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Revenant Doll 第28話

第3部

10 殺戮

 俺たち三人は「講堂」に舞い降りた。天井を通り抜け、濃密な闇に満たされているホールの真ん中に立つ。大変な盛況であった。霊の姿こそ見えないが、センサーが振り切れるかと思うほど、上下左右前後縦横、あらゆる角度から強烈な怨念のシャワーが降り注ぐ。特殊な嗜好を持つ上級霊能者なら恍惚となるところかもしれない。
 俺は霊たちに呼び掛けた。
 
「どうです皆さん、平和的に話し合いをしませんか? こう見えても俺は、学校当局や行政を代表できるつもりです」
 
 十七歳のガキが「行政を代表」とはチャンチャラ可笑しい、と笑わば笑え。大言壮語は鼻で笑われてナンボなのだ。どんなバカがほざいているのか、一つ顔を見てやろうという気を起こさせる。それが第一歩だろう。
 
「俺は皆さんの言い分を聞きたい。その上で、お互いが一番幸せになれる道を模索しましょう。どうですか」
 
 いったん言葉を切り、背後のメアリーとハッサンに「攻撃されても強いて抵抗はしないように」と囁いた。やがてステージの真下の位置──俺から向かって真正面──に、一群の霊が、淡い光を帯びた靄のように浮かび上がった。同時に、ステージの天井に設置されたスピーカーからピアノの音が流れ始めた。

 藤山はつ子(Pf)によるドビュッシー「月の光」。俺の手にかかって入滅する直前の演奏。一つ一つの音の色と重みに、彼女の人生の光と影が刻み込まれている。はつ子の魂は滅びても、この表現はきっと不滅だ。そう考えると、現金にも不思議と気が楽になった。
 俺から一番近い場所に、女の能面を付け、薄茶色の野ウサギを抱いた少女が立っている。その背後におびただしい数の子供が群れていて、どの子も狐や猿、猫などの面で顔を隠していた。多くは粗末な着物を纏っていて、洋服姿なのはウサギを抱く少女──小林千恵──を含め二、三人程度だった。
 能面の奥から、千恵の声が響いた。
 
「かわいそうな鬼。もうお前は家族や友達のところへ戻れないのに、私たちといまさら何の話を」
「戻らなくてもいい。君らとずっと一緒にいる」
 
 千恵は肩を揺すって笑いだした。彼女の声と話し振りが中年女性のそれに変わった。
 
「おお怖! ……威勢のいい鬼だね。それは脅しのつもり?」
「脅しに聞こえたなら申し訳ない。いろいろあって気が変になってるからね。でも、ここでこうしてるのも俺の任務だから、最後までやり遂げたいんだ。新しい校舎に建て替えるのはどうしても我慢がならないか? 皆さんの帰ってくる場所が必要なら、そういう場所を確保できる方法を考えよう」
 
 続けて「俺が責任を持ちます!」と声高に付け加えた。いまさら責任を持つ術もないのだが、藁にも縋る思いがそう叫ばせた。
 彼らの言い分を尊重すると訴え続ければ、この身が助かる可能性が生まれるかもしれない……。この期に及んでまだ、俺はそういう虫のいい考えに囚われていた。もはや絶望的と分かっていても、ご都合展開への抜きがたい迷信は十七歳男子の内部に頑強に居座っていて、「どうにかなる」と心のどこかで信じているのだ。往生際の悪さなのか、あるいは人間の悲しいさがというべきなのか。

 そんな俺の未練を断ち切るかのように、千恵のすぐ後ろで、松本淳が「便所掃除が終わってないのに建て替えるつもりか?」と叫んだ。顔には猿の面を着け、両手にバケツを持っている。
 
「君が通ってた木造校舎はもうとっくに壊されて、今じゃ鉄筋コンクリートになってるんだよ! 君が掃除してた便所はもうどこにもない!」
「嘘だ!」
「嘘じゃない。今の鉄筋校舎も古くなったから新しくしようっていうだけじゃないか。学校がなくなるわけじゃない! なぜそんなに今の校舎にこだわるんだ?」
「お前は便器を磨いたことがあるのか?」
 
