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第14回:語る事と教養

もっと教養が欲しいなぁ。
私が常日頃感じていた事でしたが、このブログを始めてからその想いが強くなりました。

なぜなら、教養があればより多くの話題が提供できると思っているからです。

私は、ファイナルファンタジーをテーマとしてnoteを始めました。毎回ファイナルファンタジーを織り交ぜて、何かしら語っていこうと決めたのです。

そこで重要になるのが教養です。
私の考える教養とは①すぐに身に付けられるもの②すぐに身に付けられないもの、2つあります。

①は、知識です。本を読んだり、何かを体験して物事を知れば、その時点で身に付きます。

②は、個性・考え方・生き方などです。こちらは一朝一夕では身に付きません。顔つきがその人をあらわす、と言いますがそれと同じで、今までの積み重ねが形作るものです。

そして、語る事とはテーマと教養の掛け算だと考えています。

まずテーマになる柱を決める、これは私ならファイナルファンタジーです。次に、柱に色付けをして内容を決める、これが教養です。その2つを掛け合わせてはじめて語る事ができるのではないでしょうか。

つまり

テーマ×教養=語る

となる訳です。

話す事と語る事は違います。
お話には掛け算は必要ありません。ただ話せば良いのですから、そこに奥深さはありません。
聞き手も、お話に求めるものは少ないでしょう。世間話などが良い例だと思います。

しかし語るとなると、一気に深みがあらわれます。聴き手も、一定以上の質を求めてしまうでしょう。質とは、語り手の意見や情報量だったり、雰囲気だったりする訳です。

語り部という方がいらっしゃいます。語り部の方々が伝える事は、重みがあると思いませんか?

私は学生時代、戦争を経験された方の語りを聴いたことがありますが、とても臨場感があり、重さがありました。彼ら彼女らは、ただ話している訳ではないのです。語っているのです。

試しにファイナルファンタジーを題材として、話す事と語る事の違いについて考えていきます。

まずファイナルファンタジーについて話してみます。

"ファイナルファンタジーとは、スクウェアから発売されたロールプレイングゲームです。広大な世界を舞台に、個性的なキャラクター達が繰り広げる物語は、とても魅力的です。"

以上、ファイナルファンタジーについて話してみました。この文章に深みなどない事はお分かりかと思います。薄っぺらい内容ですよね。つまり話すだけなら、掛け算は必要ないので、教養がなくても誰にでもできるという事です。

次にファイナルファンタジーについて語ってみます。

"ファイナルファンタジーとは、第1作が私の生まれる2年ほど前にスクウェアから発売されたロールプレイングゲームで、小さな頃からテレビゲームの虫だった私にRPGという新しい世界への扉を開けてくれました。

それまでマリオやぷよぷよといった比較的シンプルなゲームしか知らなかった私は、ファイナルファンタジーをプレイする事で、ゲームの持つ可能性に気付きました。

可能性とは一言で伝えるならば、感動させてくれる事、です。グラフィックを見て、音楽を聴いて、物語を追いかけて、私は感動したのです。

当時のマリオやぷよぷよは、楽しいのですが感情に訴えてくる事はありませんでした。しかしファイナルファンタジーは違いました。

なぜファイナルファンタジーは、感動を生み出すのでしょうか。私は自分なりに、それを探してみました。そして知ったのです。開発陣の並々ならぬ想いがそうさせている事に。

みなさんは、なぜファイナルファンタジーというタイトルなのか、その由来を知っていますか?

開発者の1人である坂口博信氏は、このゲームが売れなかった時、自分はゲーム業界から退くという覚悟で第1作の製作に挑みました。つまり坂口氏にとって最後のゲーム作品となる可能性があったので、ファイナルファンタジーというタイトルが付けられたのです。

最後になるかもしれないからこそ、執念とも言える想いがこの作品には込められているのです。その想いはシリーズを経ても、色褪せる事はなく受け継がれ、感動を生んでいたのです。

まさにガーランドとカオスの関係を想起させませんか。2000年の時を経ても断ち切れる事はなかった執念のように。

ファイナルファンタジーを訳すと最後の幻想となります。この言葉は、坂口氏が抱いていた、幻になった最後の想い、そのものだと思いませんか。
ですから、ファイナルファンタジーとは、坂口氏をはじめとする開発陣の想いの具現とも言えるでしょう。

坂口氏の覚悟とは裏腹に、現在でも連綿と受け継がれるFFの系譜。決して最後の想いとなる事なく続いていって欲しいです。"

以上、語ってみました。
私の考え方を織り交ぜた為、私以外の人が語る事はできません。これは先に述べた教養の②にあたります。そしてファイナルファンタジーのタイトルの由来についても語りました。こちらは教養の①にあたります。

このようにして私は、ファイナルファンタジーを語りたいのです。語り部と同じく、ファイナルファンタジーの持つ歴史を、私の考えを、情報を皆さんに伝えていきたいのです。

その為に、もっと教養が欲しいとひしひしと感じています。

ちにみに、私はファイナルファンタジーが大好きなので、そこから得た教養というものがいくつかあります。ピックアップすると、

⚫︎ローマ数字の読み方
⚫︎他国語の単語の意味
⚫︎難しい漢字の読み方と意味
⚫︎モンスターの知識
⚫︎速読力
⚫︎人間関係のコツ

などです。
おそらく1番下以外は、実生活ではあまり役に立たないかもしれませんが、間違いなく私の教養を作り上げています。

なので、ファイナルファンタジーをプレイしているだけでも、とても小さなものかもしれませんが、教養は身に付くのです。

ただやはりゲームなので限度があります。
それは何故なのか?

ファイナルファンタジーなどゲームでは、開発者の決めた物事しか出てきません。現実における、無限とも言える物事と比べると、非常に小さな世界なのです。したがって、そこから得る事ができる教養も限りがあります。

もし私が、生物学に詳しかったらモンスターの生態系について説明できるかもしれないし、物理学に詳しかったら飛空艇のメカニズムの詳細を語れるかもしれないし、経済学に詳しかったらファイナルファンタジー世界の社会構造について深く論じる事ができるかもしれません(教養①)。

はたまた、私が日本以外の国で生まれていたら、その国特有の価値観でファイナルファンタジーを俯瞰できるかもしれないし、私自身がゲームクリエイターだったら、開発者なりの観点からファイナルファンタジーのゲーム性を述べる事ができるかもしれません(教養②)。

これらの教養は、ファイナルファンタジーをプレイしているだけでは、身に付ける事はできません。

だからこそ、ファイナルファンタジーだけでなく、様々な物事に触れ、多様な教養を得ていきたいと感じています。そして、ファイナルファンタジーについてもっともっと幅広く語れる力を身に付けていきたいです。

ここまで読んで頂き、ありがとうございました!
次回もお楽しみに!

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