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作り手の叫びが聞こえてくる映画 「チョコレートドーナツ」

「チョコレートドーナツ」という映画を見た。作り手の叫びが聞こえてくるような映画だった。公式ホームページを見ると、「観客賞総ナメの感動作」と書いてある。え?感動?私にとっては絶望の物語だった。でもすごく良い映画だ。見て良かった。この映画をきっかけに考える人が増えることを強く望む。

この映画は1979年、カリフォルニアでゲイのカップルが、育児放棄されたダウン症の子供を引き取って育てようとする話だ。確かに涙が出そうな場面が何度も訪れる。それは決して感動の涙ではない。やるせなさや、差別への怒りだ。この映画をただの「泣ける感動作」として扱ってはいけない。

映画の中ではゲイやダウン症というマイノリティーの人たちへの差別や偏見が描かれている。この映画の舞台から約40年たった今、社会はどれだけ変わったのだろう。当時に比べれば差別や偏見は減っているだろうが、今でも確実に存在する。私もきっと無意識に差別したり偏見を持ったりしているのだろう。自分では気付くことができないからこそ、このように問題提起してくれる映画が必要だ。

映画を見ながら司法は誰のためのものなのかと考える。司法は人のためにあるはずなのに、本質的な「誰の何のために」という一番大切なことが、差別や偏見によって見えなくなっている。私たちに教えてくれているのだ。差別や偏見に惑わされず本質を見ろと。

この映画の素晴らしさの一因は、登場人物が魅力的なことだ。特に主演のアラン・カミング。ゲイを演じている彼が全編通してずっとかわいい。最初は荒々しくてがさつな人だと思ったが、物語が進むにつれ彼の愛情深い部分が見えてくる。

アラン・カミング演じるルディが、ダウン症の少年、マルコを保護することになる。「ルディがマルコに深い愛情を注ぐようになるまでの描写が弱い」と書いているレビューが多かった。私はここに詳しい描写は必要ないと思う。これは必然の流れだ。私は自分に子供ができるまで、子供をかわいいと思ったことが一度もない。しかし妊娠すると180度見方が変わり、どんな子供も無条件でかわいいと感じるようになった。だから私にはルディの気持ちが分かる。彼も無条件に子供をかわいいと思うのだろう。そこには無償の愛が存在する。マルコがどんな子供であっても、ルディは変わりなく愛情を注いだはずだ。

また「『チョコレートドーナツ』という邦題が秀逸」というレビューも多かったが、私は反対の感想を持った。この映画に「チョコレートドーナツ」という邦題は合わないのではないか。私はこの邦題と前述した一文だけのあらすじを読んでこの映画を見ることにした。軽いコメディーのような内容だと想像していたのだ。実際は重い強烈なメッセージを発している映画だった。

この映画は見る人によって解釈が全然違う。改めて映画はおもしろいなと感じた。この映画は覚悟を持って見てほしい。そして見終わった後はしっかりとこのメッセージを受け止め、自分なりに考えるきっかけにしてほしい。

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