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Revenant Doll 第22話

第3部

4 月光エコドライブ

 
 ──若君様!
 
 頭蓋骨を内側からハンマーで叩くような大音声に、「ひっ」と情けない悲鳴を上げてしまった。エドの声はいつになく切羽詰まっている。彼はまだ嬉野小校舎の屋上にいるのではなかったのか。
 
 ──月光エコドライブが誤作動しているようです。ウロボロスをご確認ください。
 ──月光エコドライブ……? 何ですかそれは?
 ──スライドボタンが「満月」の位置になってはおりませんか?
 
 大歓喜のさ中で律動する藤山はつ子に気取られぬよう、ウロボロスすなわち霊的腕時計の所定箇所に目を凝らす。暗がりの中で極小部位を確認するという難題は何とかクリアした。
 
 ──あー。確かにおっしゃる通りです。
 ──それを「太陽」の位置へお戻しください。
 ──はい。……これでいいんですか?
 
 エドに急き立てられてウロボロスを操作すると、一瞬で周囲の喧噪が止んだ。続いて俺の上に乗っていた藤山はつ子をはじめ、会衆たちや布で覆われた立像がたちどころに掻き消えた。最後には、皆がそこにひしめき合っていた一軒家までが雲散霧消し、俺は森の中の、びっしり生い茂った雑草の間に倒れ伏していた。
 
 杉の梢を透かして、煌々と照る半月の形が見分けられる。その月光の中を大ぶりな蝙蝠の影が横切り、輪を描きながら、仰臥する俺の上へ舞い降りてきた。心配性の吸血鬼は、俺の安全を確かめるように繰り返し周囲を旋回する。
 
「ご無事でしたか?」
「まあ何とか。……桐谷さんはどうしてます」
 
 エドは横たわったままの俺の頭上で器用にホバリングしながら、少し間を置いて答えた。
 
「まあ、大の男が滅多なことで死にはいたしません。しかしこうも易々とロックが解除されてしまうとは。どこかいじりましたか」
「いえ何も」
 
 エドのお蔭で危ういところを脱した俺は、彼に伴われてその場を離れた。空を舞い上がり、かつて廃屋があったと思われる場所を見下ろす。あそこには確かに人の住む家があったのだ。
 
「ところでエド!」
 
 自分ながら驚くほどの大声が出た。半月の下でせわしげに羽ばたく吸血鬼は肝を潰したように飛び退いた。
 
「……どうなさいました?」
「答えてください。すべての花が散って木が新緑に包まれた時、太陽は散った花たちのことを覚えているんですか?」
「それに今、お答えする必要がありますか?」
「他の誰よりも太陽を愛するあなたに尋ねてるんです! 枝に残ってるのは若葉だけで花なんて一輪もなくなった後には、太陽は若葉を照らして光合成を促すだけですよね? 散った花のことなんか覚えてやしないでしょ? この世界に花が咲いた意義はあったんですか? 花がそのすべてをかけて太陽を愛した意義は?」
 
 俺は泣いていたのだが、その理由は自分でもよく分からなかった。エドはしばし俺の左右を飛び回ってから、吐き捨てるように「覚えているわけがないでしょう」と言った。
 
「太陽に何を求めるというのです? 花は見返りを期待して咲くとでも?」
 
 叱責に近い吸血鬼の物言いのお蔭で、どうにか我に返った。一時的な錯乱は小康状態へ移行し、頑是ない幼児さながらに心のケアを求めていた俺は気を取り直して「分かりました。変なことを聞いてすいません」とエドに詫びた。
 
「ところで月光エコドライブって何なんですか?」
「要はターゲットとする霊の生前の姿を見る機能です。年単位で遡行いたしますので、若君様は事件当夜の藤山はつ子をご覧になっていたのではありませんかな」
「はあ……。でも彼女には俺の姿も見えていたようでした」
「そういうこともあり得ます。月光エコドライブの機能は使用者の能力を限界まで引き出しますので、状況によってはその当時の人間に介入を感知される場合もございます」
「感知されたどころの騒ぎじゃなかったですよ」
「まあ、その時の使用者の気持ち次第で幻覚や妄想が混じることもあり得ます。とにかくそれほど特別な機能ですので、普段は厳重にロックしてあるのですが……」
 
 エドの説明によると、この機能には特殊な充電方法が必要で、月齢十四・五~十六の月光に七十二時間当ててようやくフル充電になるとのことだった。しかも電源の消耗は激しく、稼働可能なのはせいぜい五時間程度らしい。
 時刻を確認すると、午前零時を過ぎたところだった。嬉野小を離れてから一時間以上経っている。
 
