後から読み返すと恥ずかしい日記のように(おどけてしまうという話)
そんなつもりはないのに。
心が追いついていないのに、日常会話でおどけているような気がする。いつもではないけれど大抵いつも。素直に気持ちを表現するけれど、+αで明るくなっていて、おどけている。例えば、嬉しい悲しいを単独で表現すればいいものの、+αでおどける。
なぜそうしてしまうのか本当にわからない。ただ、+αでおどけないと手持ち無沙汰のような感覚になる。
当たり前のようにおどける。
いつも、後から恥ずかしいような気持ちになる。
ひとりが楽かどうか。
確かに、ひとりの時間は必要で、誰かといることは良さだけでは語れないことがわかる。でも、今日は誰かといる時よりもひとりの時の方が疲れているような気がした。誰かといることは、学べることが多いし、やはり楽しいから誰かと過ごすことも嫌いではない。
小学生の頃の好きな遊びは、放課後帰宅して荷物を置いた後、ウォークマンで音楽を聴きながら散歩をすること。すごく楽しい。けれど、ひとりだと特に考える時間があるから疲れを自覚するようだ。たくさん歩いた疲れを自覚する。このことに気づいたのは今日が初めて。
そして今日はいつの間にか電車を乗り間違えていた。私の中から〇番線という概念が消え、目の前にきた電車にただ乗っていた。反対方向。そのおかげで帰宅時間は相当遅くなった。同じイベントに参加していて私より後に帰った方々よりも遅くなっているのは一目瞭然だった。〇番線を選ぶことで方向が変わるのに、考えごとに没頭して行動が疎かになっていたようだ。
これはどうにかしたい。
この見解は未完成で、まだまだ発見できることがあるかもしれないから、発見できたら追記していきたい。内容は大幅には変わらないと思うが、タイトルが変わるかも。
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