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Revenant Doll 第15話

第2部

8 Forbidden Faces

「で、どうなの。これで終わりにする?」

 「王侯の寝台」のシーツを指でひねり回しながら、うつ伏せの生徒会長は俺の返事を催促した。嬉野小学校の探索途中で神奈川県警の警部補に遭遇したことは、もちろん彼女には伏せていた。
 仰臥する俺の視界の隅に、天井に向けた水際の素足が映る。幼児のようにバタバタ動かすその仕草は、「時間がないんだから早く答えろ」と言いたげだった。

「最低でもあと一回は行く。次はホテルに連泊してもいい?」
「二学期が始まったらダメだよ。それとも小学校からやり直したい?」
「何をまた……」

 地縛霊となり、嬉野小が存続する限り児童らを見守る俺。

 桜舞い散る四月は花の陰から新入生の健やかな成長を願い、六年を経て別れが訪れる三月には、卒業生に向けて幸多からんことを祈る。そういう存在になる。
 俺の気配は彼ら彼女らに伝わるだろうか。もし地縛霊となったなら、狂おしいほどにそう願うと思う。そしてやがて、叶わぬことと諦めるだろう。
 伝わらなくてもよいのだ。俺は児童を守る。そして学校を守る。廃校させんとする輩には災いあれ。俺は全力をもって抗うだろう。

 ……そうやって、自ら学校の守護者となった者がいるのだとしたら、俺はその者に問いたい。お前は心底、学校を守り抜きたいと思っているのか。本当のところは入れ替わり立ち替わり現れる児童を、未来永劫眺めて過ごしたいだけではないのか。そんな願望を不純だと自覚しないのか。児童らが無垢に見えるのはお前の身勝手な思い込みではないのか?

 布張りの天蓋から、幼子おさなごを抱く聖母が見下ろしている。見る者の視線を逃がさない八方睨みの画法だ。この寝台を通り過ぎて行った人々はきっと、その眼差しの下にいることに心の安らぎを得て様々なことに励んだのだろう。眠りに落ちる時も愛する時も出産する時も、大いなる眼差しの下にある。

「行く前と後で随分様子が違うね。『嫌々ながら』って感じがないじゃん。何かあったね?」
「そういうわけじゃない。ざっと探索しただけじゃ手ごたえがないから、これでいいのかと思ってさ。校舎の中を全部回ったわけでもないし」

 生徒会長は物憂げに身を起こし、俺の上にのしかかった。左の耳朶に彼女の吐息がかかり、声が鼓膜をくすぐる。

「どうするかはお前の自由だよ。金の心配なら要らない。たかが知れてるしね。ただ先方の教育委員会には、国への予算要求絡みで八月下旬がリミットらしいんだわ。それまでに白黒つけてくれるとありがたいって言ってた」
「解体工事を再開できるかどうかは、俺が結果を出せるか次第ってこと?」
「お前なあ」

 人差し指と親指の間に頬の肉を分厚く挟まれ、つねり上げられた。痛い。女王様のお仕置きに随喜の涙を流す境地は、依然として遠いようだ。

「何うぬぼれてんだよ。そんなことをお前に無理強いできるわけないだろう。頭のどこかに入れておけって言ってるの」

 頭の隅に引っかかった余計なものが、所を変えて当人の足をすくうことだってあるだろう。いろいろな意味で転ぶのが避けられない時、「転ばぬ先の杖」は役に立たない。必要なのは転んだ後の傷にあてがう絆創膏と不屈の図々しさだろうか。

「俺さ、今回の事件がこれまでで一番面白いような気がしてきた」
「へえー、どういう風の吹き回し……ていうか何? その気持ち悪い笑いは」
「え? 俺、今笑ってたかな」
「ほら、また笑ってる。……お前、向こうから何か良くないモノを連れてきたんじゃない?」
「そんなつもりはないけど」
「『憑く』ってのはそういうことでしょ。憑かれたら自覚なんてないって」
「どうしたの。怖い?」
「怖いに決まってるだろ」

 良くないモノを連れてきた俺の、唇を割って生徒会長の舌が侵入してくる。ひと頃より伸びた髪を指で弄んでから、汗ばんだ背中を撫で回しているうちに、妙な幻覚に襲われた。
 津波が、パニックルームのドアの外まで押し寄せている。ここが波に呑まれるのも時間の問題だろう。もうじき俺たちはベッドごと海に流され、漂流の旅に出なければならない。


・・・・・・・・・・・・・・


 生徒会長と戯れた日の翌日、桐谷警部補からLINEの添付ファイルで事件の関連資料が届いた。内容はおおよそ二つのテーマに分かれていた。一つは事件後の嬉野小の変遷に関するもの、もう一つは、「鬼の首」に関連する、どちらかというと民俗的な周辺情報がまとめられていた。

