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エラ・ヤング自伝『花ひらく黄昏』|知恵の木

『花ひらく黄昏』目次


 わたしは綴り方と二かける二は四の暗唱を勉強している。ここで父がわたしの学習に関心を見せる。父は生来とても数学が好きで、わたしもそうだといいと願っている。わたしはそうではない。かけ算の表は父とわたし双方のいらだちのもとだ。母は宗教的なたちだ。母はもっぱら小教理問答に、それから聖書の教えに熱を入れる。
 聖書の物語はわたしを考えごとに向かわせた。なぜ神は蛇を創ったのか? あるいは創ったあと、なぜエデンの園に入るにまかせたのか? 神は全能である、それなのにさほど分別があるようには思えない。空いちめんに書いておけばよかったのに――「イエスはわがいとし子である、かれを信じよ」。神はそんなことはしなかった。神はただ子供たちを見守って、親に服従するかどうかたしかめようとした。イエスを信じなければ、地獄送りにした!
 平日のあいだは、人生はそれほど辛くなかった。妹のジェニーとモードがいて、庭があり、白薔薇の樹があり、おおきな茶色い犬のサムがいて、ちいさな黒と薄茶色のテリアのロジャーがいた。おそるべきは日曜だった。おもちゃはなし、絵本はなし、庭でかくれんぼもなし。父は聖書か『天路歴程』の一節を朗読し、母は小教理問答から少なくともひとつ答えを覚えるよううるさく言った。母はあらゆる問いの答えを暗記していた。子供のころに習ったのだ。
 わたしは宗教をまじめに考えはじめた。母によれば、あるときわたしが庭の遊歩道を跳ねてきて、狂ったように髪を掻き毟り、盛大にべそをかきながら、じっととまった蜂を追い払おうとしていたという。「ねえ、どうして神は蜂なんか創ったの? どうして蜂なんか創ったの?」
 わたしの記憶にはないが、わたしが人間に対する神意に思いを巡らすきっかけになった数多あまたのできごとのひとつだ。
 ときどき、保護者がわりにサムを連れて、家の裏手にある広い野原に遊びにでかけた。大きな木と高い草が生えた場所で、子守がいっしょのときはずっと歩かされた。サムは違う。サムはわたしと同じく走るのが好きで、それからすわってただのんびりした。あるとき、わたしたちは大きな平たい石のそばにすわった。ちいさな赤い生き物が何匹も石の下を這っているのに気づき、石を持ち上げて、初めて蟻の巣を見た。わたしは魅せられた。蟻たちがちいさな白い荷を持ち上げてあちらこちらへ急ぐのを観察した。何本もの通路がつながっているのや、走り回る蟻たちのきびきびとしたようすを見てとった。ずっとすわりこんでいても飽きなかっただろう、頭から足先まで猛烈な痒みに襲われさえしなかったら。服を破り捨て、大声でわめきながら家に駆けもどりたくなった。
 わたしは蟻が許せなかった。なにもしていないわたしを攻撃したのだ。わたしは友達として近づいたのに。巣の屋根の石は戻してやるつもりだった。サムが嗅ぎ回ろうとするのを止めてやった。これほど恩知らずな生き物は生きるにあたいしない。そういったことをなんとか言葉にして母に訴えたが、母は「いい教訓よ。蟻には近づかないこと」と言っただけだった。
 わたしの味方はいないの? ううん、サムがいる! わたしはサムに事情を説明し、折りを見てふたりで抜け出した。蟻の巣をあばき、全力でやるようサムに命じた。サムが巣を掘り返してばらばらにするあいだ、かたわらに立つわたしは、ソドムとゴモラの終焉を見届ける天使のごとく超然としていた。


TREE OF KNOWLEDGE
Ella Young

館野浩美訳