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Revenant Doll 第20話

第3部

2 招霊の儀


 命日だからといって、その日に死者の魂が戻って来なければならない理由はない。かつて自分がそこにいた家、職場、学校その他の懐かしい場所に戻って来たければ、それが一年のどの日であろうと構わないのは当然だ。祥月や七日七日なぬかなぬかの縛りも同じで、約束したかのようにそれらの命日に彼ら彼女らが戻ってくると考えるのは、もっぱら生者の都合に過ぎない。
 愛しい者であれ、後ろめたい思いを抱いている者であれ、それらの人々が自分のもとを去って一年が過ぎるごとに、生者は「年」という単位の呪力によって、時の隔たりが広がった思いを強くする。残された者の思いが強い悲しみを帯びているならば、その激しさによって死者の魂が引き寄せられると考える。このように「命日」の事情は常に生者の想像力によって立ち上がり、補完される。
 俺の考えでは、忌日の回向に限らず全般的に「マジナイ」とは常にそういうものだ。特殊な霊能力を持った術者がこれに携われば、死者を引き寄せる力はほとんど暴力的なレベルにまで高められる。
 
 間もなく俺の目の前で、神奈川県警捜査一課警部補にして陰陽師の桐谷新太郎による、招霊の儀式が始まる。
 儀式の目的は、百六年前のこの日(八月五日)に起きたと考えられる殺人事件被害者の霊魂を呼び寄せ、誰にどのようにして殺されたのかという証言を引き出すことだ。降りて来た者が被害者である限り、その証言は他の誰よりも優先度の高いものとなる。もっともそれは、彼が嘘をついていないという前提での話だが。
 桐谷警部補と嬉野小正門前で合流し、彼が選んだ儀式の場──三階建て校舎の屋上──に着いてみると、既に準備が整えられていた。
 儀式場は逆L字型校舎が直角に折れるところに設営されていた。中央に白いチョークで縦四本横五本の直線による格子模様が描かれているのは、「早九字」とも「ドーマン」とも呼ばれる蘆屋道満系陰陽師のシンボルだ。これは安倍晴明系の「セーマン」、すなわち五芒星と一対を成して「セーマンドーマン」あるいは「ドーマンセーマン」という呼び名が世間では知られている。もっとも、デザインとしての汎用性も高く世界中で愛用されている五芒星に比べると、早九字の方はほとんど知られていない。
 早九字を囲む四隅に榊を立てて結界としたのは座光寺家の祭式と似ているが、篝火かがりびは焚かれていない(もっともこれは防火の関係上難しいだろうし、省略しても特段の支障はない)。枇榔びろうの葉を上に向けて差し込んだ三メートルほどの竿を結界の左右に立ててあるのは、魔除けの意味を込めたものだろう。
 L字型の内側部分、つまり結界と校庭を結ぶ位置にはひと繋がりの呪具が設けられていた。まず結界から少し離れた位置に上下二段の祭壇が置かれている。下の段には香炉を据えて抹香を焚き、上段には半紙を敷いて鏡餅を三層に積み上げてあった。さらにそこから一メートルほど校庭寄りに、五、六十センチ程度の間隔を空けて二本の竹竿を立て、その間に円環に結んだ注連縄を吊るしている。六月末の「夏越なごしはらい」で用いられる「茅の輪」という草の輪を一回り小ぶりにしたようにも見える。
 一見して、標的を校庭側から呼び寄せるための配置と分かった。時刻は午後九時半を回っており、結界から祭壇、注連縄の円環を結ぶ方位の先を遠望すると、闇の奥に山の影が黒々と連なって見える。
 
 校舎内の階段に通じる出入口が開き、身支度を整えた桐谷警部補が姿を現した。
 白装束に結袈裟を掛け、頭に兜巾ときんを載せて脚絆を巻いた姿は陰陽師というよりも修験者を思わせる。道満系陰陽師は密教や修験道の影響を特に強く受けているので、装束も自然にこのような形になったのだろう。

