「酒蔵のこびと」マンフレート・キューバ―
真夜中の十二時と一時のあいだは、おろかな人間たちが想像もしない、いろいろなものが生命を持つ時間です。いつもカチコチでじっとしている、「こんにちは」も言えそうにないものも、いきいきと動きだします。そしてものたちは、おろかな人間がそんな話を信じても信じなくても、ぜんぜん気にはしません。
ある小さな古い町でも、聖母さまの教会の塔にとりつけられた時計が、太い鐘の音をおもおもしく十二回鳴らして真夜中を知らせると、とたんににぎやかになりました。敷石はすきまに生えている雑草の茎と話を始め、いつまでそこにいるつもりかとたずねたりしました。また曲がりくねったせまい通りをはさんでたつ家々の軒や出窓は、たがいにうなずいてあいさつし、街灯たちは風があまりつらくあたるので冷えてしかたがないと不平をこぼしました。
そしてこの小さな古い町にある古い地下の酒蔵も、やっぱりにぎやかになりました。ずらりと並んだそれはそれはたくさんの樽たちが、大きいものも小さいものも、あくびをし、のびをし、腕をひろげ、そのひょうしにだれかにぶつかりでもしたら、こう言いました。「おお、まことにすみませんね!」樽たちはみな気がよくて礼儀正しいのです。それから樽たちはみじかい太い足を下ろして起き上がりました――これもおろかな人間たちは知らないことですが、樽には小さな足があるのです――そうしてたがいにおじぎをし、あちらを向き、こちらを向いて、うなずいたり声をかけたりしました。そうやって樽たちがあいさつし、「ごきげんいかが」「よく眠れましたか」などとたずねあっていたところへ――壁の割れ目からおかしなこびとがはい出してきて、眠そうに小さな目をこすりました。これは酒蔵のこびとで、みかけはからからに干からびて、なま白いしわだらけの顔に赤い鼻をしています――鼻が赤いのはワインをたくさん飲むせいです。このこびとは、おどろくほどたくさんのワインを飲むのですが、小さなからだのどこにそんなにたくさんのワインが入るのかは、だれにもわからない謎で、本人はどれだけ飲み干しても、なんでもない、一口すすっただけという顔です。こびとじしんの見た目はぱっとしませんが、着ている服はとても豪華でいっぷう変わっています。頭にとびきり優雅な三角帽子をのせ、とめ金のついた靴をはき、レースをぬいつけ、金のししゅうをした上着をきて、まるで何百年も前の人のようです。腰には黄金のさやにおさめ、すばらしい彫刻をした柄《つか》のついたほそい剣を下げています。ただ、こんなりっぱないでたちも、壁の割れ目に住んでいるのではしかたがないことですが、ほこりにまみれて色あせていました。このこびとが剣の柄に小さな手をかけ、いばってゆっくりと古い酒蔵のはしからはしまで進んでゆくと、樽たちはみな、うやうやしくおじぎをしてあいさつしました。酒蔵のこびとは、酒蔵ではいちばんのお偉いさんであり、万事うまくいっているかどうか、注意するのが役目です。そしてもしなにかまずいことがあれば、こごとを言ってはワインを飲み、万事うまくいっていれば、なにも言わずにやっぱりワインを飲みます。なぜなら、こびとはお偉いさんだからなのです。さて、お偉いさんであるこびとは、だれにもあいさつを返さず、もったいぶってお高くとまったようすでした。ただ、酒蔵を寝床にしていて毎晩やって来る灰色のおじいさん猫のそばを通ったときだけは、足を止めてさっと剣を後ろにはらい、優雅な三角帽子をとり、深く腰をかがめておじぎをしました。それというのも、こびとはむかし、意見の違いでこの猫とけんかになり、横つらに強烈なパンチをおみまいされて、年代ものの豪華な衣装もろとも床に転がされたことがあったのです。どんな猫もそうですが、この猫はたいへんな哲学者でしたから、つねづね言っていたように、こんなあやしげな酒蔵の妖怪のことなど、ありがたがりはしませんでした。それいらい、こびとは、この年とった灰色のお方のまえでは「肉球閣下に最高の敬意を」とつぶやき、ぺこぺこしていました。猫のほうでは、おかしなちびすけのことはまったく気にもとめず、せいぜいのどをゴロゴロ鳴らしてやるくらいのもので、いかにも勇ましそうなひげをしごき、毎晩うるさくてかなわない、つまらんやつが、というようなことを小声で言うのでした。
こびとはやせこけた小さな足でいばって歩きつづけ、右や左を見まわしては、万事うまくいっているかどうかを、きびしい目つきでたしかめていきました。すべてが古き良き時代に建てられた蔵にふさわしくととのっていなければなりません。この蔵は、人がまだ礼儀をおもんじ、とめ金つきの靴をはいて三角帽子をかぶり、ほそい剣をつるしていた時代に建てられたのです。だいじょうぶ、万事うまくいっていました。まだ新しい味気ないワインをおなかに入れたふたつの壜だけは、こびとのおかしなようすを死ぬほど笑っていましたが、こびとがそれに気づなかったのはさいわいでした。もし気づいていたら、なまいきな壜たちの頭をなさけようしゃなく叩き割ったでしょうから。そんなことをしても、ふたつのおなかに入っているのは、まだ新しい味気ないワインだけですから、骨折り損というものです。酒蔵のこびとは蔵のはしまで行くと、すみっこに腰を下ろし、巨大な銀のコップをとりだして、おそろしいいきおいでワインを飲みはじめました。二、三度ごくごくとのどを鳴らしただけでコップはもう空、それがなんどもくりかえされ、飲み干したそんなにたくさんのワインがいったいどこにおさまったのかは、だれにもわかりませんでした。
