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先生になってから・1校目序盤

非常勤講師を経て、正採用の一年目としてK中学校に赴任した社会人2年目。昨年度のH中学校とは地域的な差のせいなのか、ヤンキーが多めの学校だった。そういう所に住んでいる方もいるし、そこで暮らしてても真面目に一生懸命生きてる方もいると思いますが、やはり地域の雰囲気がH中学校とは違いました。簡単に言うと、H中学校は豪邸が多く外車がたくさん走り回り、K中学校は市営団地が多く2ケツのチャリがたくさん走り回り、時々原付やバイクの音が鳴り響くという違いでした。

結果として6年間K中学校でお世話になるのですが、一年目は新採用者ということで、とある一年生のクラスの副担任になり、2年目から一人で担任を持ちました。一年目は初任者研修がたくさんあり、学校外に出かけることも多かったのですが、このK中学校一年目は外に出たくて出たくて、初任研が嬉しくてたまらなかった記憶があります。

H中学校ではあんなに楽しく幸せに先生やってた僕がこんなことを思ったのかと言うと……

生徒がヤバかった

のです。今思えば、もう少しなんとか出来ることがあったかも、とは思いますが、当時の僕は経験も知識もない、あるのはゴリ先生のイメージだけ。何もできないただのお荷物状態だったと思います。

何がどうヤバかったかと言うと、一年生の二学期頃からいつの間にか生徒たちが先生たちの言うことを破るのがブームなのかなぁと思うくらい、毎日がクレイジーでした。ちなみに16年間やってますが、この年の一年生が僕の中では歴代ナンバーワンでした(以下、最強世代と呼ぶ)。学年の中にヤンキーやら問題行動が多い生徒はいつも数名はいましたが、この最強世代は、問題行動軍団はもちろんいる上に、一般人(お前らぐらいは普通にしてくれーと思ってました笑)がかなりクレイジーな感覚をお持ちで、僕ら先生の話や世間の常識なんかよりも、自分たちが楽しいことが正義と言わんばかりの毎日を送っておられました。

授業中は授業を聞かない。手紙を回すのは当たり前、回すのを断る奴が悪い。先生と生徒が口論になって授業どころじゃないのは日常。靴の履き替えはしない。噛んだガムは廊下に吐き捨てていい。女子がトラブったときになんとかしようと女性の先生が話を聞いていくと、気づいたら「先生がマック買ってくれたら仲直りするわ」という彼女らの謎のゴールに向かっていて、その先生とマクドナルドに買いに行ったのも甘酸っぱい思い出です。当然普通にヤンキー化していく奴もいる。そいつは授業中鉄アレイで自分の椅子をゴツゴツやってる。携帯だのお菓子だの不要物は当然要物に格上げ。

書いてるうちにすげー奴らだなぁと感心してしまいますが、本当にこんな感じでした。

一般的に先生たちは学年を持ち上がることが多く、学年主任など特に核となるような先生は3年間一緒に上がっていきがちです。僕は実力不足であることと、2年目からは担任を持たせて先生としてしっかり育ててあげようという先輩方の考えもあってか、次年度も一年生担当になり、最強世代が2年に上がるときに離れることになりました。

ちなみに最強世代が2年になったときには真最強世代へと究極進化を遂げ、二年生担当の先生たちがみるみるやつれていく様子に胸を痛めましたが、3年になり進路が関わってくると、あれは夢だったのかと思うほど手のひらを返して普通に学校生活を送っていました。自分たちの欲求に素直ってこういうことなんだなぁと勉強になりました。

こんなショッキングなK中学校一年目でしたが、良かったことももちろんあります。この時出会ったクマ先生(当時42歳ぐらい?)と藤森先生(僕の一個下)です。それぞれクマ(トトロにも似ている)と藤森(オリエンタルラジオ)に似てました。その他にも荒れてる学校(言っちゃった😂)あるあるですが、若い先生が多く、僕も含めて毎年新採用が入ってきて、苦しい環境である分、余計に団結力が高まって、今でもよく飲みに行くぐらい仲良くしてました。

クマ先生は見た目は太ったヤクザみたいに怖いのですが、誰よりも生徒想いで口癖は「あいつら(生徒)のため」という素敵な人です。「生徒のため」という耳障りのいい言葉を間違って解釈して、無意味で非効率で「先生は頑張ってるよアピール」をしたいだけのセンスのない先生も多いですが、クマ先生はセンスあるすごい人でした。そんなすごい人なので当然核として最強世代を3年間持ち上がりましたが、あんなクレイジーな生徒たちからもクマ先生は慕われていて、学年が上がるたびに、他の先生では手に負えなくなった生徒がどんどん集まり(もちろん他の先生もしっかり頑張ってたんです。でも奴らは上回ってくるんです)、3年の時のクラスはオールスターゲームのようなクラスでした。

クマ先生の生徒への考え方ややり方はもちろん素晴らしいのですが、僕が一番感じたのはやはり「学校は遊び」感と言うか、アフター5も含め遊びにも精力的であるところです。今思えば、「楽しそうな大人」だから生徒にも慕われていたし、時々厳しいこと言っても生徒がついてきたのだと思います。クマ先生は改造費でもう一台買えるぐらいにランエボを改造しまくってる人で、しょっちゅう一年目の僕を連れてゲーセンに行き、頭文字Dのゲームでバトルしてました。生まれて初めてパチンコにも連れてってもらい、そのせいで約15年間お金と時間をドブに捨てることになったのですが、それはご愛嬌。飲みにいくといつも1000円会計と言って紳士的にご馳走してくれました。述べ忘れてましたが、クマ先生は美術の先生で、絵がとっても上手です。

