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本とのつきあい方

「趣味は読書です」とはどういうことか

本を読むのは好きだけど、「趣味は読書です!」とは公言できません。言いづらい風潮ないですか?何となく。

私は、常にカバンに文庫本を入れてるとか、月に5冊読むとかでもないし、日本や海外の古典文学も全然読んだことがありません。話題のベストセラーも押さえているわけでもなし。本当に気が向いた時に、自分の興味のある本を読むだけです。いや、本当は読書嫌いなのかもしれません。

私はつい最近まで、読書に対しての思い込みというか、「読書とはこうであらねばならぬ」論を、勝手に自分自身に課していました。だけど、ある本を読んで、すごく目から鱗というか「そっか、そういうスタンスで本と付き合っていいんだな」と気楽に構えられるようになりました。

それでいいのか、そんなんでいいのか

それがこちらの本です。

ジェーン・スー著『女の甲冑、着たり脱いだり毎日が戦なり。』

著者のジェーン・スーさんはラジオパーソナリティーやアイドルの曲の作詞なんかもやってらっしゃる方でして(日本人の方です)、この本は女性が生きるうえで出会うアレコレや心の葛藤が軽快、そして痛快に書かれたエッセイです。あるある話が多く、女性なら共感間違いなしと思います。サクサク読めるので、女性の生態に興味のある男性の方も読んでみると面白いのではないでしょうか。

で、この本の『読書家への長い長い道のりで思ったこと』という章には、以下のように書かれていたのです。引用します。

観察するに、本好きは頻繁に図書館を利用します。その都度大量に借りて気軽に読み始め、貸し出し期間中に読み終わらないものはザクザク返す。気が向いたらまた借りますし、つまらないと思ったら途中でやめるのも平気です。読書が進まぬのは、相性やタイミングの問題であると本能的に知っているからです。本好きはそうやって大量の本に触れるうちに自分の好みを把握し、好きな本はちゃんと買って手元に置く。なぜなら何度も同じ本を読むから!ああ、なんと合理的なシステムでしょう。本好き人間は本と対等に対峙しています。

この箇所を読んだ私は衝撃を受けました。

なぜなら、私は今まで「本というものは、基本的に買って読み、手元に置いておくもの」であり、「一度読み始めたら、最後まで読まなければならないもの」だと思い込んでいたからです。

なので、例えば電車やネットの広告で気になる本があっても「買ったら全部読まなきゃいけないからなぁ…どうしても読みたいというわけでもないし、まあいいか」と思って諦めたり、

たまたま気が向いて購入しても、結局途中で、ひどい場合は最初の数ページだけ読んで放置してた本も結構ありました。いわゆる積ん読というヤツでしょうか。 

図書館という選択肢は、全くと言っていいほど私の頭にはなかったのです。

お恥ずかしながら私は図書館なんて小学生の時に行ったきり、今住んでいる市の図書館がどこにあるのかも分からない状態で、図書館とは「心の底から本が好きな人々が足を運ぶ場所」として認識していました。貸出期限内に読みきれる自信もないし…と。

けれど、もっと本に対してフランクな姿勢でいいのかも。図書館なら何冊でも無料で借りられるのだから、読み切れなくても別にいいんだ。気軽な気持ちで利用していいんだ。そんな気持ちになり、しばらくして初めて、近所にある図書館を訪れました。

図書館はエンタメの宝庫だった

今の図書館って、思った以上に幅広いジャンルの本があるのですね。驚きました。文庫本やハードカバーの小説はもちろんのこと、新聞、雑誌、エッセイ、ビジネス書やスピリチュアル本、自己啓発書もあれば、資格試験対策、料理やお菓子のレシピ本、ペットの本まである。漫画やCD、映画のDVDだってある。

豊富な蔵書に思わずワクワクしてしまい、一通りのコーナーをぐるっと見て回りました。確かに話題の最新刊となると貸し出し中であることが多いけれど、何となく小説コーナーを「あ」行から順に眺めていくうちに、そういえば昔この本流行ったけど読んだことなかったな、とか、そういえばこの作家さんは好きだけどこんな本出してたんだな、とか、次々と新たな本との出会いがあって、何だか楽しくなってきました。

