見出し画像

学校の先生になった経緯

(2020.5.16にFacebookに書いたもののコピペです)

目の前の中学生には「何も考えずに生きてちゃダメだよ。自分の人生や進路は自分でよく考えて自分の責任で選びましょう」と偉そうなこと話してますが、自分は全く考えずにここまで来ています。

中学生の頃はそこそこ真面目に生活していて、何か派手なことする勇気もなく夢中になれることもなく、適当に成績に合った公立高校に進学。
高校ではそれなりに楽しく過ごせたと思ってましたが、今思えば楽しいってどういうことがよくわからず脳みそ使わずに過ごしてたと思います。
やりたいこともなく、探そうともせず、家庭の都合もあり地元の国公立大学で理系という選択肢で名古屋工業大学を目指し、センター試験の結果、愛知教育大学の数学科を受験。
その頃ちょうどGTO(反町の)再放送やってたし先生でもいいやって感じで、後期日程で合格して入学。
教育大なので、周りは昔から先生になりたかったような人が多かったが、自分はそうでもなく、多少の居心地の悪さを感じつつ大学生活スタート。
周りの友達とこ同じ授業を受けて同じ単位を取って同じように小中高の免許を取得。教育実習に行って、少しは教師への志は高まりましたが、それでも「絶対に先生になる」というほどでもなく。
4年時に周りと同じく採用試験を受けるも不合格。なぜかこの頃には、何となくとは言え自分は学校で働くものだと思っていて、非常勤講師をしながら勉強して翌年の採用試験で合格。

教師になってからの経験や変化はまた後日記したいと思います。

周りから見れば特に大きな挫折もなく順調に進んでいるように見えるかもしれませんが、この「周りから見て」って言うのが自分の判断基準になってしまっていて「自分がしたいこと」に向き合わずにいたように思います。
何なら「向き合っていないこと」にすら気づかずにボーっと生きていたような気すらします。
後悔と言えば後悔ですが、それでもこの歳で多少は気づき始められたことは良かったですし、ボーっと生きていたからこそ得られた縁や経験もあります。これはにはただただ感謝です。今後も大切にしたいところです。

最近はこれまでやらなかったこと(県外出張で視察に行ったり、オンラインサロンに参加したり)をして自分の世界を広げようと心がけています。
足元や手先ばかり見ていた自分が世界を見渡せるように背筋を伸ばし始めたところです。
色々な人から知識や経験を分けてもらい、もっともっと広い世界で自由に歩けるような人になると決めました。
そんな人なら学校の先生やっててもいいかなって思います。「そんな人って具体的にどんな人?」と言われるとわかりません。知識が多い人?優しい人?厳しい人?真面目な人?ギャグセンスがある人?でも、世界は広くて楽しいって言えることは必要だと思います。
興味のあること(今は七輪🔥)なんかをきっかけにして、こらから出会う新しいことを楽しもうというスタンスで行きたいです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?