)でプチプラコスメでしたが、みくちゃんは有名デパコスのもので統一していました。私はブランド名すら聞いたことがありませんでしたが、彼女はいくつか化粧品のサンプルを私にくれました。ファンデ、リップグロス、メイクリムーバー。サンプルの小瓶ですら美しく見えました。帰宅後さっそく使ってみて、いつものプチプラコスメとの使用感の差に感動しました。自分ではとても買える値段ではなかったけれど。

二人の中間地点で会っていたとはいえ片道2時間近くかけて来ていたので、親の目もあるし…と少し早目に解散しました。

また会おうね、と言って別れ、お互い高校に上がった後もしばらくメールや手紙のやり取りをしていたけれど、ある日ぱったり連絡がなくなって、みくちゃんとはそれっきりになってしまいました。

だけど考えてみれば、家庭環境も、性格も、服の好みも、付き合う友達のタイプも、お互い何もかも違っていた。自然消滅のような形になったのも当然といえば当然だったかもしれません。共通点を挙げるとしたら、彼女も私も不器用だったと思います。私が私でモヤモヤうじうじ悩んでいる一方で、彼女も彼女なりの事情を色々抱えていたのかもしれません。

高校入学後の私は、中学時代よりほんの少しだけ精神面がマシになり、周囲に対しても少しだけ穏やかに接することができるようになりました。気付けばネットの掲示板へ出入りすることもなくなり、あんなに夢中だったパソコンも触る時間が減っていました。

それでも、当時流行っていたプリクラ帳には手紙交換でもらったみくちゃんのプリクラも、二人で撮ったプリクラも貼ってあったし、やり取りしていた手紙も全部取ってあったし、手渡しでもらったデパコスのサンプルも空の容器を捨てずに取ってあったので、何かにつけ彼女のことを思い出しては「どうしてるのかな…」と気になっていました。

会った時にもっと私が面白い話ができたりしてたら、もっと仲良くなれてたかもしれないのに…という後悔は残りました。もっと彼女のことを知りたかったし、二人で買い物行ったり遊んだりしたかった。今となっては何が悪かったのか、それとも仕方がなかった事なのかも分からない。貴重な友達をひとり失ったのだと思うと、今でも少し胸がチクリとします。

だけど、彼女と少しの間だけでも実際にメールや手紙でやりとりができて、実際に会って話せたというのは事実ですし、大切な思い出です。狭い世界の中で生きていたうえに視野も狭くて考えも小さかった当時の私にとって、みくちゃんの存在や彼女の言葉や彼女の取り巻く世界は、すごく新鮮で何だかキラキラしていました。こんな世界もあるんだ、ということを身近に感じさせてくれました。

同時に、当時の私は非常に幸運だったのだとも思います。これがもし仮に悪意のある相手だったとしたら、実際に会った時に何をされるか分かりません。私は特に何の被害に遭うこともなく、純粋に同じ中3の女の子とのやり取りだけで終わりました。ただ、もしも自分に子供がいたとして、ネットで知り合った相手に会うことが分かったらと思うと…正直少し考えてしまいます。今こうして考えてみると、あの頃の私は周りの大人にすごく守られていたんだなと感じます。みくちゃんが置かれていた環境と比較してもそうですし、悪い大人に騙されることもなければ危ない目に遭うこともほとんどなかったように思います。当時はそれが当たり前だったけれど、改めて感謝すべきですね。

もう彼女に会うことは恐らくないけれど、今でも当時の手紙やプリクラは捨てずに実家に取ってあります。今は元気にしているだろうか。もしも、もしまた会うことがあったとしたら、知り合えて嬉しかったことや、仲良くしてくれたことへの感謝を伝えたいです。あの時はありがとう、楽しかったよ。