今でもそうですが、「ザ・教師」みたいな先生よりも、「遊びに本気」みたいな先生が僕の中の師匠とか理想になってます。普通に考えればそういう人なら魅力があるのは当たり前で、我々先生こそ生徒のためにも遊ばなきゃいけない(義務でもないですが…)と思います。物づくりの「何を買うか、より誰から買うか」論と同じで「何を言うか、より誰が言うか」の方が学校では重要なことです。真面目で正論述べる先生よりも、物知りで面白い先生に言われた方が聴きやすいと思ってるのは僕だけではないはずです。もちろん、時と場合でさじ加減を調節するセンスも必要ですが。

少し脱線しました…。

もう一人の人物、藤森先生は最強世代が完全にクレイジー化した二学期の11月頃に加入した常勤講師君で、歳も僕と一個しか変わらないのですぐに仲良くなりました。ある意味初めての後輩にあたるのですが、この時期の僕は空っぽの役立たずでしたし、藤森先生も大学出たばかりの素人だったので、先輩後輩というよりも、毎日クレイジー達にボロボロにされた者同士として、いつも傷の舐め合いをしてました。

秋田「うーん、どうやって死のうかなぁ?」

藤森「とりあえず飛び降りとかは痛そうだし迷惑かけそうですよね。」

秋田「そうだよね。死んでもクレイジー達にギャフンと言わせられるわけでもないし…。」

藤森「とりあえずパチンコ行って負けてから考えましょう。」

秋田「しょーがないなぁ。(ウキウキ)」

ほぼ毎日こんな会話していまして、実際にほぼ毎日パチンコ屋さんに行って、束の間の生を感じたり、さらに深い死を覚悟したりと、楽しく過ごしていました。ギャンブルに関してはクマ先生に入口に連れてってもらい、藤森くんという最強のパートナーとタッグを組んだおかげで、僕のカイジレベルはみるみる上がっていきました。時期的にも初代北斗が大ブームだった頃で、スロット屋がどこも熱かった時代なのもありました。

先程、最強世代が2年に上がるときに僕はもう一度一年生をやるとありましたが、その事実を知った瞬間に藤森先生はショックで胃痙攣を起こして半日保健室で寝込んでいました。僕の意思で学年を抜けたのではないのに、しばらくは裏切り者としていじられました。でも、何を言われようと僕の勝ちです。

最後に藤森先生エピソードを一つ。

名古屋の中学校は二年生の時に豊田の奥の山奥に2泊3日の野外活動に出かけます。最強世代が2年の時、キャンプファイヤーやハイキングなどの予定の中に肝試しがあり、その担当を藤森先生がやっていました。僕は一年生担当なのですが、例年、1・3年生の先生たちで、授業後の夕方から差し入れを持って、野外活動の応援に行くという風習があります。

その年は初日の夜がキャンプファイヤー、2日目の夜が肝試しでした。応援組は初日の夜に行きます。初日の朝、二年生を乗せたバスを見送った直後、藤森先生からメールが届きました。

「すいません!応援に来る時、机のビデオ持ってきてくれませんか?」

僕は藤森先生の机を見ると、そこには一台のビデオカメラが。

「了解です。持っていきます。」と返信して、日中は普通に授業しました。

授業後、藤森先生の机のビデオカメラをしっかり鞄に入れて山に向かいました。途中で買い出しや食事をしながら、予定通り到着。到着後キャンプファイヤーの準備で忙しそうにしている中、僕はこっそり藤森先生に近づき、

秋田「持ってきたよ。ほれ。」

とビデオカメラを渡しました。

ところが、藤森先生の表情が青ざめます。

秋田「どうしたの?」

藤森「あ〜…ビデオってビデオカメラじゃなくて、ビデオテープのことだったんですけど…。明日の肝試しで見せる呪怨のビデオをレンタルしてきて自分の机の引き出しに入れておいたんですけど…。」

と泣きそうになりながら言います。

そんなのわかる訳ありません。「机のビデオ」と言われて机の上にビデオカメラがあったら誰でもソレ持って行きますよね?机の中なんて見ませんよね?そこしかないって言うぐらいのタイミングで偶然机の上にあったビデオカメラ。何かの呪いかと思うぐらい藤森先生にとって厳しい状況です。

たかが呪怨のビデオと思って舐めてはいけません。相手はあの最強世代です。呪怨さえあればまず2時間程度の肝試しのうちのある程度の時間は消化できるでしょう。呪怨で怖がってくれれば、むしろくれなきゃ肝試しは盛り上がりません。肝試しの前の大事な大事な前説部分に藤森先生が裸一貫で飛び出してどうなるか。2時間持つのか。早く終わってしまい暇を持て余したクレイジーたちがどんなクレイジーを繰り出すのか。その尻拭いは先生たちみんなでしなきゃならんのです。だから、たかが呪怨のビデオですが、先生たち全員の想いが込められた大切なギアなのです。

結果的には、藤森先生のお父上が豊田のさらに山奥の中学校で校長をしていて(野外活動の場所からさらに1時間程度奥にある)、肝試し当日に有給を使って学校を休み、TSUTAYAで呪怨を借りて、届けてくれたそうです。めでたしめでたし。








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