結局その日は貸し出し上限一杯まで本を借りて帰ってきました。カバンの重いこと重いこと。家に着いて早速、借りてきた本を開いてみる。

あ。これ楽しい。

「全部読まなきゃ」という思い込みは、私にとって相当な足かせになっていたようで、「読み切れなくても大丈夫、つまらなかったら本を閉じればいい」という考えは、読書の本来の楽しさを私に思い出させてくれたようでした。そうだ、子供の頃に新しい絵本を開く時の、このワクワクした感じ。

結局期限内には全部は読み切れなかったのだけど、私にとってこの発見はとても大きなものとなり、本に対するハードルはぐっと低くなりました。

何でも読む人は何でも識っている

あと、これは昔からなんですが…私は本に対して、数多の偏見も持っていたのです。

例えば、「社会人たるもの、ビジネス書を読むべき、所詮小説はエンタメに過ぎない」とか、「ベストセラー作家は作品数は多いけど、ひとつひとつのクオリティが低い」とか、「読書好きを公言するのであれば、夏目漱石や太宰治は詳しくなければならない」とか。ド偏見を通り越して、もはや作家さんに失礼なレベルなものがありますね。

しかしこの偏見たちは、生きていく過程で様々な人と出会う中で次第に薄れていきました。

一時期は「難しそうな活字本を読んでいるワタシ」に酔っていた時期もありました。何とも恥ずかしい。私の数ある黒歴史の中のひとつです。

だけど、頭のいい人ってどんな本でも読むんですよね。確かに、いわゆる文豪と呼ばれる作家の作品の中には高い読解力が必要なものもあると思うけれど、例えば東野圭吾だって読むし、さくらももこのエッセイだって読む。ベストセラー小説のストーリーだって、気が付けばちゃんと知っていたりする。

私が意外だったのは、本をたくさん読む人は、それと同じくらい漫画もたくさん読んでいたこと。頭がいい友達の5人に1人くらいは(あくまで私調べ)部屋の本棚が漫画で埋め尽くされている。私も漫画は好きだけど、名作と呼ばれる作品もちゃんと読んだことがないものが多い。でも、少年漫画、少女漫画でも、大人になってから読み返すと、昔は気付かなかった事に気付けたりしますよね。全部が全部いい作品とは一概に言えないけど、色々な漫画を読んでいく過程で、何か良くて何が悪いのか?どんな事を言ったら人は嬉しくなるのか、逆に傷つくのか?など、自分の中でのあらゆる価値基準が出来上がっていくのかな…と思っています。

令和の時代、本はどうなるのか

今はAmazonなどのECサイトが充実していることもあり、街の本屋さんがどんどん減っていますよね。かくいう私も常日頃Amazonや楽天市場の恩恵に与っている身なのでエラソーな事は言えないのですが…、ただ、店頭で本をパラパラめくりながら選ぶのは結構好きだったりするので、やっぱり少し寂しさを感じてしまいます。

それから、最近は電子書籍も以前よりたくさん増えて、本のペーパーレス化がより一層進んでますね。私もかつて中学時代は、電子辞書に無料でダウンロードできる『青空文庫』で、小さな液晶画面に表示される活字を、目をショボショボさせながら一生懸命読んでいたことがあります。

今後は電子書籍が主流になっていくのかな。そうなったらそうなったで、きっと順応していくのだろうけど、紙媒体の文化は残してほしいなあ。

というのも、私は本を読み始めて話が進んでくると、数ページ前に起きた出来事でもすぐ忘れてしまうのです。その度にパラパラ…と数ページ前に戻り、それよりも前に起こっていた話も確認したくて、さらにパラパラパラ…とページを戻し…なんて事をしょっちゅうやっている。ミステリー小説だったら、謎が解ける段階まで来た時、それまでに張られていた伏線を確認するためにページを戻す時もある。そういうのは紙媒体の方が(慣れているからというのもあるけど)便利なんですよね。

というわけで

そんな感じで、今はゆる〜〜く本と付き合っています。今日も借りていた本を返却しに図書館へ行きます。たくさん借りたけど、やっぱり全部は読み切れなかった。でも、それでいいのだ。また読みたくなった時にふらっと借りに行けば。