 俺は既に生霊の形に移行して、結界の傍らに控えていた。俺の頭上から二メートルほど高い貯水槽の上では、エドが蝙蝠の姿となって一帯に目を光らせている。メアリーとハッサンは屋上の全体を移動しながら周囲を警戒している。
 霊的腕時計「ウロボロス」のスイッチは既に「太陽」の位置にセットしてあるので、俺を含む座光寺家の者の姿は桐谷警部補にも見えている。彼は俺に軽く一礼すると、「禹歩うほ」という特殊な足運びで結界へ向かい、四隅の榊に張り巡らした縄をくぐって早九字の中央に立った。
 警部補はまず、祭壇に向かって両手を顔の前で合わせ、腰を深々と折って一礼した。続いてその場に着座し蓮華座を組むかと思ったが、彼は立ったまま右手を上げると、人差し指と中指を立てて九字印を切り始めた。二本の指を刀に見立てて行うお馴染みの退魔呪法で、時代劇で忍者などがよくやっている。朗々たる声が夜の闇に響いた。
 
「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前」
 
 九字を三度切ると、再び両手を合わせ、頭を上げたままその姿勢を保った。終始直立して行うのが桐谷家の流儀らしい。
 しかし早九字を中心とする結界や九字を切る修法は、あくまで退霊の効果を上げるためのものだ。事件の関係者、とりわけ津川俊助を招霊するのが本日の目的であることを考えると辻褄が合わない。あるいは、それらの霊が悪霊化していると想定してまず護身術を優先したのか。
 そんなことを考えながら見守っているうちに、警部補は次なる所作に移った。
 両手の指を絡ませ、「ウンウンシャ」と唱えながら印形を結んでいる。愛染明王の五股印は辛うじて俺も知っていた。続いて唱えられた真言も愛染明王のものだった。
 
「オン マカラギャ バゾロウ シュニシャ バザラサトバ ジャク ウン バン コク」
 
 桐谷刑事は愛染明王の真言を繰り返し唱えた。夫婦和合や縁結びをつかさどる明王をこの場で称揚するのは、怨霊を慰撫する意図があるのだろうか。

 計画的殺人のような重大犯罪に踏み切る時、人は大概愛欲に突き動かされているという世俗的通念は、世の中に広く根を張っている。特に捜査一課の刑事には基本的発想なのかもしれない。だからこそ、取調室で勧めるカツ丼ではないが、愛欲ゆえに罪を犯してしまった者の苦しみに手を差し伸べ、苦悩の声に耳を傾けることは、自白を引き出すのに有効だと考える。大正時代の山あいの村で起きた殺人事件であり、動機が怨恨なのであれば、痴情絡みと推定するのも無理はないだろう。
 愛染明王の大慈大悲は、愛欲に惑う衆生を優しく包み込む。やはり桐谷刑事は捜査一課的な見地から当時の事件関係者を招き寄せようとしているように思える。
 警部補は時折祭壇に近寄り、手づかみで豪快に抹香を投じながら真言を繰り返した。香煙は太く立ち上り、風に乗って渦を巻くように闇に流れていく。やがて真言は終わり、修法は経典の読誦へと移った。
 そうやってさらに数分経った時、警部補の読誦が突然止まった。
 
 待機している俺の方を振り向き、気持ち悪いほどにっこりと笑う。続いて結界の縄をくぐり抜けて歩み寄ってくると、右肩のあたりを叩くように手を添えてこう言った。
 
「それじゃ、後はよろしく」
「え? どういうこと?」
 
 慌てる俺を尻目に、桐谷警部補は結界には戻らずに祭壇の裏へ回り込んだ。そして香炉が置いてある下段の左右両端に手を添える。よく見ると下段の両端には蝶番ちょうつがいが取り付けられ、蓋が開くようになっていて、警部補はその蓋を開くと、下から一対の器具を引き出した。それは小型のサーチライトで、それぞれ直径が二十センチほどあった。

