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便利になれば豊かになるのか?

僕は昔からお笑いが大好きです。

小学校の頃から家族でバラエティー番組を見て、笑い合いながら夕食を食べる時間が特に好きでした。
今はやってないですが「黄金伝説」とかはよくみていた記憶があります。

最近はあまりテレビを見なくなったけど、それでも面白い番組を見つけると時間を忘れて見ちゃったりしてます。

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最近、人工知能が劇的に発達し、人間の仕事がどんどんなくなってくると言われています。

ある記事によれば、一般事務作業やコンビニの店員などルーティーン化しやすい作業やデータ管理などはAIの方が素早く・正確にできるため、すぐにAIに取って代わられるそうです。

大袈裟な表現も混ざっているとは思いますが、ちょっと調べてみるとすぐに「この仕事は無くなって、この仕事はなくならない」という記事がズラッと出てきます。

どんどん社会が便利さを求めるようになり「豊かさ」を求めているからこそ、こんな問題がたびたび取り沙汰されるのでしょうが、僕はちょっとこの便利さを求めすぎる傾向に疑問を感じています。

というか、「効率的=良いこと」のように思われすぎているように思うのです。
本当に効率的だったらいいのでしょうか?

例えばレジの仕事がなくなると言われていますが、その効率化は本当に必要なのでしょうか?
僕ならレジの店員さんが元気に対応してくれたら今日は頑張ろうという気になるし、店員さんの態度悪いなーって思ったら「こういう態度を取ったら相手の機嫌を損ねるのか」と勉強になったりもします。

僕が時代遅れなんですかね?

レジの店員さん次第で1日のやる気が決まったりしますw


人の価値とは?

人の価値とは「面白いこと」とよく言われます。

僕はその意見に大いに賛成だし、もっと言えば「失敗が面白いこと」と考えます。
そしてその失敗を許してもらえるのが人間ではないでしょうか。

ちょっと昔のニュースになりますが、どこかのスーパーがケーキの発注数を1桁間違ってしまったことをSNSで流した結果、全国で購買運動が起こり無事ケーキが売り切れたというのは有名な話です。

でも、機械が発注していたらそうはいかないですよね。
おそらく機械を作った業者にクレームを入れて終わりでしょう。

ミスしたその時にめちゃくちゃ怒られても、そこから何かを見つけたり助け合ったりする。
そして数年後には怒られた時の記憶が曖昧になって脚色され、結局は笑い話になるのが人間の良さなんだと僕は思います。

機械が失敗したって全然面白くないじゃないですか?

面白く失敗して、一応反省するけどそれを楽しみ、次の成功に向かって努力する。
その生き様が人が人であるという価値なのではないでしょうか。

「あちゃー」ができるのが人間


豊かさは不便の中にある

さっきも言いましたが、僕たちは豊かさを求めるけど、何が豊かかについて考えることは少ないような気がしています。

便利さ=豊かさと勘違いして便利さばかりを求めると、どんどん世界から”人間臭さ”のようなものが無くなってしまいます。

”人間臭さ”をうまく言葉にするのは難しいですが、要は人の手がかかっている感じというか人がやるからこそのもどかしさというかなんというか…
そういうものがなくなると、生きるのが虚しくなっちゃうような気がするんですよね。

あたふたするのも”人間臭さ”


今や掃除や運転をしてくれるまで人工知能が発達し、どんどんめんどくさいことが社会から取り除かれています。

そして何から何まで機械がやってくれるようになり、最終的には食べ物を食べることすら機械がやってくれるようになったら、もはや人間は「生きている」と言えるのでしょうか?
機械に「生かされている」とは言えないでしょうか?

そうなったら「洗濯物を自分で干す」という体験をするためにお金を払う時代が来ちゃうんですかね?

まさかそこまではいかないと思いますが…笑


まとめ

今回言いたいことをまとめると

・豊かさを求めるのはいいけど、”どれほどの”豊かさを求めるべきかについてはあまり考えられていないのでは?
・人間の価値とは失敗しても面白いこと。
・不便さがあるからこそ「生きている」ことを実感できる

っていう感じですね。

世の中から不便さがどんどん無くなっている今こそ、僕は不便さを楽しめる人間でありたいとおもいます。

まあ全部が全部楽しめるあと言われればそうではないと思いますが笑

不便さを楽しめる人が増えてほしいなー。

ということで今回のnoteは以上です❗️
また別の記事でお会いしましょー✋


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