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Revenant Doll 第30話

第3部

12 落城


  目の前で校舎が燃えている。木造だけに派手な燃え方をするものだ。座光寺信光の最終形態である悪龍が噴射した火炎によって、悪霊たちの城塞はあっけなく炎上した。現在の旧校舎を占拠して抵抗する者たちは一人残らず排除しなければならない。
 エドの従者たちも大いに面目を施した。旋風となって獲物に襲い掛かる「鎌鼬かまいたちのメアリー」に、一瞬で切り刻まれた者は幸いと言える。つむじ風から逃れた先には、「魂食い虫」の大群が待ち構えているからだ。「貪食どんしょくのハッサン」が奏でる滅びの羽音に包まれた者は、彼岸への到達すら叶わぬ非運を嘆きつつ、最後の苦悶を存分に味わって嬲り殺されていったことだろう。
 すべて自業自得だ。大人しく最初から学校を明け渡せばよかったものを。
火の粉を噴き上げて崩れ落ちる木造校舎を凝視しているうちに、竜巻と化したメアリーが校庭の砂塵を巻き上げて近寄ってきた。続いて不気味な羽音を立てるわざわいの虫たちが舞い降り、凝集してハッサンの姿を構成していく。
 自分の背丈よりはるかに長い大鎌を携えたメアリーが、俺の横へ来て「子供の霊はほとんど入滅いたしました」と報告した。
 
「ご苦労様です。少しは抵抗がありましたか」
「いえ。それが、全くと言っていいほど」
「……そうですか」
「まだ残りがどこかに隠れているようです」
「らしいですね」
 
 俺の指差す先に、燃えさかる校舎をバックにして人影が一つ小さく浮かび上がる。風と炎にかき消されそうな声が、辛うじて俺たちのところまで届いた。
 
「素晴らしい床入りだったわ!」
 
 大分距離が離れている喜和子に聞こえるよう、俺も声を張り上げた。
 
「お粗末様! どうだい君も? 俺に抱かれてみないか?」
「私を抱きたいの?」
「もちろん! 君を愛してるからな! 愛に歳の差は関係ないだろう?」
「ありがとう! こんなにうれしいと思ったの初めて! でもお前様に抱かれたいのは私だけじゃないのよ? ほらこんなに!」
 
 ほとんど錯乱状態で小学生女児に「抱きたい」と言い募る高二男子の前に、悪龍の愛撫を望む者たちが一斉に姿を現した。

 どんな悪夢にも現れると思えない、想像する限りの人体破壊の数々。人間以外の哺乳動物とのハイブリッドなどはまだましな方で、ほとんど生物としてあり得ない形に変形された物体まである。
 注意を凝らすと、異形の者たちの生まれ故郷は日本に限らずほとんど全世界にわたっていることが、表面の色や形から推察できた。つまり同じ境遇にあった者たちが、ことごとくこの場所に参集しているらしい。
 そして彼らは動いていた。魂は滅びず、今も苦悶にあえいでいる。
 
「みんなお金で買われたのよ!」
 
 脳に焼け付くかと思うような金切り声で喜和子が叫んだ。
 
「どういうことか分かる? 生きたまま殺される・・・・・・・・・ってことが! 買われてしまったら文句言えるわけないのよ! お金を払った品物なんだから何をどうしようが持ち主の自由、それがこの世界の掟でしょ? だからいろんな口実をつけてどんなことだってできたのよ! 医学の進歩だとか芸術・・の発展だとか未来への遺産だとか! 私より先にこのひとたちを抱いてあげて! そして愛してあげなさい立派なお婿様!」
 
 恵まれた容姿を時の経過から守り、永遠に美しいまま自分の傍らに置きたいという欲望は、ゆがんでいるとはいえ、まだ理解できる。だが今俺が目にしている異形の数々を生み出した動機は、明らかにそれとは違う。

 有り余る金で買えたこのものたち・・・・が、自分と同じ人間の姿をしていることへの恐怖、嫌悪、怒りなのか。あるいは、幼少期に抑圧された破壊衝動を満足させる機会がようやく訪れたという、歓喜の表現なのか。だが少なくとも俺は、このような可能性・・・があるということを今まで知らずにいた。犯罪が犯罪として問われない場所にはこういう可能性があり得るということを。
 人権や平等の概念が生まれた本当の理由は、こうした可能性を周到に隠蔽するためではなかったのか? 誰もがそれを「あり得ない」と能天気に信じ込むように。だが、この世界には落とし穴が随所に設けられていて、そこに落ちた者だけが、何でも起こり得るという真実を知る。そして証言の機会は、「証言する権利」とともに永遠に奪われるのだ。

 意を決して前へ進み出ようとした時、脇に控えていたハッサンが「なりませぬ若君様」と制した。その理由が咄嗟には理解できなかった。
 
「なぜ。あの人たちが、あなたにとってはいわば同胞だからですか」
「左様なことは申しておりません。あの者らの処置は私どもにお任せを」
「駄目ですよそりゃ」
 
 その宣告はできる限り冷ややかな口調を心掛けた。覚悟が固まってしまえば、いつもは切れの悪い脳味噌が思いがけずよく回ってくれる。「ギラギラして淡泊な」キャラの本領発揮というわけだ。
 