 淳の声が突然、大人の男に変わった。
 
「自分を無にして、自分が便器になったつもりで磨かなけりゃ意味がないんだよ。お前だって自分が便器になったなら、便器の気持ちが分かるようになるだろう? そうなるまで心を込めて磨くんだよ。みんなそうしてきたんだ」
 
 遅まきながら悟った。この子たちは一人・・ではない。
 今、小林千恵や松本淳として現れている姿の背後には、嬉野小を通り過ぎて行った何世代もの児童と教員らの霊が折り重なっている。その者たちが、千恵や淳の背後から代わる代わる語り掛けているのだ。
 
「分からない子ね」
 
 その声は、千恵や淳の後ろの方から届いた。やがて、花嫁衣裳の白無垢を纏い、角隠しを被った少女の姿が、児童たちの頭上に大きく浮かび上がる。仮面を着けていない顔には厚く白粉が塗られ、唇に鮮やかな紅を差しているが、よく見れば他の児童と同じ年頃と分かる。
 彼女が誰であるかを俺は知っていた。「御蚕様」に選ばれた六年二組の斎藤喜和子。そして「御蚕様」が何であるかということも。すべて、俺の中に移し込まれた小早川学の記憶だ。
 御蚕様になれば、永遠の命が与えられる。選ばれた者だけがいつまでも老いることなく、若く美しい姿でいられる。
 俺の正面に舞い降りた斎藤喜和子は、青みを帯びた瞳で俺を見据えた。
 
「あの学校はずっと、私たちの家だったのよ。他の何にも代えられない。私たちを追い出すことは誰にもできない」
「なぜ君らの家になるんだ?」
「そんなこと聞くからお前はバカなのよ。みんななぜ学校に残ったのか、少しは考えてごらん」
「ごめん、俺はバカだ。教えてくれ」
 
 喉に引っかかるような声で、肩を揺すりながら斎藤喜和子は笑った。大柄な背丈とも相まって、その所作にはとても小学六年生とは思えない大人の女性の風情が漂う。男を支配下に置くためのこうした手管てくだを、いったい誰が、どうやって仕込んだのか。
 
「行き先が地獄しかないんだったら残るしかないでしょ。そういう世界を知らずに育った幸せな坊や。お前はどんな大人に騙されてここへ来たの? ……そんな中で私は一番の幸せ者。誰よりも綺麗で、いつまでも若く、誰からも愛される。男たちに踏みにじられないし世間から爪弾きにされたりもしない。お前に分かる? ここに帰ってきて、ずっとここにいる、そうすることの意味が」
 
 喜和子の背後から、さざ波のように嘲笑と愚弄の囁きが押し寄せてきた。「本当にバカなんだね」「何しにここへ来たんだろ」「あれで高校生なんだって」──。挑発されているのは百も承知だ。それでも頭に血が上るのを抑えきれなくなる。
 
「どうしても校舎の解体が承服できないっていうなら、しばらく使えるように少しだけ修繕するって方法もある。それでどうだ?」
「私たちの居場所がなくなるのは同じじゃないの」
「わがまま言うなよ。このままだと、今の生徒が怖がって学校に戻れないんだが、君らはそれで満足か?」
 
 結局俺は、彼らに立ち退きを促しているだけだった。こうやって対峙する時間が長引くほど、行政当局の下請け業者として強制執行する立場があらわになっていく。「これ以上は時間の無駄です」とハッサンに耳打ちされて焦りがさらに深まった。
 
「これが最後の警告だ。解体工事を邪魔しないと誓いなさい。さもないと、こちらも実力行使しかない。……どうか君ら、若い世代の幸福を願ってもらえないか」
 
 「警告だって!」「警告! 警告!」──。居並ぶかつての嬉野小児童たちが、口々にはやしながらどっと笑う。顔を仰のかせて笑う喜和子のけたたましい声が耳に突き刺さり、俺のどこかで自制心の安全ピンが外れた。
 
「その自分勝手を、どうやったら、いつになったら分かるようになるの? 『若い世代の幸福』だって? どれだけ笑わせるつもり? それはお前の幸福だろう?」
「いじめたら駄目よ喜和子ちゃん!」
 
