「あなたと一緒にいたら不幸になる」と言われたら

ずっと抱えている問題は、夫とお金。

人に恵まれ、子どもに恵まれ、親からの愛情に恵まれ、感謝したいことはいっぱいある。

それとは反対に、夫とお金のことがずっと問題にある。

夫はいわゆる「モラハラ」に当たる人。それとお金のことはつながっていると思っている。

夫の「モラハラ」は結婚する前だが、当時の私にはそれが問題であることはわからなかった。でもずっと受けてきた。

ひとたび、私が失敗する、私の悪いクセが出る、夫がよしとする「私」ではないといったとき、怒る、怒鳴る、キレるといったことが起こる。

言っている内容自体が正しいときもあるが、その言い方でなくてもいいのではないか、なぜそんなに怒るのかと思うのと同時に、ただただ傷つく。内容も、理不尽だと感じることがある。

「怒る、怒鳴る、キレる」といったこと自体がとにかく怖い。傷つく。そして、いつも「自分は正しい」になる夫に、「自分のことを棚に上げて人のダメ出しばかりする」という夫に、怒りの気持ちも出てくる。

変わることはないそうなので、離婚をしないのであれば、うまく付き合っていくしかない。それでもいい。ただ、傷つかないようになりたい、何を言われてもどんな風に言われても平気でいられるようになりたい、そう思うが、30年ほど経っても慣れることはない。

今日は、とあることから、最終的には「あなたと一緒にいると私も不幸になるかもしれないと不安になる」とメールで言われた。

これはなかなかのパワーワード。心に深く刺さり、しばらく止まってしまった。

たしかに私の読み違いから起こったこと。

だけど、その言葉はとても衝撃的でショックを受け、そしてまた、「それは私が言いたいのに」と悲しくなった。

以前は怒りを覚えることもあったモラハラ気質の夫のことを、「今起こってることは自分が投げかけていること」という言葉を知ってからは、「これも自分が招いている状況なのだ」と思い、夫のせいばかりにするのではなく、「自分ができていないところを見つめていこう」と心新たに思うようになってきた。

お金のことで苦労が多い現状は、私のせいなのかもしれない、私がそれを招いているのかもしれない、だが夫にも原因がある、と思っていましたが、いやむしろ、夫の収入のせいだと思っていたが、すべて私が引き寄せているのかもしれないと、頭を打ち付けられた気がする。

明らかにそうされても仕方ない原因が私にある場合は別として、夫から怒られる、怒鳴られる、キレられるといったことをずっと「夫が悪い」と思っていた。お金の苦しさを「夫のせいで」と思うことも多々あったが、そう思わないようにしていたのに、できていたのに、私がずっと思っていたことをなぜ言われるのかと、ただただショックを受けた。

「あなたと一緒にいると不幸になるかもしれない」という言葉を投げかけられ、今自分を取り巻く問題が、それを引き起こしている自分のことが、なんとか建て直さなければならないと思うことが、でも直前の解決しないとならないことが、一気に押し寄せ、どうしたらいいのかで頭がいっぱいになる。

また、このあと会う夫にさらに怒られるであろうことへの怖さと、想像するその情景の憂鬱さに、ただただもっと強くなりたい、傷つかないようになりたい、平気でいられるようになりたいと思うばかり。

ずっと、夫に怒られることを避けたいためにいろんなことを収めてきた。そこになんの後悔もない。うまくやって、状況が変われば、良くなればそれでいい。

夫のために、怒られないために、そうするのではない。

私は私のために、抱えるいろんな問題を、ずっと根本的に向き合ってこなかったことを、解決したいと思っていることを、クリアにしたい、向き合いたい、解決したい。

それによって、「本当はもっとこうしたいのに」「こうありたい」と思っていることを実現したい。

向き合って、打開する、突破する、乗り越える、解決する、成長する、向上する。

結局は自分。相手ではない。自分が変わる。

心を強く持って、絶対に突破する。変わる。現実を変えていく。





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