「あなた、『ここの始末は自分の手で』とか考えてるでしょ。申し訳ないがそれはあなたのわがままですよ。認められません」
「しかし……」
 
 オスマン帝国の元宮廷奴隷はなおも引き留めようとした。彼がそうしたのは、無私の思いに違いなかった。理由の分からない嗚咽が激流のように喉元に押し寄せた時、もう俺は宙に躍り上がっていた。
 
 宙高く舞い上がりながら、悪龍の分身を二体作り出した。この能力は、今はもういない如鬼神の一人が俺に遺してくれた、言うなれば「形見」だ。分身の龍は俺に追いすがろうとするエドの従者たちに絡み付き、その場に拘束した。しばらくそこで大人しくしていてもらう。
 月光エコドライブの稼働時間はあと六十分もないだろうが、その間にはたぶん決着がつく。できればあの二人はエドのもとに帰してやりたい。
 
 眼下にうごめく異形の者たちが、頭上の悪龍を振り仰いで賛嘆の声を上げている。さまざまな土地の言葉で俺を「龍の神」と呼び、身をよじらんばかりに俺の抱擁を待ち焦がれている。そのただ中に舞い降りると、彼らは我勝ちにと押し寄せてきて、俺の全身を包み込んだ。
 一体ずつ、腕と胸の間に力を入れ過ぎぬように抱えて丁寧に焼き殺した。最初は、興奮し隆々とそそり立つ下腹部の器官を晒し、夢見るような視線を空に投げている俺と同年配の男子。皆の中で、彼の姿が人間としての尊厳を最も保存されていた。半開きにしたそのかわいい唇に口づけしてやれないのが残念だったが、俺は自分の腕の中で彼が焼け崩れていくのを最後まで見守った。
 どの者も、ようやく訪れた安らぎに感謝の言葉を叫んで滅びていく。膨大な量の悲嘆を正面から受け止めているうちに、俺の魂も確実に擦り減っていった。

 帰ってきた人形たちが一体残らず消滅した後、火の粉が爆ぜる校舎の残骸の上で、斎藤喜和子が俺を待っていた。もう自分の魂はあらかた使い果たした。彼女の望みに応えてやった時、恐らく俺の力も尽きる。
 喜和子が困憊の極みにある俺を見下ろし、減らず口を叩いた。
 
「若さって凄いのね! それともお兄さん、何か飲んだの?」
「何も。……って、そりゃどういう言い草だ。少しは小学生らしくしなさい。今、行くから」
「痛くしないでね!」
 
 龍の尾を一振りしただけで彼女の正面に達した。疲れ切っていてもこの通りだ。十七歳男子の精力を舐めてはいけない。「痛くするもんか。こう見えてもお兄さんは」と、それ以上は言わずに彼女を腕の中に包み込む。
 
「本当に私を抱いてくれるの?」
「何をいまさら」
「これでも私を抱ける?」
 
 俺の腕の中で、少女は角隠しを取って無造作に投げ捨てた。
 
「本当に私を抱いてくれる?」
 
 繰り返された声には違う響きが混じった。俺の冴えた頭はその意味を即座に理解する。
 結い上げられた髪の左右の生え際あたりから、勢いよく角が二本飛び出した。続いて顔の皮膚が裂けてめくれていく。白無垢が悪龍の放つ火炎の中で焼け落ち、肉が剥がれ、骨が露出した。
 
「どうだ。これでも私を抱けるか」
「どうかご心配なさらずに。あなたを待っていました。津川さん」
「学校と子供たちを守るのは私の責務だ。指一本触れさせんぞ」
「あなたのご無念には心より同情いたします。しかしあなたが守るべき子供はもう一人もおりません。あなたが守るべき校舎もない。俺は新しい時代の児童が、新しい校舎で授業を受けられるよう、全面改築の障害を取り除くことを委託された者です。障害となるもの・・はすべて排除します」
「委託された? 嘘も大概にしろ、この女衒ぜげんの下働き野郎め」
「校長ともあろう人が、女衒などという言葉で差別意識をむき出しにするのは感心しませんね」
「減らず口だけは達者だな! お前は学校で何を教わってきた?」
「だからそれは、職業差別だと」
 
 もう、自分でも何を言っているのか分からなかった。
 俺が腕の中の火力を強めると、津川俊助は信じられぬ力を発揮して拘束を振りほどき、俺から距離を置いて宙に浮かんだ。
 焼け残った校舎の熾火おきびから放たれる薄明かりに、津川の全身が浮かび上がる。角を植え込まれた頭部と、大空襲後の横浜で発見された首から下が繋がっている五体完全な人骨。その本体は、今も警察庁の研究所のどこかに保管されているのだろう。
 
「大人しく滅びなさい。これ以上の抵抗は無意味です」
「私は教育者だ。お前のような女衒の手先には従わない」
「あなたは職務を完遂できなかったんだよ!」
 
 急に愉快な気分になった。女衒の下働き野郎とは言い得て妙だ。どっちにしても俺とあなたはここで一緒に滅びる。あなたは努力したが、最後まで子供たちを守れなかった。非業の死を迎え、怨念の荒ぶるままにかつての勤務先を不法占拠しているあなたより、女衒の手先として殺しを請け負っている俺の方が明らかに罪は重い。しかし、所詮は程度問題だ。
 角の生えた津川の頭蓋骨が大きく口を開けて叫ぶのを、俺は聞き届けた。
 
「小悪党めが。永遠に呪われろ!」
 
 もう御託を並べる猶予はない。覚悟しなさい。
 
 

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