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【エッセイ】#私にとってはたらくとは

私の実家はとてつもなく田舎にあって、子供の頃、スーツを着た大人なんてほとんど見たことがなかった。どこの家も共働きで、じいちゃんばあちゃんも山に田んぼに畑に忙しかったり、家によっては牛やら鶏やらの世話があったりして、専業主婦って存在もだいぶ大きくなってから知った。当時イクメンなんて言葉はなかったけど、私のミルクやら、おしめやらも、じいちゃんがやってくれてた。というかトイレも水洗じゃなかったら、おしめがとれても危ないから結局じいちゃんのお世話になってたけどね。 

私も2歳から稲刈りにでて、小学生になったらばあちゃんの畑の一角でほうれん草なんかを育てて、集落のみんなで寄り集まってやってる市場で、店番の日にばあちゃんの野菜と一緒に置いてもらって売ってた。あと、もぐらも売れた。じいちゃんと畑に罠を仕掛けて捕まえるんだ。

近所に友達もいなかったし、コンビニもゲームもないから、日中はじいちゃんかばあちゃんに引っ付いて歩く。そうすると山菜とりも、ねこ車も、耕運機も、コンバインも気づけば勝手にできるようになる。遊びなのか労働なのかとてもあいまいなままに。あ、さっきから昭和っぽい話をしてるけど、平成生まれだからね。90年代生まれ、ゆとり世代ってやつ。

時は過ぎて大学生になって、色んなバイトをした。家賃と授業料と幾ばくかの生活費は親に出してもらっていたけど、教科書代は地味に高いし、大学生活も勉強して食べて寝るだけじゃない。長期休暇になればバックパッカーになって海外に行くからまとまったお金を貯めたいし。必要な金額と自分の時間の都合を考えて働くって感じ。この仕事がしたいって思ってやっていたわけではなくて。

最終学年になって就活の時期を迎える。けれど私は就活どころじゃなかった。卒業のほうが最重要課題だった。私は再履修の嵐と卒業論文と日本語教員課程の実習とかで最終学年にもかかわらず、ほぼ週5で大学にいた。なんとなく大きな企業に勤めるのは、性格的にも成績的にも無理だと思っていたので、就活の優先順位は低かったし、兎にも角にも就活に対する焦りよりも、卒業に対する焦りのほうが何倍も胃を痛めた。エントリーシートを書くこともなく、面接の練習をすることもなく、インターンやOB訪問なんて、何それおいしいの?って感じで、なんとなく直感で選んだ小さい繊維企業に内定をもらってあさっり就活は終わった。

こんな私でも別に働くことに無関心だったわけではなくて、大学で開催された外務省セミナーでは、当時安倍政権が女性の活躍を掲げていたこともあって「女性が輝く世界を」なんて話をしていたけど、これが自分の国をリードしている人たちなのか溜息が漏れそうだった。だって、私は体も女性だし性自認も女性だけど、別に「女性として」働きたいだなんて生まれてこのかた思ったことないもの。それよりも女性だろうが男性だろうが、LGBTQだろうが、性別を意識せずに働けるようになってほしいのだけどって。当時の私はSNSでこんな風に言っていた。

女性として仕事がしたいわけじゃない
将来私は私の仕事がしたい
女性らしい視点とか女性ならではのアイデアとか
どうしてそこにある個人を黙殺するの?
労働力不足の中で
女性を市場の調節弁にしないで
外国人もまたしかり

まあ、就職して嫌というほど女性であることにうんざりするのだけど、ただの愚痴になるので割愛する。社会人になって数年経つと周りは結婚ラッシュ、出産ラッシュになった。そうすると、学生時代、私より遥かに優秀だった子も仕事を消去法で選ぶようになった。たくさんの制約や条件が増えて、その中で残ったものの中から自分のやりたいことを探すように。もちろん、生活が変われば考えや大切なものも変わるし、やりたいことも変わるし、結果オーライな場合も多いけどね。そういう私も彼氏の都合を踏まえて転職した。ホワイトカラーの事務職に。友人も両親も私に事務職は合わないって言った。私自身もそう思った。案の定、性に合わなかったけど、仕事はすこぶるできた。転職してすぐにコロナ禍になり、安定した仕事はご時世的にも運が良かった。知識も実務経験も欲しかったので、通過点としては必要な仕事だったと思う。やりたい事をやるためには、やりたくない事をしなければならないってどこかの誰かも言ってたし。バイト時代と同じく割り切って3年勤めた。そして今年の春2度目の転職をした。

将来私は私の仕事がしたい

学生時代からその思いは変わっていない。でも私の仕事って何?って言われると、まだ形があるわけではない。バックパッカー時代もそうだったけど、何か行動して経験をして、そうやって自分で投げたボールがどこかに当たって跳ね返ってきて初めて分かる自分のこと。遊びや生活と働く事の境界線があいまいな環境で育った私にとって、勤めるってことと働くってことはイコールじゃない。社会や世界に大きなインパクトを与えるような仕事よりも、人の営みのほうがしっくりくるというか。「私にとってはたらくとは」将来、子供に何やってるの?って聞かれて、一緒にやってみる?って言えるようなこと。台所で何やってるの?って聞いて、じゃあ野菜切ってくれる?これ炒めてくれる?お米研いでくれる?みたいなこと。趣味や友達や夢、家事に育児に…仕事以外に人生を彩るものはたくさんあって、そういうのを全部仕事合わせるよりも、仕事合わせる。そう思うと消去法も一概に消極的な選択ってわけじゃないね。

ま、そのためにも私は副業からちゃんと自分の仕事にせにゃ、と思う今日この頃。

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