酒蔵の反対がわのはしでは樽たちがおしゃべりをはじめ、だれかがべつのだれかに、なにか変わったことはなかったかとたずねていました。じっさい、なにも変わったことはなかったのですが、樽たちはそれが不満でした。一日じゅうじっとしていて、夜の一時間だけしか命を持てないとしたら、なにか話のたねがほしい、蔵の窓のそとに広がる世界について聞きたいと思うのもむりはないでしょう。
「そうとも、そうとも」うんと年寄りのまるまると太った樽が言いました。「このごろの世の中はほんとうにたいくつなものだ。とおいむかし、正真正銘のまっとうなワイン樽をおもしろがらせたようなできごとは、もうちっとも起こらない。むかし、わしが若かったころは、しょっちゅう戦争やら、はやり病やらが起こったもので、真夜中にはそんな話でもちきりだった。町を囲む壁のところにオロチが這ってきて、口から鼻から炎を吐きだしたことさえあったよ」「どうかその話をしてくださいな」いくつかの若い樽たちが言いました。「ものすごくおもしろかったでしょうね」
「そりゃもうおもしろかったし、おまけにおそろしくてきみわるかったさ。昼も夜も聖母さまの教会の鐘が鳴りつづけで、町の人たちは壁のぎざぎざの上に立って、ふるえおののきながら見守っていた。ああいうオロチというのは、まったくべらぼうなものだからな。オロチどのは毛や皮があるものならなんでも食べてしまうから、だれも町のそとには出られないし、そとから入ることもできないしで、ひどい食べもの不足になり、みんなやせこけて服だけが歩いているみたいだった。まったくひどいありさまで、これ以上はどうにもならないというときになって、年寄りの町長をはじめ、いともかしこい議会の人たちは、なにか思いきったことをせにゃならんと決心した。そこで一同そろって壁の上にならび、町長が言った。「尊敬すべき親愛なるオロチどの、われわれはおまえさまに食べられてやるつもりなどないから、壁の前をどいてはもらえまいか」しかしオロチは鼻からいっそうはげしく火を噴いて答えた。「いやだね」そこで町長も議員たちもおおいにがっかりし、壁からおりて広場へゆくと、思いきったことをやってはみたが、なんの役にも立たなかったと言った。みんな、少なくともまだ飢え死にしていなかった人たちはみんな涙を流し、聖母さまの教会の鐘は鳴りつづけ、オロチは壁ぎわを這いまわり、ビスケット一枚も町には入ってこなかった。いともかしこい議員たちはみんなの悲しむようすを見て、外でオロチが火を噴く音を聞き、もういちど、なにか思いきったことをせにゃならんと考えに考えた。というわけで、お偉がたはそろってこの蔵におりてきて、頭を悩ませながらワインを飲んだが、ひとつもいい知恵はうかばなかった」ここまで話すと、年寄りの樽は「ちょっとやすませてもらうよ」と言って頭からクモの巣をかぶりました。まわりの樽たちは息をつめて静かに話のつづきを待っていました。
ところでさきほどから二匹の子ネズミも、樽がなにか話しているのに耳をすませながらも、あいだに猫が寝そべっているので、怖くて近づけなかったのですが、議員たちにいい知恵がうかばなかったというところで、これはいよいよおもしろそうだと思いました。そこで二匹はもっと近くで聞こうと決心しました。勇気をだして、灰色の毛皮を前足できれいになでつけてから、酒蔵のこびとの前に進みでて話しかけました。「あのう、すみません、あのいとも高貴な猫どのはネズミを食べるでしょうか?」
こびとはコップから目を上げ、もういちどおそろしいほどたくさんのワインをひと飲みしてから、ばかていねいに言ってやりました。「いとも高貴な猫どのは、もうたいへんなお年でいらっしゃるからして、下ごしらえをしたとくべつな食べものしかお召しあがりにならない。ふつうのネズミなど食べんよ。きみたちのようなものが猫どののお目に留まることなど考えられないから、安心して通りなさい」ネズミたちはぺこぺこしてなんども礼を言い、いとも高貴な猫どのの横をびくびくしながら急いで通りすぎました。お年を召したお方とはいえ、若かったときの気分をとりもどすことがぜったいにないとは、だれにも言いきれないでしょうから。しかし猫は、わけ知り顔でネズミたちにむかってにやりと笑っただけだったので、二匹はぶじに大きな樽のそばまで来られました。