 津川俊助の後任の校長は事件から三カ月経って着任した。当時三十五歳の内務省官僚で、着任早々、撤去された朝礼台の位置に「奉安殿」を設置し、教師と児童全員に毎朝の宮城遥拝を強制した。六年生になっても教育勅語を暗誦できる生徒がいないと言って怒り狂い、全学年で毎日一時限目を素読に充てるよう指示した。
 目上の者への礼儀を欠く生徒には容赦なく体罰が加えられ、校長である自分とすれ違ったり、遠くからでも見かけた際には直立不動で最敬礼することを強要した。徹底的な臣民教育と綱紀粛正の旋風によって前校長の記憶も吹き飛んだかと思われた頃合いに、彼は着任一年で意気揚々と本省へ戻って行った。次もまた内務省から派遣され、今度は三年間在任した。
 さらにその次の文部省官僚が本省へ戻った後、八年ぶりに生え抜きの教員が校長に就任した。津川俊助にまつわる不吉な記憶も風化しつつあったのだが、プロパーの校長は早速受難に見舞われることになった。
 奉安殿に収められていた天皇皇后の御真影が、ある朝消えた。肖像写真を収めた棚の扉は施錠されていて、鍵は校長が肌身離さず所持しており、現場には盗難の形跡もない。自分が奉安殿の外へ持ち出すなど絶対あり得ないと信じていた校長だったが、露見すれば真っ先に疑いがかかる。途方に暮れた彼は教頭にだけ事態を打ち明け、生徒や教員の帰宅後、校内を二人でしらみつぶしに捜索した。
 御真影は見つからぬまま日が過ぎていった。消失から六日経ち、覚悟を決めた校長が事実を宮内省に報告した直後に奉安殿の扉を開けたところ、御真影は何事もなかったかのように元の棚に収まっていた。なぜ一時的に奉安殿から消えたのかは謎のままだった。
 憔悴の極でこの校長が辞職した後、東京市中から退役陸軍中佐の肩書を持つ元教師が着任した。彼は毎朝、校長室に教師全員を集めて抜き身の軍刀を手に教育勅語を暗誦させ、些細な理由を言い立てては彼らを殴った。宿直制もこの時から始まった。

 昭和初期の記録によると、嬉野小の生徒は当時の尋常科を終えると働きに出る者が大半で、高等科に上がる比率は二割にも満たなかった。それでも同校出身者は「融通が利かないところはあるが礼儀正しく、正直で扱いやすい」とされ、工場や奉公先での評判は上々だったという。

 学校のその後について、この他に特段関心を引くような情報はない。一方「鬼の首」に関しては桐谷刑事自身の思い入れが半端でないらしく、文の端々に執念のほどが感じられた。

 嬉野小のあった現在のヒカリヶ丘市一之瀬地区から山を二つ隔てた村落では、明治時代後期まで土葬に関係した妙な風習が残っていた。その土地に生まれ育った者が不幸な亡くなり方をした場合、死者の頭に桑の木の枝を角のように結び付け、手足を縛って座棺に入れて埋葬する。その土地では、人間は等しく鬼として生まれてくるが、角は頭の内側に隠されており、万人等しく角を表に現さぬまま生涯を終えると考えられていた。
 本来は鬼である人間が角を隠す労苦は並大抵のものではなく、当人の気づかぬうちに生命力の大半をそれに費やしてしまう。死後はその労苦から解放された証として、形だけでも角を復元してやるというまじないなのだそうだ。
 画像も添付されていた。かなり昔に撮られたらしい白黒写真で、ミイラ化した頭部の左右の顳顬こめかみに、細く撚った注連縄様のもので木の枝が結わえ付けられている。枝の太さは人間の手指ほどで、長さは十センチ前後。両手と両足をそれぞれ縛っているのも同じ程度の太さの注連縄だった。
 注連縄には禁忌とされるものを封印する呪力が込められていることを考えれば、角の生えた頭部が封印の対象であったと推察できる。もちろん、禁忌するのは生者の都合に過ぎない。だが手足を縛った理由は何なのだろう。生前に不幸であった死者が、鬼となって棺の外へ這い出るのを恐れたのだろうか。
 そして津川俊助の母はその村から嫁いできており、その風習を知っていた可能性が高いというのだった。
 資料には、気の触れた津川の母が亡くなるまで終日繰り返していたうわごとの数々も記録されていた。

オニさんきたらば
もちあげて
おまんまあげて
とめたげろ

みめよきオニば
むこにして
こおばこさえりゃ
まごできる

 桐谷警部補はこんな見解を付記していた。

 『津川の母親は手毬唄のようなリズムで呟いていたらしく、「オニ」が「鬼」だとするならば、必ずしも嫌悪の対象ではなく福をもたらす存在として歓迎されているようにも解釈できる。もちろん、津川の頭部に植え込まれた角がこうした呪術的意味を帯びていたなどと短絡することはできない。事件当時も今も「鬼」は人間に害を為す存在には違いないのだから、犯人もこうした負のイメージを前提にして被害者頭部への細工を行ったと思われる。津川の母親の出身地における埋葬時の奇習は、単に地理的な近接性から浮上した「周辺情報」の域を出ない。ただ、もし犯人がこの奇習を知っていたなら、犯行時の意識に多少なりとも影響したという程度の推測はできる』