 スイッチが入り、一対のビーム光が上空へ延びた。

 前かがみの姿勢で左右の照射角度を調節し終えると、刑事は俺の方を振り返り、大仰に両手を広げて見せた。その顔には、ひと仕事を終えた充足感がみなぎっている。もちろんバトンを渡された俺はそれどころではない。
 
 二本のビームが交差する頭上の空に、俺たちを圧する大きさでそれは現れた。
 香炉から立ち上る煙の中、うっすらと浮かび上がる巨大な女の立体映像。微風の中で絶えず形をゆがめつつその場にとどまる様子は、浅い海に揺れる海藻を思わせる。ざっと身の丈は七、八メートルありそうで、白地に百合の花模様を散らした浴衣のような着物と、ウエーブをかけてうなじのあたりで留めた髪形が時代を感じさせる。映像が粗いので顔の識別は難しいが、年齢は三十前後に見えた。
 香煙の中で姿の定まらないその立体映像は、眼下にいる者の誰に関心を向けるでもなく、校舎の屋上一帯を眺め回すような顔の動きを示し続けている。
 女は完全に悪霊化していた。その巨大な霊の形から発せられる怨念の凄まじさは、俺が生まれて初めて感ずるレベルのものだった。学校の女子トイレに現れる少女の霊など子供騙しもいいところだ。
 悠長なお手並み拝見モードをいきなり打ち破られ、慌てふためきつつも状況判断を急いだ。当時の事件関係者で女性となると、数は限られてくる。さほど年配でもなく、陰陽師の召喚でこの場に真っ先に現れる女性といえば誰か? 改めてその顔を観察すれば、美人とはいかずとも、どことなく垢抜けたところはあるようだ。俺は意を決して語り掛けた。
 
「このたびはよくぞ、おいでくださいました」
 
 頭上の霊が、ゆっくりとこちらへ顔を向ける。「掛かった」という手ごたえを感じた。
 
「はじめまして、俺は座光寺信光といいます。あなたと話ができます。あなたは藤山はつ子さんですね?」
 
 絶えず波打ち、形を変える女の顔に笑いが広がっていく。ただし目が笑っていない。これほど強大な悪霊に見つめられ笑顔を向けられるのは、いくら俺でも恐ろしい。怯えが背筋を、首から腰へと伝っていく。
 女が口を開いた。一瞬、何を言ってるのか理解できなかった。
 
「おんや。めんげぼっこだなや」
「何ですって?」
 
 蝙蝠の姿で貯水槽の上に止まっていたエドが飛び上がり、俺とはつ子の間で乱舞しながら騒ぎ立てた。
 
「女は『おや、可愛い子供だな』と申しております」
「それくらい分かりますよ。ちょっと静かにしててください」
「承知しました」
 
 俺は桐谷警部補の代理として事件関係者からの聴取を任されているのではなかったか。こうなったら面倒な前置きは抜きにして、単刀直入に質問しよう。
 
「いきなりですが藤山さん。津川俊助氏はあなたが殺したんですか?」
 
 ちょっと待て。彼女は身に覚えのない疑いを掛けられ、警察署で拷問死した女性ではなかったか。何という心ない聞き方をしてしまったかと反省し、「殺してませんよね?」と続けたのだが、はつ子は凄まじい笑顔を顔に張り付かせたまま、何も答えない。
 
「藤山さんは本当にお気の毒だったと同情します。ちなみにあなたを召喚したのは、こちらにいる神奈川県警の桐谷新太郎警部補です」
 
 俺の紹介に続き、桐谷警部補ははつ子の背中に向かって深々と一礼した。ただしはつ子は振り向きもしない。
 
「俺はあなたが犯人だとは思いませんが、なぜ津川氏が殺されたのか心当たりがあるのではありませんか?」
「おが殺したんだべ」
「は?」
「殺したのはお前だつってるべせ。しらこぐでねえって」
「ちょ、何を」
 
 虚を突かれ言葉に詰まっているうちに、藤山はつ子の姿は時ならぬ突風に霧散した。「お前が殺した」と嘲笑を含んだ声が、虚空から頭の中に鳴り響いた。


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