ところが樽は眠りこんでおり、いともかしこい議員たちがどんなにいっしょうけんめい考えてもよい知恵が浮かばなかったその先がどうなったのか、話のつづきをするつもりはぜんぜんなさそうでした。となりの樽は軽くこづいてつづきをさいそくし、ネズミたちは、せっかく高貴なお方の爪の先を通って危険な道をやってきたのに、もうなにも聞けないとわかってがっかりしました。一匹は樽に飛び乗ってお腹をそっと叩き、もう一匹は樽の顔にかけられたクモの巣を取りのけさえしました。しかし年寄りの樽は起きるけはいもなく眠りつづけました。この樽はそれはもうひどく年をとっているので、どうしようもないのです。小さなネズミたちはうなだれて前足に顔をうずめ、オイオイと泣きはじめ、ほかの樽たちも、話のつづきを聞くことができなくてたいそう残念がりました。だってほんとうにおもしろい話でしたから。オロチが火を噴いて「いやだね」と言い、いともかしこい議員たちが二回も思いきったことをして、ワインをたくさん飲み、それでもいい知恵が浮かばなかったなんて。ところでここに、とてもりこうそうな顔つきをした中くらいの大きさの樽がいて、それというのも、名前は忘れてしまったけれど、ある有名な哲学者が生まれたのと同じ年に生まれたからなのですが、その樽が立ち上がって言いました。「そんなにおおげさに悩んだり、そこのネズミたちみたいにオイオイ泣いたりする必要はない。少しでも哲学というものを腹に入れておれば、かんたんにわかることだ。けっきょく、オロチどのはどこかへ行ってしまったか、やすらかにかどうかは知らんが、死んでしまったはずだ。でなければ、いまごろこの町は門も塔もいっしょになくなっているはずだし、聖母さまの教会で鐘が鳴ることもなかろう。なにはなくとも哲学を腹に入れておくべきなのに、哲学を持っているのはわしだけときた」
これを聞いて樽たちはなっとくしましたが、とりわけ遠慮のないひとつの樽は、哲学者の樽に向かってたずねました。「そんなにたくさんの哲学をお腹におさめているのでは、あなたのワインは、それはそれはしぶい味なのでしょうね」哲学者の樽は気を悪くして、体にはめられたたががきしむほど小さな足を踏みならし、こてんぱんに言い返してやろうと思いました。ところが、「わしは、名前は忘れてしまったが、有名な哲学者が生まれたのと同じ年に生まれたんだぞ……」と言いかけたところで、たいへんなことが起こりました。酒蔵を照らすランタンがきゅうに狂ったように飛びまわりだし、樽やネズミたちやいとも高貴な猫どののそばをかすめたのです。ランタンはきもちが高ぶって、それはまるで心臓を満たした灯油が大きな炎となって燃えあがりたいと思ったかのようでした。みなはおそろしさのあまり声も出ませんでしたが、酒蔵のこびとだけはかんかんになって飛び上がり、銀のコップを投げ捨て、剣を抜いてランタンに向かって突進しました。
「さてはマッチとキスしていたな。この古き良き時代に建てられた上品な蔵で」こびとは怒りくるって叫びました。「死にあたいする」
うっとりとしていたランタンはおどろいて火を消し、燃えあがりやすい心臓の灯油をうらめしく思いましたが、こびとは、ただのランタンふぜいがただのマッチごときとおかした重い罪に罰を与えようと剣を抜きました。なにしろこの蔵は、いともかしこい議員たちも来て、なにも良い知恵が浮かばなかったという、ゆいしょある蔵なのです。こびとがまさに突きかかろうとし、ランタンが不安そうに小さな両手を重ねて灯油の入った胸を押さえたそのとき、聖母さまの教会で一時の鐘が鳴りました。こびとは剣をおろし、文句をわめきちらしながら壁の割れ目にもぐりこんでゆき、ランタンは命びろいをしました。樽たちは小さな足をていねいにたたんでまた横になり、ネズミたちは用心しながらいとも高貴なお方の横をすり抜けて、灰色の母さんネズミがベーコンの皮とハムを用意してくれている巣穴に帰りました。そしてどんな猫もそうであるように哲学者であるオス猫は、いかにも勇ましそうなヒゲをしごき、ここちよさそうにのどを鳴らして寝がえりをうちました。
蔵のそともしずかになり、古い町の曲がりくねったせまい通りもなにもかも、おろかな人間たちがふだん見ているとおりです。もう敷石は雑草の茎と話をせず、軒や出窓はたがいにうなずかないでカチコチにじっとして、「こんにちは」も言えそうにありません。町の壁も門も塔もふたたび眠りにつき、市の立つ広場も聖母さまの教会も――すべてが眠りこみ、むかしのできごとを夢に見ていました。戦争やはやり病、火を噴くオロチ、それからいともかしこい議員たちが二度も思いきったことをして、たくさんのワインを飲み、うんと頭を悩ませて――それでもよい知恵が浮かばなかったことを。
Das Kellermänchen von Manfred Kyber
館野浩美訳
Photo: Wine cellar of Castello di Amorosa. by David Ball