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Revenant Doll 第19話

第3部

1 雑な干渉。そして吸血鬼の従者

 
 桐谷警部補と話す俺の声が明らかにおかしい。

 音程が異様に低く、不自然に間延びしている。再生速度を落とせば音程が下がる現象に似ているが、かといってテンポが極端に遅いわけでもない。強いて言えば、しゃべり方が一本調子で、低く抑えられた音程が上がりも下がりもしない。
 
 関内で桐谷警部補と会った時、会話をこっそりスマホで録音した。別れた後で再生してみて、財部がファミレスで俺に警告めいたことを告げた理由が納得できた。
 
 津川俊助の霊から直接聴取したいという桐谷刑事に向かって、俺はこう言っていた。
 
『そんなことだろうと思ってました』
 
 地の底から湧き上がるような含み笑いが、間延びした声に纏わり付いている。
 自分の声を聞いて全身が総毛立つ経験というのは初めてだった。「そんなことだろうと思ってました」との言い方に、刑事の過剰な期待感にいささか辟易したニュアンスを込めたのは確かだが、笑ったつもりはなかった。なのに何度確かめてみても、録音された俺の声は笑っている。
 
 ほら、また笑ってる。数日前、水際にそう言われたのではなかったか。
 
 かたや桐谷刑事の話し方にはまったく異常は感じられず、俺の声だけが異様にゆがんでいるのだ。彼は、財部と同じように俺の様子が変だとは思わなかったのだろうか。いや、彼とは知り合って半月足らずだし、気持ち悪く感じながらも、これが俺本来のしゃべり方だと思っているのかもしれない。
 それとも、桐谷刑事と会話していた際は正常だった俺の声が、録音後に不自然にゆがんだのか。
 
 いずれにしろ納得できない。これが本来の俺であるはずがない。
 
 今後の身の振り方についての告白部分はカットした上で、エドにも聴いてもらった。
 
「確かに少し変ですな」
 
 録音の再生途中で、吸血鬼は淡々と感想を口にした。具体的にどう「少し変」だと感じたのか。
 
「今の俺とは違いますよね?」
「はい。録音した際にゆがみが生じたと思われます」
「やっぱりそうですか。でも桐谷さんの声はごく普通ですよ」
「うーん。何かが若君様の声にだけ干渉したとして、それが何なのか。悩ましいところですなあ」
 
 俺にとってはその「悩ましい」何かが問題なのだが、エドはいつも通り悠揚迫らぬ態度を崩さない。彼との断絶はこういう時に痛感させられる。
 不可解な何かに侵され途方に暮れる人間の苦衷を、どうすれば彼のような魔物に理解してもらえるのだろうか。ましてや、太陽を克服して怖いもの無しとなった吸血鬼に。
 
「心当たりがあるなららさないでくださいよ。要するに俺に狙いを定めた何かが、嬉野小学校から俺に憑いてきたってことでしょ?」
「そう単純でもないように思います。最近のIT用語で……確か『トロイの木馬』でしたかな? あの種のものが若君様のパーソナリティーに付着して、録音にゆがみを生じさせているのではないかと」
「やっぱり憑いてるんじゃないですか!」
「まあ、そう興奮なさらずに。本格的に悪霊が憑いたとなれば深刻さのレベルは三段階ほどアップしますが、これはずっと初期的な、ごく軽度の干渉と思われます」
「治癒するんですか?」
「もちろん。二週間程度で治まるでしょうから、お気になさるほどのものではございません」
「……よかった。でも俺にだけ症状が出て桐谷さんは問題なしってどういうことだろ。免疫でも持ってるのかな」
「『ワクチン接種済み』だとしたら?」
「冗談じゃありませんよ」

 吸血鬼としては精いっぱいのジョークだとしても、あまりにくだらな過ぎて力が抜ける。

「でも財部も俺の話し方が変だって言ってました。あいつ特有の霊感が何かを捉えたってことでしょうかね」
「お付き合いの長い方に気付かれるケースはございます。普通はもっと周到に隠蔽するものですが、干渉方法が雑なのでしょうな」
 
 雑に干渉される身にもなってもらいたいが、エドに当たり散らしても仕方がない。つまりこれは、嬉野小に「良からぬモノが確実にある」という証拠でもあるのだ。それを俺は身をもって証明した。これだけ体を張った以上、ミッション・コンプリートの暁には聖往学園理事会からもたっぷりと報酬を上乗せしてもらおう。そう考えれば元気が出る。

 もっとも、若者が元気を出すのは老人にとっては心配の種であるらしい。
 
「やはり行かれるのですか。深入りはなさらぬようにとあれほど申しましたのに」
「もう後には引けませんよ。運命だと思って受け入れるしかない」
「お言葉ですが、若君様のお歳で軽々しく運命を口になさるのは感心いたしません。それは長い時間をかけて学ぶべきものです」
「ホテルも予約しちゃいました。何だったら俺一人で行きましょうか?」
「困りましたな」
 
 苦り切った老執事は腕組みをしてくうを睨んでから、「少々お待ちを」と言って虚空に姿を消した。不意に天井の照明が消え、寝室は闇に包まれた。何のいたずらだとあきれて様子を見守っているうちに、闇の中に二つのぼんやりした光の塊が現れた。一メートルほどの間隔を置いて目の前に並んだ光の塊は、ゆっくりと人の姿を形作っていく。
 それぞれの姿が明瞭になった。俺から向かって右側は長い金髪にウエーブの掛かった白人女性で、袖口を絞り込んだ白いブラウスの上に濃紺のベストを着け、くるぶしまで届くスカートをはいている。年の頃は三十歳くらいで、全体的にどこか弱々しげに見える。
 左側は大男の黒人だ。丸い縁なし帽を被り、金糸によるアラベスク調の刺繍模様を全体に施した裾の長い外套を着ていた。前にいる者を圧倒せずにはおかないその巨体は、横の白人女性と見事な対照を成している。
 やがて白人女性は左手、大男の黒人は右手を胸に当て、片膝を着いて頭を垂れた。
 
「私がこの国に参った当時は十四名の従者がおりましたが」
 
 姿の見えないエドの声が、闇を伝って俺の頭の中に響く。
 
「今はご覧の二名となりました。メアリー・ウッドフォードは私が英国の大吸血鬼ジェームズ・ガナード卿に仕えておりました当時、私の下で女中として働いておった者で、ガナード卿のお許しを得てこの国へ連れてまいりました。ハッサン・アブドゥルマリク=スールーは、英国を離れた私が各地を放浪の途次、立ち寄りましたイスタンブールの宮殿セラーリオにて、スルタンの寵姫にして五百年の歳月を長らえし妖女クシュキラより門出のはなむけとして賜りし宦官にございます。若君様の足元にも及びませんが、滅霊の術式はひと通り覚え込んでおりますので、どうぞお役立てください」
「二人とも吸血鬼なんですか?」
「いいえ。ただの死霊でございます」
 
 エドの従者──メアリーとハッサン──は俺への最敬礼の姿勢のまま微動だにしない。厄介ごとに巻き込まれる人間が二人増えただけのような気がしないでもなかった。
 
「足手まといにならないかな?」
「滅相もない。若君様のお邪魔になるくらいなら両名とも喜んで入滅いたしましょう。危急の際は盾となって若君様をお守りいたします」
 
 なるほど、そうやって十四人が今では二人になったというわけか。先祖たちは使用人を何だと思っていたのだろう。無闇に暑苦しい忠義だの滅私奉公だのは大嫌いだ。家業への嫌悪感がまた一段と募った。
 


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