 奥の方で小林千恵の声が上がった。仮面をつけた児童たちの列が割れて、滑るように千恵が進み出て喜和子の横に並ぶ。
 
「この子は、帰ってきた御蚕様の婿になることが決まったの。学君の代わりに」
「え、そうなの?」
「そうよ。だから大事に扱ってあげないと」
 
 喜和子が目を丸くして俺を見ている。喜色満面となって両手を合わせ、良からぬ何ごとかへの期待を丸出しにして「おめでとう!」と宣告した。
 
「お婿様あなたが、今日こんにちまで健やかに成長なさったのはこの時のため! ご両親の苦労もようやく報われる日がまいりました! さあ、祝言に移りましょう!」
 
 顔を隠した児童たちの群れが二つに割れ、道が開かれる。その先のステージ上ではいつの間にか演壇が脇に寄せられて、そこには藤山はつ子の住居で昨夜見た物体──白い布で全体を覆った等身大の立像のようなもの──が鎮座していた。そして俺は得体の知れない力に捉えられ、空中をその方向へと引き寄せられ始めた。

 メアリーとハッサンが俺を引き戻そうと試みたが、俺の周囲に張り巡らされた結界のような障壁に触れて弾き返されてしまう。そして俺は身動き一つままならない。ようやく俺は、自分を捉えているパワーの桁外れの凄さを思い知った。背後に遠ざかる二人に向かって俺は首を横に振り、まだ手出しをしないよう伝えた。
 
 ステージ上では、白い物体を覆う布が取り払われ、隠されていたものが全身を現した。
 
 純白のドレスを纏った貴婦人が、肘まで覆うイブニンググローブをはめた右手を顔の高さに上げてポーズを作っている。唇をわずかに開き、目は中空に向けられていた。一見して二十歳前後の東洋人と分かる輝かしい美貌を、その極みで停止させている。

 これが「御蚕様」だった。彼女もこの土地で生まれ、異国の誰かに愛されるために海を渡ったのだろう。今や異国における愛は夢のように儚く尽き、こうして嬉野小へ戻ってきた。俺は彼女と祝言を挙げ、互いに愛し愛されることを求められている。
 彼女の横顔が目と鼻の先まで近づいた。背後で斎藤喜和子が叫んだ。
 
「お床入りを!」
 
 児童らが一斉に「お床入りを!」と唱和する。俺は「御蚕様」の顔に手を伸ばし、その冷たい頬を撫でた。西洋貴婦人らしく結い上げられた黒髪から、びんがわずかにこぼれているのを耳の上に撫で上げながら、心の中で「お帰り」と声を掛ける。そして両腕を彼女の背に回した。
 冷たい唇に自分の唇を合わせながら、俺は悪龍に変成へんじょうした。龍の全身から噴き出す炎が、蚕の繭のように、彼女と俺の全身を包む。その状態のまま、俺は背後にいるエドの従者に合図を送った。
 
 やれ。皆殺しだ。一人も逃がすな。
 
 メアリーとハッサンは勇躍して、かつての嬉野小児童らに襲いかかった。殺戮を繰り広げる気配が背中に伝わってくる。結局、俺は権力の手先でしかなかった。権力の代行者たる座光寺家の者でありながら綺麗ごとを並べる偽善ぶりに、内心はほとほとうんざりしていたわけだ。だが、できることなら……それが許されるなら、これで本当に終わりにしたい。
 
 人形の頭髪が松明のように炎を上げ、それが燃え尽きると、乾ききった頭皮がめくれて頭蓋骨が露出する。ガラスの目玉が眼窩から外れて転がり落ちる。龍に抱きすくめられた人形の芯が焼け始め、眼窩や口から狼煙のように煙が上がる。
 村を後にした少女の悲しみ、望郷の思い、不安、恐怖といった膨大な感情の塊が、俺の中に押し寄せてきた。これを誰かに受け止めてもらうために、彼女は帰ってきたのだ。俺がその役目にふさわしい者だとは到底思えないが、選ばれた以上務めるしかないだろう。
 俺が永遠に眠らせてあげる。もう苦しまなくてもいい。

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