 津川俊助の経歴は至って平凡なものだった。旧一之瀬村の庄屋の二男に生まれ、新潟の師範学校を卒業して同県内の小学校に訓導として採用後、新潟県で七年、長野県で十五年勤務して郷里の嬉野小に転属となった。その間の勤務状況に問題は認められず、人物的な好評価も順当に積み重ねて事件前年に校長に昇進している。桐谷刑事は「悪い言い方をすれば『面白みのない人間』の部類に入る」と述べていた。

 時代上の制約があったとはいえ、当時の捜査で解明できなかったのだから、今に至って怨恨説を裏付けるような事実を発見するのは容易ではあるまい。だが、仮に怨恨説を取るにしても、それが「逆恨み」だったならどうなるか。
 あるいはもっと現代的な「誰でもよかった」動機、極端に言えば「愉快犯」的なものだとしたら。身に覚えがないのに殺された被害者の怨念がどれほど激しいものになるかは、経験の乏しい俺でも容易に想像できる。

 ノートPCに開いたPDFファイルを末尾までスクロールし終えたのと同時に、横に立っていたエドが口を開いた。

「元々『鬼』は死者の霊を意味する漢字でしたが、この国に入ってから人間に害を為す妖怪へと転化したわけですな。つまり日本人にとって死者の霊とは、妖怪と同様に忌み嫌われることが基本的認識となっておるのです。これには私は以前から違和感がございました」
「そりゃ仕方ありませんよ。滅霊師の家なんだから一般世間とは違います」
「まあ妖怪でなくとも、仕事や芸能といった一つのことに過度に入れ込む者を『~の鬼』などと揶揄したりするのは、そうした個人の傾向があまり良くは思われていない証左なのでしょうな」
「普通が一番なんでしょ。何が普通かよく分かんないけど」
「おっしゃる通りです」
「でもこの資料によると、埋葬の時に鬼の形を取らせるのは、それが人間本来の姿、初期設定だという考え方が根底にあるらしい。結婚式の時に花嫁が被るものに『角隠し』なんて名前がついてるのも、もともと人間には角があるという意識を感じます」
「しかしですな、角と鬼が分かちがたく結びついたのは長年の習慣によるもので、もともとは関係ないのですよ」
「あー、確かに」

 要するに、角の生えた形相の恐ろしさが鬼に結び付きやすかっただけの話だ。例えば牛頭天王はその恐ろしい姿が信仰の対象となったわけで、忌むべき鬼とは一線を画している。

「私どもには角などありませんが、にもかかわらず『吸血鬼』という鬼の一種として呼び習わされているのは、あの忌まわしい通俗小説(「ドラキュラ」のことらしい)が日本語訳されて、吸血鬼がヴァンパイアの訳語として定着したせいなのです。このように角は、鬼と呼ばれる妖怪全体のごく一部の属性に過ぎぬのですが、多くの日本人は『鬼』と言えば角の生えた頭部を想起いたします」
「要するに犯人は、角によって『鬼』を表現したかった。角をつければ誰もが鬼だと感じる。長年のうちに形成された一般通念に丸乗りしたわけですね」
「そういうことですな。だから怨恨説の根拠としても説得力があるのでしょう」

 だが、「オニ」が忌むべき妖怪ではなく、繁栄をもたらす来訪神であったならば。犯人の意図とは裏腹に、角を植え込まれた頭部はポジティブな呪術性を帯びるのではないか。もっともそれらは、嬉野小で現在起きている異変に直接関係があるわけではない。

「一見、津川俊助は怨霊化しても不思議はないような殺され方をしておりますが、それをもって解体工事をめぐる異変は彼が引き起こしていると断定するには足りません。こちらとの関連では、遺体の損壊は『状況証拠』以上ではないとみるべきでしょう。当家の信用にも関わりますので、なお一層の見極めが必要と存じます」
「それは俺も承知してますから、ご心配なく」

 俺が生徒会長に操られ、見当外れな行動に走りかねないことがやはり吸血鬼には気掛かりなのだろう。ふと思いついて机を離れ、壁の鏡に向かった。
 夏休みに入る直前、財部から「痩せたな」と言われた。そう言われれば確かに少し痩せたように見えるが、ゲッソリというほどではない。海へ行こうという友人の誘いを断り、怪現象の相次ぐ小学校の初調査を終えて帰ってみれば「良くないモノを連れてきたか」と水際に言われる始末だから、多少はやつれていても無理はなかろう。
 だからといってローカルな悪霊に憑かれて操られるようでは、滅霊師の跡取りとしてあまりに不甲斐ない。

「エドにはどう見えます。俺は気張り過ぎですか」

 背後にいるエドはもちろん鏡には映らない。だが、ぎょっとした様子でこちらを振り向いているのは分かる。

「まあ、多少は息抜きをなさったらいかがです。まだ夏休み前半でもあることですし」
「そうですね。そうしますか」

 そうは言ってみたものの、終わりそうもない宿題のように頭から離れてくれない。いつ投げ出しても一向に構わない宿題のはずなのに、投げ出せば何もかもが終わりになる気がする。そして深入りすればするほど、その思いが強くなる。

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