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先生になってから・1校目中盤

K中学校2年目に一年生の担任としてある意味本格的に教員人生がスタートした。ドラマで観たようなドラマチックな日々が始まるのかとワクワクしたし、今思っても生まれて初めての担任として柄にもなく頑張ってた青さが印象的な時期でした。

その時担当した学年は、もちろんヤンキーもいたし、教室で喧嘩して血を流してることもあったし、修学旅行で他校の女子生徒への盗撮疑惑が起きて相手校に謝罪に行ったり、卒業式の前日に体育館に忍び込まれて酒盛りされて赤絨毯にゲロ吐かれてたりしましたが、最強世代に比べればかなりまともでした。なぜなら上記の問題のほとんどがヤンキー君たちの仕業で、一般人はずいぶんまともだったからです。集団作りで大切なことは、一部の影響力のある者より、その他大勢がどこを向くかだと実感してます。ちなみに、最強世代より後は、ヤンキーレベルがハードモードだったり、やってることがイタズラで済まないようなことがあったとしても、毎日の過酷度的には最強世代には敵わないと感じてます。


初の担任で張り切っていた青年教師の僕は、クラスの子が僕の誕生日にプレゼントしてくれたTシャツが小さくてピチピチだけど彼らの好意を受け止めるためにヘソ出しルック寸前の格好で授業したり、体育大会でクラス優勝の打ち上げだーとか言って大きな公園にみんなで遊びに行ったりと充実した担任ライフを満喫しました。

その公園打ち上げでは、ある生徒がミカン食べたいと言ったので五千円札渡して買ってこさせました。今思うとまあまあ破天荒ですね。

その公園でエックスジャイロ(ものすごく飛んで筒形のジャイロ)を投げて見知らぬおじさんの頭に当たって怒られたのにも関わらず、もう一度投げたら奇跡的にまた同じおじさんの頭に当たってしまい、さすがにいい大人(しかも教員💦)が二度めはヤバイと思い逃げました。破天荒というより大人失格です笑。

その世代の子たちは、三年生まで持ち上がりますが、二年、三年と上がるにつれてヤンキーたちは成長していきました。悪さはしますが可愛いところもあり、クマ先生の「悪(ワル)はいいけど悪(アク)にはなるな」という言葉を胸に接してきました。

また、二年生から生徒指導の担当になりました。若くてガタイのいい男はだいたい生徒指導にさせられます。生徒指導の先生は基本的に嫌われ役になることを求められ、大きな声で怒ったり、時には暴力的なこともしました。自分の意思ではなく、「生徒指導とはこういうものだ」という先輩方のアドバイスを丸呑みにして、言われるがままやってましたが、本来の気弱な性格が災いして、頑張る度に落ち込んでいました。

そんな不向きな僕が、三年生に上がったときに生徒指導主事という生徒指導の隊長になってしまいました。この時も、打診されたときにあまり考えずに承諾してしまい、2年間任せられました。

初の生徒指導主事に加えて、初の三年生担当で進路指導、学校外の組合でも青年部の副部長になり、キャパ的に溢れそうな一年でした(いや、溢れてました💦)。

そんな苦しんでいる僕をたくさん助けてくれたのがクマ先生でした。その年のクマ先生は担任なしで主に僕のクラスの副担任という形で、何かとお世話になりました。僕がテンパっているのをよく見ていてくれて、常に一歩先のことを考えてくれていました。


今思うととってもくだらないと感じるのですが、生徒指導主事の時のエピソードです。

生徒指導主事は全校集会のときに舞台に上がって全体に向けて話をするのですが、ある日の集会で服装や頭髪の話をしました。

秋田「…と言うわけで、男子の髪は耳にかからないようにしましょう。」

すると、体育館の一番後ろの方からG先生が、

G先生「秋田先生〜。じゃあU先生ぐらい(の髪の長さ)はどうですか〜?」

と大きな声で聞いてきました。U先生の髪は大人としても全く問題ない髪型だったし、耳元の長さはほんの少し(1・2ミリ?)かかってた程度ですが、ついさっき僕が話した内容からすると絶妙に微妙な部分への質問でした。

秋田「えー、えーっと…あのー…そうですねー、うーん…まぁ、耳にかかってるとしたら一応は…アウト?…か…な?」

絵に描いたようなしどろもどろで体育館がざわつきます。おそらくG先生にも狙いはあったのだと思いますが、何も打ち合わせていない、何も考えていない僕には対応できるはずもなく、ただただテンパってました。(今思うと、全校生徒の前で漫才的にG先生やらU先生をネタにして笑いと髪のことを喋れたかなぁと思います。若さって素晴らしくないです…。)

結局どうやって乗り切ったのか覚えてませんが、あまりのテンパリ具合だったらしく、教室に戻ったときにクラスの子が

「秋田ちゃん大変だったね。」

と優しい大人な対応をしてくれたことはしっかり覚えてます。


そんなこんなで知識も柔軟性も自分の考えをもないながらも、初めて一つの学年を3年間持ち上がって送り出した卒業式ですが、これまたビックリするぐらいフワーっとした記憶しかありません。

こういう所々の記憶が薄いので、「他の先生に比べて自分は情熱不足なのかなぁ」と不安に思うことも多々ありました(パイナップルのトップ画のnote参照)。

とは言え、これで4年目が終わり、再び一年生担当として新入生を迎え入れることになります。5年目なので、若手の中では中堅みたいに扱われます。先輩についてくだけでなく、自分から引っ張る事も求められます。そしてこの二回り目の一年生たちは、教員人生の中でもトップクラスのヤンキーレベルでした。毎日の過酷さは最強世代が上ですが、自分に求められてる仕事が増えたということも踏まえて、瞬間最大風速はこちらの方が上だったかも知れません。

つづく



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