「要するに、大事に使えってことですね」
「とんでもない。使うこと自体が極めて危険です。オンにしたままで充電切れを迎えますと、使用者は元の状態に戻れなくなります。どういうことかお分かりでしょうな? 命にかかわるのですよ」
 
 俺が驚きとともに「ほう……」と漏らした声を、吸血鬼はどう聞いたのだろう。彼は守り役としての警戒モードを一段階上げてしまったのかもしれない。正直なところ、藤山はつ子との交歓を邪魔されたことへの不満が、胸の奥に暗くわだかまっていないわけでもなかったのだ。
 
 自分にも青春時代はあったはずなのに、なぜ老人はこうも若者の情熱に無理解を装うのだろう。
 
 嬉野小校舎屋上から天へ延びるサーチライトの光線が、二本に見分けられる距離まで近づいた。結界の中央で声を張り上げる桐谷警部補の姿が見え、その頭上をメアリーとハッサンが輪を描くように飛び回っている。
 結界の四隅に立てられた榊や祭壇の上など、陰陽師の使う護符が随所に貼り付けられている。どうやら俺が藤山はつ子を追ってここを離れてから、何か相応の修羅場があったらしい。しかし周囲に霊の気配は感じられなかった。
 俺とエドの接近に気付いて、桐谷警部補がゆっくりと顔を上げる。祈祷の構えを解き、禹歩で結界から退いた頃合いに、俺は彼の前に降り立った。エドは従者たちを従えて校庭の方へ飛んで行った。
 
「ご苦労様。そっちの方はどう?」
「何だか訳の分からない物を見ました。藤山はつ子さんのアリバイと関係あるかもですが、ちょっと頭が混乱してて。ところで津川さんは来ました?」
 
 警部補は肩をすくめて首を左右に振った。
 
「もっとも君がはつ子を追っていなくなった後、いきなり入れ食い状態になってね」
「霊がですか?」
「そう。みんな子供だったけど、結界の外にびっしり纏わりついてきたから焦ったよ。さっきのお二人は執事さんの助手かな? あの人らの力を借りて何とか追っ払った」
「敵意を示していたわけですか」
「それは間違いないね。小学生当時の姿で押し寄せて来て、お蔭で結界から一歩も出られなかった」
 
 警部補は「事情聴取どころじゃなかった」などと軽口を叩いた。彼に襲いかかった霊たちが嬉野小の卒業生で、解体工事を妨げている犯人だとすると、死者だけでなく生霊も混じっている可能性がある。
 結局は警部補も俺も、担当外の霊に振り回された格好になったわけだ。
 
「こっちはもうすっかり落ち着いたが、これからどうする?」
「今夜はもういいんじゃないでしょうか」
「そうだな。俺もさすがに疲れたし明日にするか。撤収する前に軽く経過確認だけしておこう」
「分かりました」
 
 短いやり取りの間、俺の顔の裏側を覗き込むような警部補の視線に心がざわついた。彼は俺に向けた放ったはつ子の言葉を聞いていたに違いない。
 彼女は確かにこう言った。「お前が殺したんだべ」。事件当時生まれてもいない人間が関与できるはずはないから取り合うに値しないのだが、はつ子が関係者として口にしたのであれば、捜査員としては当然注意を向けるだろう。戯れ言にしても迷惑なことをしてくれたものだ。

 エドたちが戻ってきて、周囲から霊の気配が途絶えたことを報告した。全員が揃ったところで、俺は藤山はつ子を追跡した先で体験した一部始終を警部補に話した。
 俺の舌はよく回った。桐谷刑事は陰陽師としてこの日の儀式を主催しているが、社会人としての本職は言うまでもなく警察官だ。俺は警察権力からあらぬ疑いをかけられるのを恐れ、はつ子や彼女の家に集った人々への配慮など微塵も交えずにペラペラしゃべった。
 
「その白い布で隠されていた中身は、最後まで確認できなかったんだね?」
「はい」
「ところで……」
 
 警部補は何か思い出そうとするかのように下を向いてから、俺の顔を無表情に見据えた。
 
「当時の調書にも書いてあるが、はつ子の職業は酌婦だ。君は彼女の客になったの?」
「き、客だなんて、金を払ったわけじゃ」
 
 はつ子の誘惑に身を任せたことは黙っていたのだが、尋問のプロが予想外のコースに投げ込んできた直球に俺はたやすく狼狽し、ボロを出してしまった。慌てふためく十七歳男子の面目などお構いなしに、刑事の追及は続いた。
 
「そうなの? 向こうはツケだと思ってるかもしれんぜ」
「いや、でもあの場は、確かに胡散臭いけど、一種のお祭りみたいなもので」
「それがはつ子の売りだったんじゃないのかね。結構繁盛してたらしいし。古今東西、宗教行事に見せかけた乱交パーティーなんて珍しくもなんともない。……いや、誤解しないでくれ。俺は君を責めてるわけじゃない。『御蚕様』といい、いかがわしい儀式といい、はつ子が死ぬほどの拷問でも口を割らなかった初出の情報だ。君が身を挺してくれた賜物たまものだよ」
「はあ……」
「君ははつ子に気に入られたらしいな」
 
 背筋に悪寒が走るような笑いを刑事は向けてきた。
 
「彼女は本ボシじゃないだろうが、恐らくもっと重要な情報を握ってる。君にその気があるならこのメリットを生かさない手はないと思うんだが、どうだい?」
「そう言われても……。具体的にどうすればいいんですかね」
「はつ子は君に貸しができたと思ってる。そりゃもちろん金じゃない。君が彼女の要求に応えてあげるってことさ。もっとも、どんな要求なのか分かったもんじゃないが、行き過ぎた捜査で命を落とした気の毒な女性への供養にもなるだろう」
「でもそれって、警察の責任ですよね?」
「失礼ですが」
 
 それまで黙っていたエドが割って入った。若君の不甲斐なさを座視していられなくなったのだろう。
 
「いい加減にしていただけませんかな。とうに迷宮入りしている百年前の事件の真相解明が、警察組織に何か得になるとでもいうのですか? これが正規の公務だとでも? そもそも若君様が仰せつかっているのは、校舎解体工事の支障を取り除くことであって、あなた様のご関心とは方向が違います。少々勝手が過ぎはいたしませんか」
 
 語気荒く詰め寄るエドをなだめるように、桐谷警部補は「分かりました、ご勘弁ください」と手のひらを前に出した。
 
「今日は信光君のために微力ながらお役に立てればと思ってたんですよ。ところが想定外の展開になって、思わぬ収穫があったから俺も少し図に乗ってしまいました。その点は認めます。でも、さっき言ったことは撤回しません。俺の申し出に対してどうするかを決めるのは執事さん、あなたじゃなくて信光君です。決定権は彼にある」
「ほう。ではうかがいますが、あなたはどういう立場からそのようなお申し出をなさっているのですか。まさか警官としてではないでしょうな?」
「警官でも陰陽師でもありません。一人の人間としてです」
「詭弁ですな。何の権利があって当家の者に一個人として要求なさるのです?」
「良心を持った一人の人間として彼に期待することの何が詭弁ですか?」
 
 エドは「良心……とおっしゃいますか」と言ったきり絶句し、眉をひそめて相手の顔を見つめた。警部補は傲然とエドの顔を見返している。
 俺が「もう寝ましょうよ。明日の夜までに考えておきますから」と間に入り、その場は収まった。その後は儀式場の後片付けに小一時間かかったため、ホテルに帰り着いた時には午前三時を回っていた。
 
「法の守護者たるべき警察官の口から『良心』などという言葉を聞こうとは。思いもよりませんでした」
 
 上の階に部屋を取っている桐谷警部補を乗せてエレベーターは去った。薄暗い客室フロアの廊下で嘆息交じりにエドが漏らした言葉が、俺の胸の内を波立たせた。
 
「彼が警官の立場を離れて一個人になれないなら、俺も同じってことですね」
「座光寺家の御曹司でないなら誰が今回のような依頼をいたしますか? ……その時々の都合に合わせて個人やら良心やらの理屈が通用すれば詐欺師は苦労せんでしょうよ。まあ、あの男が相当に深い業を背負っているのは認めますが」
「分かりました。この件は断ります」
「それがよろしゅうございます。第一、月光エコドライブの故障を早急に修理せねばなりません。若君様の案件が片付くまではウロボロスの使用をお控えください」
「それは無理ですよ」
「どうということはありますまい。校舎に取り憑いた霊は今晩も現れるでしょうから、適当に懲らしめておけば格好は付きます」
 
 適当で済めばいいですが、と喉元まで出かかった言葉は飲み込んだ。吸血鬼は守り役としての立場から、早く俺に手を引かせようと躍起になっている。工事を再開できるだけの成果が得られようが得られまいが、初めから彼にはどうでもいいことなのだ。
 ところで俺は桐谷警部補の言うように、はつ子に気に入られたのだろうか。
 ものは言いようだ。「魅入られた」の方が当たっているなら、失礼な言い方だが「毒食らわば皿まで」という道もある。
 

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